書道家Syuunの忘れ物

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「帝国海軍の勝利と滅亡」別宮暖朗著・書評(序章1)

2011-04-30 21:52:14 | 映画、書評など

「帝国海軍の勝利と滅亡」別宮暖朗著・書評(序章1)

ここのところ、ヨーロッパの二次大戦のDVDやその他戦記物など、戦争前夜もそして戦争中の政治史について勉強することが多い。
なぜそういう戦争がらみの政治史の本などを読むのかというと、戦争当事国の問題点や国を動かす人たちの人間像など、現代の社会に通じる洞察が得られるからである。
その国が、戦争という最終的な外交政策にうって出るときには、その国の国民性と共に制度の違いと言うものが露わなになる。
そして、何十年違ったとしても国民性や制度というものは形を変えて残っているだけでなく、基本的には変わらない。
戦後日本人は、残虐で虐殺を数々行ったとか、日本人というのは卑怯で信用出来ないとかと言うことが、戦後教育として刷り込まれた。
そういう洗脳にあった人達というのが前仙谷官房長官とかの世代でもあり、戦後民主主義に毒された教師による延々とした教育方針でもあった。
小学校の歴史参考書を見れば、これでもかと言うほど日本人の「あり得ない」残虐性が書かれていたものである。
そして、そういうことは東京裁判史観によって世界中でも信じられていたと言うより、そういうのが世界中の人たちの本質だった。
ところが、東日本大震災が起きてあれほどの惨状なのに、被災者による暴動や略奪、救援物資の取り合いということが起きていないと世界中で驚いていた。
こんなことは、我々日本人から見れば当然のことである。
本来日本人のDNAは戦前から延々と続いており、国民性というものは急に変わるものでは無い。
一方、日本人によって南京大虐殺があったと主張する中国では、未だに暴動があり、警察軍による国民虐殺などは報道を見れば当たり前である。
中国人の国民性と日本人国民性というのは、「東日本大震災」で見る日本人の国民性から見ても水と油であることが分かる。
しかし、日本の中のリベラルという知識人、特に弁護士や裁判官というのは未だに日本人は残虐で、中国人は「平和を愛する諸国民」であると勘違いしているようだ。
なぜなら、栃木県で警察官が職務質問をした中国人。この中国人が突然警察官を殴り飛ばし、押し倒し、拳銃を奪おうとした。挙げ句の果てに、民家に入り込んで重さ2キロの灯籠で殴りかかって来た。この時、警察官は凶器を捨てろと言うものの中国人が殴りかかって来たために発砲。それで中国人は死亡したのだが、裁判が起きている。
「前田順司裁判長は請求を棄却した1審宇都宮地裁判決を変更し、県に約1千万円の支払いを命じた。」「警棒で制圧することは可能で、威嚇射撃もせずに性急に発砲したのは、適正な拳銃使用を定めた警察官職務執行法に反する」とし、警察官の過失を認めた。==(産経新聞)

こういう裁判官というのは、やはり戦後民主主義者の申し子と言うべきだろう。

前置きが長くなった。
この著書は大きく分けて、日露戦争以前と以後について分けている。その分岐点にあるのがあの山本権兵衛(伯爵)であり、その山本権兵衛が作った基準の海軍のために自らが追われた。
そして大失敗したのが「戦時大本営条例」である。それは、参謀総長と海軍軍令部長を並列としたことである。
別宮氏は、「他国に類例を見ない『陸海二元統帥』はこれから生じた。」と書かれている。
この陸軍、海軍が全く別に作戦計画を建てというより勝手に海軍だけが暴走して勝手なことを始めたのが大東亜戦争であり、日米開戦であった。
事実として東条英機首相は、陸相、参謀総長も兼任したが海軍の暴走は押さえられなかったと述懐している。
海軍善玉論という著書が多数出されたことがあった。
海軍善玉論でその中心と思われるのが阿川弘之氏の3部作「山本五十六」「米内光政」「井上成美」などである。
阿川弘之氏は、海軍予備学生として海軍に入隊するから海軍擁護と言うこともあるかも知れないが、「米内光政」はともかくも「山本五十六」「井上成美」の方は何やら釈然としない部分が多い作であった。
なぜなら、米内光政、山本五十六、井上成美は条約派の「三羽がらす」これを「善」としている。しかし、米内は日米戦争に反対したが山本五十六、井上成美は推進派に廻る。井上成美は航空本部長になったから計画を立案し「新軍備計画論」という「島嶼防衛論」を展開する。これを別宮氏は、この通りやったから失敗したと述べる。
事実としてこの時の海軍は、補給と制海権という観念か欠如していたと指摘する。
そして砲術畑出身の山本五十六は艦隊決戦の概念しか思い浮かばす、航空部隊決戦になったのにその概念に固執した。
真珠湾攻撃という海軍だけによる日米開戦を山本五十六は計画し、その計画に固執した。歴史上のイフを考えれば、別宮氏は「真珠湾攻撃」がなければ日米開戦は起きず、当然日本の敗戦もなかったということが考えられる。
別宮氏の指摘から考えれば、海軍が善とした阿川弘之氏の3部作の「山本五十六」では、「真珠湾攻撃」を計画立案、実行させたのに山本五十六の責任というものは曖昧である。
特に、開戦前夜では海軍の最高実力者が海軍大臣でも軍令部長でもなく、現場の聯合艦隊司令長官であったことが問題である。
日露戦争前夜を見れば、海軍大臣でもない一官僚(大臣官房主事)にすぎなかった山本権兵衛が聯合艦隊司令長官を解任と任命が出来た。
「米内光政」は、海軍善の象徴的な人物である。
しかし、首相になったときに自ら予備役になって海軍への影響力を減じ、結果として海軍の暴走を押さえられなかった。強いて言えば政治における展望がないと言うべきだろう。
そして、そのために短命内閣に終わるのである。
小説の「井上成美」についてそれなりに持ち上げるのだが非常に歯切れが悪い。
その答えは、別宮氏が用意しているものであって阿川弘之氏の海軍を善とする3部作は、歴史観を誤らせると思われて成らない。
しかも、引用している戦後における提督達の回顧録は、自分が主張したのではなく「職責が主張した」と軍人官僚特有の言い訳をそのまま信じているというものであった。


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