書道家Syuunの忘れ物

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軍人官僚・山本五十六大将の精神構造から今の日本を考察する

2012-01-12 23:49:33 | 映画、書評など
軍人官僚・山本五十六大将の精神構造から今の日本を考察する

真珠湾攻撃を主導した山本五十六大将の精神構造を考察する その5

前回のその3で山本五十六の「一日戦争論」と言うことを述べた。こういう政治感覚に対して当時の政府指導者はどんなふうに考えていたのかと言うことがある。
昭和15年7月米内内閣が倒れて、22日第二次近衛内閣が誕生した時点での話にこんなことがある。
それは米国が欧州に参戦した場合、日本と欧州との二方面では戦えないという認識である。
特にそのことを主張したのが松岡洋右外務大臣で「四国同盟はアメリカを封じ込める唯一の手段である」と言うこと。
考えてみれば、日本の国力を基準にしてしか米国を見られないという狭窄した視野というのは、昔からあると言うことが良く分かる。
そして、その狭窄した視野というのは五十六の全く変わらないと言うのが「一日戦争論」であることは言うまでもない。

この四カ国とはドイツ、イタリア、ソ連、日本である。それゆえに松岡は三国同盟にソ連を加え。日独伊ソ四国同盟の結成を構想していた。
この意見に東条陸相も同調していたのは当然だか、東条の悪いところは自分の意見も陸軍内の意見統一と言うことで納めてしまうことである。

ここで日米間において大きな誤算だったのは、米国は日本軍の「所詮黄色いサル」。大した軍事力も持てないだろうと思っていたことである。
ましてや航空機を猿が操縦できるとは思っていなかったことである。
だから、米国としては真珠湾攻撃で思ったより多少手ひどい損害があったものの、おとり作戦としてはまずまずの出来。
虎の子の空母は無傷であるし、更迭すべき司令官は元々抜擢人事で直前に入れ替えた人物。
沈められた戦艦も元々旧式の上に修理も可能だった。
日本の軍隊というのは「餌にすぐ飛びつくサル」だというのは明白であろう。
事実南の島々を攻略して行くときには、米軍はピクニック気分で攻略したとヘレン・ミアーズ Helen Mears (アメリカの鏡・日本)は述べている。
手ひどいしっぺ返しを食らうのは硫黄島のみであった。
従って、日本との戦争は片手間で済むと考えていた感がある。
そして、日本海軍の秘密主義は戦艦大和も武蔵も、そして零式戦闘機も国民は戦後になって知る有様である。
予め公開して、阻止力にするという考え方は戦後のことになるかも知れないが、もしその阻止力を使っていれば米国は日本に戦争をけしかけなかったかもしれない。

即ち、松岡らの考え方は正しかったことになる。

しかし、現実には米国は日本の軍事力を侮り、松岡外相、東条陸相、山本聯合艦隊司令長官は戦力を隠していながら戦力を過信していた。
松岡外相の問題というのは、米国やドイツなどの白人の上層階級の意識が理解できなかったとも言われている。
そして、三国同盟というのが「バスに乗り遅れるな論」だったということも知られたとおりである。
従い、今の野田政権にも通じるというのは日本の官僚・政治組織というのは変わらない。
歴史上のifがあるとすれば、当時の日本海軍が事実上の強襲だった真珠湾攻撃をしなかったらどうか、という話しがある。
そうであるならば、日米開戦は遅れたかもしれないと言うことである。
米国は、多分新たな罠や仕掛けをしかけてきたろうが、時間との戦いであったというのがあの真珠湾攻撃の時期と一致している。
日本がアジアだけの戦争に限定してもっと英国を圧迫していれば、遅れて米国が参戦する時間的な余裕がなかったと言うのが戦後の読みである。

そんな分水嶺の数年間の人間模様の分析をすると言うのが、今の政治や官僚組織の分析と一致するのではないかと思われる。

ちなみに三国同盟を決定した昭和15年9月15日、米内光政予備役大将(前首相)はこんなことを言っている。

「それにしても岩手の軍人は、昭和の世にも国賊になる気なのだな。東条、板垣、及川が雁首そろえて対米強硬論なのだから」
及川とは海軍大臣、板垣とは板垣征四郎で満州事変に関わる。そして、この時の軍務局長阿部少将も岩手出身で親独派であった。(神の国に殉ず・下)