書道家Syuunの忘れ物

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亡き筑紫哲也氏とは、ジャーナリストではなく新聞社の社員出身が正しい?

2008-11-08 22:58:12 | 読み解けば‥‥

亡き筑紫哲也氏とは、ジャーナリストではなく新聞社の社員出身が正しい?


筑紫哲也氏が亡くなったのは、7日の報道を見て知っていたが、2008/11/08のスポーツ報知(報知新聞)の一面が筑紫哲也の死亡記事とは‥‥
まるで、筑紫哲也氏が追加のノーベル賞でももらったのかと訝るものだった。



そして、27面には「代わりの人いない」として鳥越俊太郎、武田鉄矢、広島・松田元オーナー、大田元沖縄県知事、草野満代キャスター、辻元清美、吉永小百合、立花隆という人達が発表したようなコメントが載っている。
立花隆氏のコメントは、新聞各紙も同じ、大田元沖縄県知事の発言は「琉球新報」が同じ文面で報道しているから元はここなのか。

いずれにせよ、当たり障りの無いと言うかかなり思想のよく似た人達の意見ばかりのようだ。そして、吉永小百合氏の様にどう考えても「社交辞令」の様なものもあり、辻元清美衆議院議員の様に政治的なつながりというのもある。



日本人は、故人に対する批判はあまりすることは少ない。
亡くなれば皆良い人‥‥とは、日本人特有なものだろう。
一方、大陸系の中国では、墓を暴いて鞭で叩いて打つ壊すとか、抹消してしまうということも歴史書には書かれている。
ヨーロッパ人も同じようにフランス革命の後、ブルボン王朝、カペー家、その他王族と見られる墓は全て暴かれて、棺も破壊され消滅した。
ルイ16世、マリーアントワネットでさえ空き地に放り投げられて棺に入れらること無くそのまま埋められた。
だから、日本人というのは本当に優しい民族である。
しかし、この筑紫哲也氏というのは、そう思っていなかったらしいことが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で見ると良く分かる。
それは、筑紫哲也氏の批判のオンパレードである。

そして、いかなる批判も無視して、自分が言った批判も自身には適用しないとか、自身が絡んだ事柄に対してしらを切るとか見苦しい面が多々見られた。
大きく批判されたことと言えば、
中島清成氏(76=元日刊スポーツ新聞社)の追悼文で‥‥
「テレビでの、彼の至高の発言は、TBSの社員が旧オウムに情報を流し、不幸な悲劇が起こった時、『TBSは死んだ』と自らの番組で言い放ったことである。新聞記者だからこそ、言えたのだ、と私は思う。」
普通ならそれで「NEWS23」番組を降りるというなら話は分かる。
しかし、「TBSは死んだ」と言いながら自らは知らぬふりをして居残った。このことに対して批判を浴びたが、「蛙の顔に水」というヤツだった。
そして、筑紫哲也氏が「拉致問題」に対して非常に冷淡であったと言うことはよく知られたことである。
一方、週刊金曜日での問題が起きたとき、週刊金曜日の編集委員であることを隠して論説したりやりたい放題だった。

この様にして、筑紫哲也氏を見てみてるとテレビへの「出演」ということに対して非常に執着心が強く、自身の信念などかなぐり捨ててでも今の地位を守るという姿勢が見える。
江戸時代の武士がプライドを保つために、「食わねど高楊枝」と「やせ我慢」をしていたのに対し、「やせ我慢」という言葉など皆無というのは、この様な人物ではないか。

はっきり言って、
「キャスター筑紫哲也は、最後まで、言論の魂、新聞記者としての志を胸に刻んで、この世を去った。(元日刊スポーツ新聞社編集担当取締役中島清成)」
というのは大嘘だ。
新聞記者としてのプライドなどなく、新聞記者でもなかったのではないだろうか。
正確に言えば、新聞社の社員だったというのが本当だ。
そうでなければ、あの「執着心」と言うものに説明が付かない。 

言論・思想統制強める「前航空幕僚長の論文」の効果

2008-11-08 00:30:42 | 日記

言論・思想統制強める「前航空幕僚長の論文」


田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関する論文を発表し、更迭された問題で、強力に言論統制、思想統制が強まっている。
そして、新たに就任した外薗健一朗空幕長が記者会見で(7日)
「田母神氏の論文について外薗空幕長は「政府見解と異なる意見で国民の信頼を揺るがしたことを真摯に反省し、心よりおわびしたい」と謝罪。歴史認識については「政府見解と同じだ」と述べた。」
こんな風に、いわゆるイエスマンを航空幕僚長に据えた。
「また、歴史認識が問題となった田母神氏の後任に外薗氏を任命するにあたり、外薗氏の過去の言動について確認したことを明らかにしました。」と報道されている。
しかし、こんな人事は中国を喜ばせるだけと「週間新潮」で書かれる始末。
(中国だけが大喜び!「空幕長のクビ」が飛んだ論文「日本は侵略国家であったのか」の中味)
一方、2008/11/07朝の文化放送で佐藤優氏は、内容の「思想・信条」ではなく、懸賞論文という「賞金」のかかるところに応募したことを問題にすべきという。
しかしも滑稽だったのが産経新聞
【正論】東洋学園大学准教授 櫻田淳 空幕長論文の正しさ・つたなさ
この中で、旧帝国陸軍の例を引いて
「振り返れば、終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾には、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集め、『農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え』と厳しく訓示したという挿話が伝えられている。『軍人勅諭』にも『世論に惑はす政治に拘らす只(ただ)々一途(いちず)に己か本分の忠節を守り…』という訓戒がある。」
と書いている。

要するに、戦前の「軍隊」という組織でも「思想・信条」と言うものに対して統制が出来なかったと言うことを記す事実であって、言論統制とシビリアンコントロールとは別なものであるということが良く分かる。

そして、日本国憲法第には、
「第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
「第23条 学問の自由は、これを保障する。」
とある。
このことから分かるように、自衛官の「思想・信条」によって「懲戒」するという行為は憲法違反に当たる。
本来憲法の原則は、一般国民と軍人を分けるということが原則である。
そして、一般国民は憲法に従い、軍人は憲法に規定された軍法に従うということになっている。
このことが混同されると、戦前の軍務大臣現役制という出鱈目なことになる。

そして、軍人は軍法によらなければ、戦争で人を殺せば殺人罪になる。
ところが、日本には憲法上軍隊は存在しない。自衛隊は法律上「警察予備隊」にすぎない。
なぜなら、軍法が存在せず、自衛隊がイラクに行ってた時も、危険と思われても銃を撃てなかった。
よくよく見てみれば、集団的自衛権も行使出来ない。‥‥理由は、軍隊でないからである。
以上のことから、自衛官は「軍法会議」で処罰出来ず、憲法の規定の下「思想・信条」を差別することは許されない。
又、学問の自由は保障されているから、歴史観として「村山談話」を強制することは出来ない。

それで、この「前航空幕僚長の論文」の中身には踏み込まないというのが、識者の常識になっていることは、海幕長や佐藤優氏が中身に言及しなかったことでも分かるもの。

そして、朝日新聞が「前空幕長、一般誌へ投稿呼びかけ 4年前、隊内雑誌に(2008年11月7日15時6分Web版)」
「2004年に航空自衛隊の隊内誌で、防衛論や歴史観の持論を展開したうえで一般雑誌への投稿を呼びかける文章を書いていたことがわかった。」
「文章は、空自幹部らが購読している『鵬友(ほうゆう)』の04年7月号に掲載された。当時は、幹部自衛官を教える統合幕僚学校の校長だった。」
「その中で『これまで我が国では反日的言論の自由は無限に保障されていたが、親日的な言論の自由は極めて限定されていたような気がする』『(南京大虐殺が)無かったことが真実であることは今では十分すぎるほど分かっている。その意味で我が国にもようやく本当の民主主義の時代がやって来たと言えるのではないか』と主張していた。」

これは以前から報道されていたことで、「前航空幕僚長の論文」というのは以前からよく知られた「持論・思想・信条」であったことが分かる。

浜田防衛大臣は6日の参議院外交防衛委員会で、
「今回の件の重大性を考えれば、退職金の(懲戒免職として)自主返納ということで、わたしとしては本人の判断を待ちたい」などと馬鹿げた事を言っているが、それが憲法違反であることが気づかないのは愚かだろう。

もし、本当に更迭したかったら自衛隊を軍隊にして、軍法会議で裁くべきだ。
もしそれが出来ないのなら、憲法に従うしかないだろう。

そして、民主党も微妙な判断を必要とするこんな「前航空幕僚長の論文」に係わることがマイナス効果にならないのか良く判断しないのは不思議なことだ。
そして、「麻生首相が参院審議に出席してシビリアンコントロール(文民統制)のあり方に関する質疑に応じなければ、参院で審議中の補給支援特措法改正案を本会議で採決しない考えを示唆した。」など見え透いた単なる反対のための反対であるというのは見苦しいものだ。
この件に関して、産経新聞の福島記者が同様な視点で、憲法問題に関して「ブログ」で書いていました。

但し、福島記者が負ける戦争をするのが悪いとか、「侵略戦争」と言って戦争をした国はないのに「日本は侵略戦争」だと書いているのか多少引っかかります。
事実「侵略戦争」という言葉は国際法にはなかったかも知れません。
そして、戦争をするときは、必ず「自衛戦争」というのが常識になっています。
確か、あのHusseinが起こした湾岸戦争もHusseinは自衛戦争といっていました。
ベトナム戦争は、「開放戦争」。
それにしても、共産中国が朝鮮に「義勇軍」という名の軍隊を送った朝鮮戦争は、どんな言い方だったのでしょうか。
ちなみに、福島記者が日本が戦争を仕掛けたということで、「不戦条約」ケロッグ・プリアン条約というのがあります。
東京裁判では、この「不戦条約」違反という理由もつけられました。
しかし、このケロッグ米国国務長官が米国議会で「不当な経済的圧迫も侵略に入る」と答弁しています。
当時の日本の状況を見れば、福島記者が言うような単純なことではないことが良く分かろうというものでしょう。