書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

批評「正論」・「ネット」と新聞 早稲田大学大学院教授・川本裕子

2007-12-19 22:46:22 | 読み解けば‥‥

今日の朝、19日付けの「正論」・「ネット」と新聞 早稲田大学大学院教授・川本裕子を見て何が言いたいのかよく分からなかった。
早い話、悪文の典型だ。こんな文章を書くと中学校の入試にも受からない。
しかも、その内容たるや今更書くこともないようなことばかり、しかも「時計の針は逆戻りしない。」と書く。
しかし、逆戻りはしないが、止まることもあると言うことは、今の福田政権を見れば明らかだろう。
要するに、時計の針を止めたり、多少後戻りさせようとする勢力は未だに健在だ。
そして、世界各国で言われているようにネットによる「情報格差」と言うものが出来てきてしまった。
それはネットショッピングで安く製品を手に入れる人々と、未だに商店に行ってそこそこの値段で買う人々が多数いると言うことだ。
カメラ電気の量販店の賑わいを見てみれば、まだまだネットショッピングは少数派であることが判る。
実店舗も実は既に
ネットショッピングの価格を意識して、又どのくらいの価格が購買層に受け入れられるのかと言うことを日々調査している。
だから、ネット価格よりも安い目玉商品を揃え、ついでに高い商品も買ってもらうという商法に出ている。

これは、新聞も何もかも同じ事で、商品も新聞も実際手にして見ると言うことを好む人がいる。
商品は、実店舗で確かめられるが、新聞はそうは行かない。

金融にも言及しているが、多分この筆者はネットには詳しくないのだろうと思う。
どう考えても、「頭で考えて」感覚で書いている。

そうでなければ、曖昧な抽象論で終わらないはずだ。
大学の売文業の人というのは、気楽なものだ。
こんな程度の寄稿で成り立ってしまうのであるから。


書道展表彰式の感慨

2007-12-19 00:43:00 | ちまたの噂・雑記事
群馬県書道展・表彰式
県書道展も表彰式、祝賀会で一つのピークを迎え、後は惰性で閉幕を待つのみである。
従って、我々などの事務局の人間としては、直前までこの準備に追われ又、表彰式、祝賀会の運営はその係の腕の見せ所である。
特に難しいのが、表彰式で如何に短時間にそして、軽々しくなく終わらせるかというのが問題だ。
実際、最高賞やその近くの賞を貰った人達は、何やらその感動に浸る期間というのは長くても長すぎることはない。
しかし、末端の賞を貰うと中々順番が来ない‥‥と、「賞」の優劣、上下をひしひしと感じるものだ。
実は、今度こそ少しでも前の席に、出来れば指定席の「カード」が置いてある席に。
もっと欲張れば、最前列のネームプレートが置いてある席にと欲望が広がる。
なんと言っても、その賞による「差別」の差と言うのは非常に大きい。
東京で開催される書道芸術院展などだと、公募だと準特選、無鑑査では特選以上でないと表彰式に出でも指定席がない。
審査会員候補以上の賞は、特別賞中の特別賞だから「鼻高々」で出席するが無鑑査特選(平特)というのは、末席だ。
無鑑査でも特選の上、院賞、毎日賞という特別賞はかなりの上席で、審査会員の峰雲賞、候補の書道芸術院大賞、準大賞、白雪紅梅賞と並ぶ。
展覧会の表彰式というのは、いつの世も残酷な現実をあからさまにするものだ。



実際、貰う方としてはいろいろな感慨があるとしても、式の時間の限度は約90分を予定している。
少しでも丁寧にすると、これが120分ぐらいになり列席者の我慢の限界に近づき、次の祝賀会へ食い込む。
大展覧会だと、授与する先生が一斉に並び「はい」というかけ声?と共に10人程度に渡すということもあった。

今回の県展では、いろいろと実例を考えて、賞を貰う人を前に出し、「呼名」で名前を読み上げて前に進んで賞状を貰う形式にした。
すると、「呼名」→壇上又前に出る→黙礼→黙礼→黙礼→賞状を読み上げる→授与→黙礼→退出という一連の作業が
「呼名」→授与→退出で終わる。
上位三賞くらいは、もっと丁寧で良いとも思うが、これは反省点。
しかし、これで65分(1時間5分)で終わった。
受賞者は、そのまま祝賀会へその感動を引き継ぐ事になるが、公募で賞をもらえる頃が一番楽しい。
誰だって、子供時代「特別賞」などもらう機会はないし、あってもただもらう人を見て別世界の事だと思っていたものだ。
我々審査して、「賞」を与える立場になるといろいろと感慨に耽るものだ。