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書道家Syuunの忘れ物

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民主党代表選・問題点を避ける曖昧討論のバカバカしさ

2009-05-15 23:19:04 | ちまたの噂・雑記事
民主党代表選・問題点を避ける曖昧討論のバカバカしさ

民主党代表選の日本記者クラブ討論会を見ると、日本の国民が心配している問題点を避けているような気がする。
問題点というのは言うまでもなく、民主党のアキレス腱である防衛問題であり、憲法問題であり、外交問題である。
そして、岡田克也副代表には、「永住外国人の地方参政権の問題」などもある。
外交問題で心配なのは、鳩山氏の中国重視政策で
「私は価値の外交は嫌いです。価値ではなくて、価値の同じくする国々が外交関係、絆(きずな)を強めるのは当たり前の話であって、外交というのは、価値観の違う国々が、いかに共存共栄というか、自立をしながら共生をする。」
と言う。
こう言うのは学者がいうのならば良いとしても、一国の首相となるかもしれない政治家の感覚としてはどういうものだろうか。
言っているのは、理想論であるし「価値の同じくする国々が外交関係、絆を強めるのは当たり前の話」などと言うものではない。
そして、「価値観の違う国々が、いかに共存共栄というか、自立をしながら共生をする。」と言うのも間違いであるというのは誰だって分かる。
現実問題、鳩山氏が言う中国の関係は、「自立をしながら共生をする」関係ではないことは、現在も進行している日本の言論・行動統制を見れば良く分かるではないか。
そして、自身や元小沢代表が中国へ行ってどの様に振る舞ってきたかの言動を見れば、対等の関係とはどう見ても思えない。
その甘っちょろい考え方を表しているのが「友愛外交」「友愛財政」と言う言葉だ。
記者に「今時、女子学生でも使わない。教育の現場でもほとんど使われない死語に近い言葉を、おじいさんが言っていたということで持ち出されても、中身が見えてこない。」と言われている通り、「馬鹿馬鹿しい」限りなのである。
なぜならば、そんな「お坊ちゃま」の「友愛」など通用しない世界というのが今の日本を取り巻く環境であり、日本の経済状況であるからだ。

それにしても岡田克也氏の歴史に関して無知か故意かあまりのバカバカしさは、憲法改正問題で極まっている。
「私たちは60年前の戦争の反省に基づいて、自分の手を縛ったわけです。海外で自分たちの判断で武力行使をしない。」
‥‥と言う解釈であれば、日本国憲法は日本人で自ら作ったと言うことになる。しかし、実際はGHQの占領政策憲法であって、その憲法の上にGHQの条例があった。
その他岡田氏は、
「私は、憲法をイデオロギーで論じるべきではないと。たとえば、戦後レジーム(体制)の転換とかですね、そういうイデオロギーで論じるべきではないと思います。憲法というのは、戦後60年近く、国民の間に定着して参りました。それは、国民が認めたから、その憲法はあるわけで、しかし、時代の変化に応じて、変えなければいけないところは変えるということは当たり前のことだと思います。」

この様にも述べている通り、学校の勉強をよく学んで東大へ入ったのだなとよくよく思う。なぜなら、自分で物の本質というものを考えていない事が明らかであるからである。
先生に教えられたことが絶対であって、それが間違っている又は、変わってきていることにに気がつかない。
これが、昔の陸・海軍軍人・参謀の精神構造と全く酷似すると言うものではないか。
なぜなら、「日本国憲法」そのもののが占領政策という「イデオロギー」の塊であるのに、「そういうイデオロギーで論じるべきではないと思います。」というのは矛盾するからだ。
逆に言えば、「日本国憲法」そのもののをGHQが作ったと言う事を否定していると同じである。
だから「憲法というのは、戦後60年近く、国民の間に定着して参りました。それは、国民が認めたから、その憲法はあるわけで、」
という欺瞞に全く気づかないというよりわざと否定している。
これが日本の政治家なのだろうか。
多分、信条は無政府主義者なのかも知れない。
なぜなら、岡田克也副代表の「永住外国人の地方参政権の問題」は正に国家を否定する無政府主義の根幹であるからだ。
そして、その「イデオロギー」即ち思想傾向を主張しながら、「戦後レジームの転換とかですね、そういうイデオロギーで論じるべきではないと思います。」という。

この様に見てくると岡田氏、鳩山氏の日本を守るという原理原則というものが実は見えてこない。
日本の国をどの様にしたいのかと言う事である。
岡田氏の「無政府主義者」的に考え方は分かったとしても、鳩山氏は「友愛外交」「友愛財政」で結局日本の立場というものを明確に示していない。
それは、先に述べたように日本の国の何を守るかと言う事に敷衍するのだが、「私は価値の外交は嫌いです。」と言う通り、日本国民の価値観を守るとは当然思われない。
同様に、岡田氏の日本国憲法に対する歴史認識と、そのナイーブさにほとほとあきれる。

日本国憲法は、国民が認めたのではなくGHQが作ったというと言う事や、憲法に対する批判などは占領中では最大の検閲対象になってひた隠しにしたことである。
そして、そのことが定着するまでなんと7年間もの長い占領だった。
憲法が作られてからでも、約6年。
憲法の実際は、MacArthur条例の下にあるら言論の自由もなかったことなど、昔の歴史教科書にははっきり書かれていた。
そして、独立後その占領政策を推進した政治家、官僚、学者などは「言論統制」を良いことに、みんな口をつぐんで、言わば「しらばっくれた」のである。
普通の国なら、フランスのビシー政権ほどでなくとも占領政策に協力して国民を欺したり、圧力を加えた政治家、官僚、学者は更迭されるか批判の対象になったはずである。
しかし、日本では文化勲章を貰うか、勲一等を貰って生涯を全うした。
それだけでなく、自分の過ちを隠すことを続く学者、政治家に強要した。

「日本国憲法」が自主憲法であるかないかの議論は昭和が終わろうとする頃まで続き、読売新聞が米国の公開資料からGHQのMacArthur司令部が一週間で作ったことが暴露されて議論は収まった。

日本の民主党は、米国の民主党とは大違い。
分かりきった事だが、世界に珍しい日本の国を守らない愛国者がいない政党なのである。

【新型インフル】感染に見る・日本人の危機管理欠如

2009-05-10 22:19:45 | ちまたの噂・雑記事
【新型インフル】感染に見る・日本人の危機管理欠如

「大阪府立高校の男子生徒に国内4人目の新型インフルエンザ感染が確認された(産経新聞Web)」。
空港では、水際作戦で昨今検疫を強化していたために何とか押さえることが出来たのだが、2009/05/09の報道では高校生の、高校の対応について種々報道があった。
それは生徒ら3人の感染が判明した大阪府寝屋川市の府立高校では、校長が「『感染に備えマスクの着用などは指示していた。きちんと対応したつもりだが、こういう結果になったのは残念』(産経新聞Web)」
‥‥と説明していたのだが、読売新聞によれば多少違って「校長によると、4日に現地へマスクが到着したが、引率教諭は『現地でマスクをしている人がおらず、集団でつけていると奇異の目で見られると思い、着用させなかった』と説明したという。
そして、
トロントで大リーグの試合を観戦した5日夜、生徒の一人が発熱。翌朝に同市内の病院で診察を受けて風邪と診断され、抗生物質を処方された。この生徒が病院を受診した際に同行した教諭も6日夜に発熱。2人とも帰国時の機内検疫で症状が認められ、最終的に感染が確認された。」
「不特定多数の人間が集まり、感染の危険がある大リーグ観戦やナイアガラの滝観光などの日程を見直さなかったことについては「引率教師やコーディネーターと頻繁に連絡を取り、問題ないと判断した」と話した。」(読売新聞)
その上、この経緯が事前に府立高校のメールで教頭まで上がったのに対して、「高校側、大阪府教委に生徒らの病状報告伝えず(産経)」と校長は府教育委員会への連絡を怠っていた。

ことの原因は、新型インフルエンザ感染の恐れのあるところに短期留学してしまったことにあるのだが、こういう学校教育という面で門外漢としては、今は公立高校でも「短期語学留学」などをさせるのだなと初めて知ることになった。

さて、今新型インフルエンザ感染が騒がれているとき、しかもカナダでも感染があると報道されているときに多くの人が集まるところで、なぜ無防備になったのだろうと言うことではないか。
高校生が多数マスクをしていれば、「かっこ悪い」、目立ちすぎと思ったのかも知れないが日本なら未だに花粉症対策でマスクをしている人もいる。
実際、そこで目立たずに日本に帰ってきてから目立ってしまったのだが、巻き添えを食らった多くの人達も大迷惑だろう。
考えうるに、日本では危機管理という部分でやはり「平和呆け」をしているのだろうと思われてならない。
特に、学校教育関係者というどちらかと言うと「危機管理」の面でぬるま湯に浸かっているところでは、よりそうかも知れない。
そして、そう言うところと言うのは「羮に懲りて膾を吹く」ということも往々にして行うところで「ほどほど」とかという事も無い。
書道関係で元教師などの話を聞いていると1,500ccのファミリーカーに乗っていて、遅く走る大型車(ベンツクラス)に夜中パッシングして追いかけられたり、自分が一番正しいと思ってやったことが世間一般とずれたり笑い話が多い。

この新型インフルエンザの感染というのは、最近の報道によると未成年の感染多いらしい。それは、何か昔のインフルエンザの型に似ているらしく年寄りには抗体に似たものがあるらしいと言う事だそうな(正確なところは不明)。

花粉症の時、花粉症の症状が出でいないか軽い、子供にマスクをしろと言っても中々したがらない。
人間言うものは、いつも痛い思いをしない限り用心も又懲りないのかも知れない。
但し、ウチでは今年のインフルエンザ流行の次期には、マスクを欠かさなかった。
だから、誰もインフルエンザに罹らなかった。

地方では、車で移動するから感染はスーパー・流通センターその他人混みの多いところ。そんなところで、インフルエンザが流行していないと高をくくると必ず感染すると言うのがインフルエンザ。
今回の新型インフルエンザに関しては、高校の対応があまりにも杜撰なものだったと言う事だ。

地域・町内・会計に無知な、どこの団体も奇妙な決済報告

2009-05-09 00:05:58 | ちまたの噂・雑記事
地域・町内・会計に無知な、どこの団体も奇妙な決済報告

今頃になると、各種の団体が会計決算を行う。
この前の社団法人の書道協会のように簿記、会計に関して素人の集団が監査だとか会計報告だとか行う。
この社団の場合毎年報告書の数値が合わないなど当たり前で、その上の会計原則を無視していたりするから目も当てられない。
‥‥と言うか本当の資産管理がさっぱり分からないと言うものである。
そして、今日は町内の総代会という自治会の最高決定機関の会議に出できた。
総代会のメンバーは、組長役員の他町内から選出された委員など。
小生の場合「青少年育成推進委員」という市内パトロールを委嘱されている。
県、市、警察その他から委嘱状を何枚も持たされて、訳の分からぬ内に2年目を迎える。今年は町内会長の改選期と言う事で、三期目を現町内会長が継続することになったが、他の議題でも質問する者が誰もいない。
それで何回も小生が下らないことを質問することになったのだが、その最大の妙なのが予算・決算書。



なぜなら、決算で「次年度繰越金」が100万円(967,289)くらい出ているのに、来年度予算では「次年度繰越金」は0になっているからだ。
昨年度の繰越金も0なのだが、実際は786,110円。
そしてもっと奇妙なのが、毎年「前年度繰越金」が予算として計上されている。
要するに、予算・決算書の会計報告を見て一目で、「赤字なのか黒字なのか」分からない書き方なのである。
「次年度繰越金」が0というのは、公官庁のように単年度決算という分けなのだが、毎年使い切ってしまえば町内の資産がなくなると言うことで又問題である。



それでどういう事が起きるかというと、毎年使いもしない大幅な会議費その他の予算を組んで余す。
昨年の決算を見れば、同じような使い方なら同程度の支出のはずなのに、全収入340万円の町内会で全項目に亘って10~20万円以上多い予算をつけている。
これでこの予算通り使ってしまえば、単年度の収入より100万円近く多く使ってしまう事になり赤字。
そして、翌年度の予算が立たない。
要するに、予算を立てたもののどんぶり勘定という決算だと言うことである。
町内の決算に限らず団体会計決算というは、過去と比較して資産がどれだけあってどう使われたかと言うことを明確にすることである。
だから使いもしない大幅な予算を組むというのは先に述べたように、予算を組んだ意味がない。

そう言えば、以前誰からか指摘されだが、毎年変わらない出鱈目な予算決算である。
そしてもう一つ笑わせるのが「防災委員会の結成」である。
しかも、その防災委員会のメンバーが町内の役員だからド素人ばかり。
地震の時は、何でもかんでも外へ出て避難すればよいと言うものではない。
仮の防災地図に示されている小学校の建物は、昭和37年落成のもの。
しかも当然耐震補強はされていない。
大地震が来たら、そんな建物は危なくてしょうがない。
鉄筋コンクリート造(RC造)だから安心と言えない、木造建物が一概に危険だと言えないのは、あの阪神大震災を見れば分かること。
その上、避難路に指定されている細い6m道路は、何と高いブロック塀が廻っている。
「応急危険度判定士」だけどねと前置きして、こんな事まで言わなければならないと言うのはどうしたものだろうかと思う。
そして、防災委員会役員は「会長、副会長、幹事(防災委員・消防団員・民生児童委員・老人会長・組長・自治会書記・小学校/町代表)」と言うから、「青少年育成推進委員」の小生は当然入らない。

全くやれやれなのである。

時代遅れの「老害」放送に大橋巨泉は出で来るな

2009-04-14 23:59:47 | ちまたの噂・雑記事
時代遅れの「老害」放送に大橋巨泉は出で来るな

早くオーストラリアへ帰れ。カナダへ去れ。

2009/04/14文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」の「大竹のメインデッシュ ゲスト」は、大橋巨泉氏だった。
春先暖かくなった4月1日から日本に帰ってきているそうで、何時もの通り渡り鳥の様な人物だ。兎に角、6月からカナダへ行くまで騒がしいわけだ。
そのためなのか、近年特に大橋巨泉氏は「空気の読めない人物に」なりつつある。
人間75歳にもなれば誰でも「頭は固くなる」し新しい状況には馴れない。
それでも日本にいるなら何となく世の中というものが読めそうなのだが、大橋巨泉氏は長年住んでいるオーストラリアやカナダの状況にも何も読んでいない。
以前聞いたことがあるのは、オーストラリアやカナダには「お客さん」として住んでいるから、何も係わり合いを持たないのだそうだ。

そして、今日はなぜか森田健作・千葉県知事へ止めろコールだった。
辞めて欲しい人物、千葉県知事森田健作、麻生総理、小沢一郎代表。
二番目、三番目は、今更大橋巨泉氏に言われると言うより、言い古されて聞き飽きた件。文化放送としては、週刊朝日の編集長をゲストに呼んで「森田健作の違法献金と錬金術」のさわりを言わしているくらいだから、第一の森田健作・千葉県知事の引き下ろしを画策している気配がある。
そこで大竹まこと氏は、週刊誌で森田健作・千葉県知事の件は取り上げても新聞各紙はほとんど報道されないと不満げの演技を繰り返していた。

ただ、最近は便利になって「森田健作氏を告発する会」を立ち上げた「吉川ひろし(千葉県議)」と言う人物がどんな活動をしているのかあからさまにわかる。
ネットで調べたら
吉川ひろし(無所属市民の会)氏は、
「新会派は『平和憲法を護る』の1点を共通理念とし、何事も徹底した話し合いを基本とし、会派拘束はかけないことを確認した。」(川本幸立(市民ネット)ブログ)
という千葉県議4人の会派「市民ネット・社民・無所属」。
名称から分かる通り、社民党に近い護憲派と言うことが良くわかる。
そして、告発する会の県議は、この市民ネットワークのメンバーでもある。不思議と社民の一人は世話人には入っていない。
だから、
11月29日未明のパトリオットミサイル搬入阻止行動
として、
「≪市民が主催≫ (市民と超党派の議員が呼びかけています)「パトリオットミサイル配備に抗議する12・1集会・デモ」へ結集して下さい!!!!!」(2007)
と言うものもあった。
「10・5三里塚全国闘争」「市東さんの農地取り上げに反対する会」の世話人。(2008)
「三里塚(成田)軍事空港反対!! 市東孝雄さんの農地強奪を許すな!!」
成田空港というのは、軍事基地だったっけと時代錯誤を思わせまる。
その他、「首相が靖国神社に参拝することの是非」に関する生アンケートに関するもの」に関して電話世論調査で 参拝に賛成・・・63%という数字が出たのに対して、「世論操作紛いのNHKの首相参拝欠陥アンケート」として言いがかりをつけている。

こういう事からもて見ると、成田闘争にも参加する千葉県では「札付き」のお騒がせの極左人士と言う事が良く分かる。
そして、こういう人達の習いとして、ブログなどはほとんどコピー&ペーストという同じもの。
まあ別にうちの方としては千葉県民でもないし、千葉県知事森田健作氏にも興味はないが、選挙の得票数から見て、取りあえずやらせてみたらというのが一般人の考え方だろう。

大橋巨泉氏は、森田健作氏と小沢一郎氏と一緒にするが、小沢一郎氏は東北の公共事業談合に関わりがあり、現職の国会議員。
一方、森田健作氏は自民党の支部長とは言うのもも、国会議員でも公務員でもないただの人だった。
ただの人だから、職務権限は当然無いし、確実に知事になるとは限らなかったから利権も生じない。
問題はあるだろうが、同一には論じられないのではないだろうか。

たまに出る大橋巨泉氏だから政治ではなく、経済の事でも言って欲しかった。
何と言っても、今不景気で金がないというのに、大橋氏はどう考えても裕福そうではないか。そして、何か慈善事業をしているとか、奨学金を出しているとか、大金を寄付したとも聞かない。
時代遅れの老人は、単なる「老害」にしかならないと言う実例の見本なのではないか。

遅咲きの「桜の花」を見て思うこと

2009-04-11 23:46:16 | ちまたの噂・雑記事

遅咲きの「桜の花」を見て思うこと


今年の桜の開花は一週間ほど遅く、咲き始めたかと思ったらあっという間に咲き、満開になってしまった。
だから街の中心部のある市立図書館の桜は、丁度公立小中学校の入学式に合わせたように満開になった。



8日に写真を撮るのでよくよく見ると桜の木は巨木になっていた。
この図書館が出来る前は、理容学校だった。
子供の目で見た理容学校は、校庭を使うわけでもないのに広い校庭があって、梅雨の頃は水たまりが沢山出来ていた。
そして、春と言えばこの桜の木だった。
この桜の木の下を通って登校した思い出があるから、咲くのは遅かったのかも知れない。
しかし問題だったのは、手入れが良くされていなくて「毛虫」が至る所に落ちていた。桜の木というのは、栗の木、柿の木と同じように毛虫の巣窟だった。
それで、桜の季節は反対側の道路を帰ったものだった。

何時も桜の木を眺めることなど無かったのに、今年はなぜか桜の木の下を通ることが多かった。
そして、今日は昔通学路にしていた「寺」の前の桜を久々見た。
 


寺の横に住んでいた同級生がいて、材木が沢山置いてあったから建築屋だったろう。
その北側の路地には、昔の恩師の自宅があった。
見てみたら古い平屋の家だったところには立派な新築の家が建っていた。(表札は未確認)
北側の小学校の通学路沿いにあった家は無くなり、駐車場になっていた。

昔中学からの帰り道、通学路など指定があったのかは覚えていない。
少なくとも舗装された道などほんの中心部だけだった。そこを春は埃にまみれながら通学した。
この寺の廻りも未舗装だったはずだった。
ここを別の小学校出身の同級生と一緒に帰った事も何度かあった。
その時の同級生とは、今ほとんど県外に在住して会うこともない。

通常通学路の方は、今では結構交通量の激しいところだ。
昭和初期は、国道など無かったからメインストリートだった。
その道に沿って、桜の花が咲く公園がある。
その公園の昔は、当然ながら方形の形をしていた。しかし今は角の一番良いところに総二階建て事務所兼住宅が建っている。
通学路で毎日見ているのだが、公園の角に、あるとき建築の現場事務所としてよく使うプレハブの事務所が無造作に置かれていた。
それも、1年ほど放置されていた。
その内に事務所として使われ始め、ついには家が建ってしまった。
なぜなのか、その家を見るとそう思う。以前は、公園の冊があった筈なのにである。
昔は色々妙なことがあるものだ。



庶民感覚無視・無駄使い・東京都下水道局のワッペン騒動に驚く

2009-04-10 22:03:08 | ちまたの噂・雑記事

庶民感覚無視・無駄使い・東京都下水道局のワッペン騒動に驚く

2009/04/10の読売新聞一面は、「東京都下水道局が職員の制服用に作製したワッペン2万枚について、デザインが都の内規に反するとして約3,400万円かけて作り直した問題」というこの不景気に大盤振る舞いしたスクープだった。
その後「都のワッペン2万枚無駄に 3,400万円出し作り直す(産経Web)」で後追い報道があった。
その批判に対して、東京都下水道局総務課は「ワッペンは長期間使用するもので、内規に反していることを知りながら放置するわけにはいかなかった。大きな追加支出をしてしまったことは遺憾」としているのだが、驚き溢れるものだ。

こんな無駄なことは、多分石原知事なら「立腹」と思ったら案の定「バカじゃねえか…幹部は処分…ワッペン作り直しで石原知事」(読売Web)という記事があった。
読売報道によると
「内規は、マーク制定の1,989年(バブル時代)に作られたが、都の担当課は『使用方法で混乱しないよう一定の約束事を設けたが、強制ではない』としている。」からまた驚くというものだ。
どこの会社でも規定というものを作ることがあるが、「強制基準」と緩やかな「基準」などがあるのは当然なのだろう。
緩やかな基準というのは趣旨が合えばと言うもので、「ワッペン」などどうでも良いようなものだろう。
そして、普通金をかけて作ってしまえば、それを使うのが民間感覚なのだが、この不景気のご時世に「ハブル時代」を彷彿とする感覚が官庁にある。
これは官庁というものは、未だに「ハブル時代」の感覚が抜けていないと言う事を証明するものだ。
これも東京都という、小さな国の財政規模に相当する富裕な自治体だから出来ること。
全くあきれたものだ。


モラル・ハザードを生むAIG存続

2009-03-16 21:46:45 | ちまたの噂・雑記事
モラル・ハザードを生むAIG存続

「再建中の米AIG幹部・賞与6億円」と読売新聞(米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版))が報じている。
「約400人の幹部社員に対する2008~09年の2年分のボーナスとして計4億5000万ドル(約440億円)の支給を計画していると報じた。」
「08年分のボーナスとして、5500万ドル(約53億円)が昨年12月に、1億6500万ドル(約162億円)が今月13日にそれぞれ支払われたという。」
このボーナスが「主に、AIGが巨額の損失を抱える原因となった金融商品を担当する部門の幹部向けに支給された。」というから盗人に追い銭というものだろう。

ここで考えられるのは、なぜAIGを破綻させなかったのかと言うことだ。
破綻させれば、保険の支払いも減額され当然AIGの元幹部に対するボーナスもなかったかも知れない。
それだけでなく、AIGが販売していたのは「金融機関が保有する住宅ローン担保証券などが債務不履行を起こした際、その元利払いを肩代わりする金融派生商品『クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)』」。
こんな米国の金融不安の元凶になったような証券なら、いくら損失が膨らむのか分かったものではない。
「政府による支援額(計1733億ドル=約17兆円)のうち、54%に当たる937億ドル(約9兆1000億円)を欧米の金融機関への支払いに充てたと発表した。」とAIGは発表したが、保証を受ける方も結構虫の良い話だ。
早く保証して貰ったもの勝ちとはこのことだろう。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は3月3日、
「追加支援を決めた米保険大手AIGについては、『基本的には巨大な保険会社に付随したヘッジファンドだった』との認識を示した上で、『多くの無責任な賭けをし、巨額の損失を被った』と批判した。」とするが、ヘッジファンドならなぜ破産させて整理しないのか。
「シティバンク」は政府管理下の銀行になったが、これも本来整理して破産させるべきなのだろう。
多分そうでもしなければ、米国の経済不安は解消しない。

それにしても、米国では破綻しているような金融機関などを政府管理下に置いて保護したために、非常に妙なことになった。
それは、AIGの元幹部を見れば良き分かることだが、AIGが破綻しても一生遊んで暮らせるくらいの巨額のポーナスを受け取って破綻した責任など何も取らないからだ。
他にも、リーマンショックの絡んでその原因を作った人々は、米国政府の救済合併などによって、上手く逃げた遂せた人々が多い。
今回の米国を端にする金融不安は、実際のところ「責任者」が責任も取らず、巨額な金を持って逃げしてしまったと言うことではないだろうか。

昔から、欧米では必ず不都合の責任者をあぶり出して責任を取らせると言うのが伝統だった。
だから、Nuremberg(ニュールンベルグ)裁判でナチスを裁き、責任者が明確でない日本では「責任者をでっち上げて」責任を取らせた。

日本の場合、官僚というのは重大な権限を行使するのにその責任を取らない。
実際、日本では政治家でさえ責任を取らない無責任体制だから物事が改まらない。

米国も今回に限っては「無責任体制」になってしまった。
誤りの責任を取らせないと言うことは、そのものから離脱出来ない。
もし最後までそうだとすると、この不況は中々収まらないだろう。

女性の特質を無視する女性化学者の「男女共同参画」談義

2009-03-08 01:13:57 | ちまたの噂・雑記事

女性の特質を無視する女性化学者の「男女共同参画」談義

日本化学会「化学と工業」2009年3月号Vol62-3に‥‥

「女性化学研究者・技術者のワークバランス」

「日本化学会男女共同参画推進委員会が目指すもの」

という「委員長の招待席」というコラムがあった。
コラムと言っても、変形A4型冊子の3ページを割くほどの堂々としたものである。
ここで「男女共同参画」と言う言葉が出てくると、又例のあれなのかと言うと正に紛れもない。
なぜなら「なぜ、いま、男女共同参画なのか」という書き出しを見れば、単なる人数合わせの「男女共同参画」だと言うことが良く分かる。
その書き出しはこうである。
「最近、新聞や雑誌で『男女共同参画』という用語をよく目にします。“女性小国”として世界に知られる日本がようやく男女平等社会を目指し始めたのです。‥‥‥」
中略
「日本では、この数値目標が2005(平成17)年の男女共同参画基本法(第2次)の実現目標『2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%にする』として、ようやく日の目を見たのです。いま、“202030”は、男女共同参画のキーワードの一つになっています。」
それで、日本化学会の場合は、全理事27人中1名。
「30%は夢の数値と言えます。」と言うのだが、女性正会員数の割合が8%と言う数字でどう考えても無理な話だ。
続いて、学生会員に占める女性割合は19%でその人達が正会員になって活躍することを期待するという。
期待するのはかってだか、実際その様には行かないと言うのが実態なのではないかと思う。先ず第一に、学生会員の内のほとんどは企業に勤めると学生会員を止めると言うことである。
なぜなら、日本化学会に関する企業ならば会社が加盟しているために個人加入する必要がないことと、日本化学会に関係しないところならば会員でいる必要がないと言うことである。
そして、委員長の世代では工学部に占める女性の割合は、一学年で0~10というのは相場であり偏差値が高い方に行くほど0に近い。
そして、研究者になるのはわずかな例外以外、皆無に近い。
理由は、多くの男性の中で女性1人くらいだと良くもてると言うことだ。
又、噂に聞いたのは、当時の名古屋工大には女子学生がいなかったのだそうな。

理学部化学科、農学部農芸化学科と言っても、学部全体数が少ないだけでなくやはり女子学生が少なかった。
理由は簡単である。
親元を離れて就職しなければならなかった、そして仕事がきついイメージの上に待遇が良くなかったことにつきる。
当時、地方のトップ高校で主席1番でも、地元の教育学部に進学して小中の義務教育の先生になったのである。
そして、教師になれる安定した職場環境があったし、一般公務員に比べ待遇が良かった。
それが、今は地方では教員の職がない状態になって、高校でトップなら医学部へ進学するようになった。
東大だとか有名私大に進学するのは、二番手以下である。
なぜなら、今や東大や京大を出でも「お笑い芸人」や「タレント」になる有様だからだ。
弁護士‥‥と言っても、今は年収200万など当たり前の世界。
医者なら地元に住めて、その上勤務医で最低年収1200万。
場合によっては税抜きでだ。
‥‥と言うわけで、医者の世界に女性進出したお陰で女医が結婚と共に開業して、病院を去るような事になって医師不足に拍車をかけたのかも知れない。

一方、旧国立大学、特に駅弁大学の理・工学部は今や女子学生で一杯だ。‥‥と言っても昔に比べての話。
なぜなら、この手の「駅弁大学の理・工学部」。
その昔、共通一次試験と呼ばれた試験が始まる前の「一期、二期」と呼ばれた頃は偏差値で60~65~67もあったところが軒並み偏差値50。
聞けば、「駅弁大学の理・工学部」に進学すると、馬鹿にされる世の中になったと言うのだ。今や、理系よりも文系の方が、そして旧国立より公立の方が偏差値が高いという全く逆の現象になった。‥‥有名私大と比べてはお話にならないが。

こんな今の風潮から見れば、今後女子の学生会員が大学の研究者として残るというのはごく希だと推察される。
要するに、正会員として残らない。
もし、この委員長の思惑通りにふやしたがったら、化学者の待遇を劇的に改善するしかない。
年収1000万以上の上に、地元勤務。
こんなことは、まあ100%あり得ない。
なぜなら、化学者と言いながら資格を持った専門職でなく、所詮労働者であるからだ。
その資格というのは、単に化学系の大学を出たという程度。
薬学部を出で薬剤師の資格を持っていた方が何倍も有効だ。但し薬学部は6年生になってしまったが。

そして、著者の委員長氏は、化学に留まらず「研究者に占める女性割合の国際比較」で日本は最下位(13%)だと述べている。
表を見てみれば、最上位からラトビア、リトアニア、ブルガリア、ポルトガル、ルーマニア、エストニア、ロシア、スロバキア、クロアチアまでが40%を越えるところ。
見てみれば、旧共産国だったりロシアから独立した小国だったりする。
いっそのこと割合でなく人数で示して欲しいものだという「割合」の魔術というものだ。
しかも、近年この国々からノーベル化学賞などを取った人はいない。
ノーベル賞というのは、ほとんど米国でその中に幾人か混じる程度である。
だから、ここの挙げた「研究者」の多くが学者と言うより「教師」に近いのではないかと思われるものである。
実際の統計というものは良く分からないが、科学、技術の分野では性別よりも「実力」であって、実力がないのに「指導的地位」につこうとすると、‥‥
「早大松本教授のIUPAC副会長辞任と本会の対応について」と日本化学会誌「化学と工業」Vol59.8August2006/の「お知らせ」に掲載されている様なことになる。
(2006年6月28日に日本学術会議を通じて、国際純正・応用化学連合(IUPAC)副会長辞任。女性として初めてのIUPAC会長に就任する予定であったというから結構大事件。
尚、IUPACは、世界66か国が加盟する化学の世界組織であり、この分野では「国連」に相当する。松本教授は研究費流用事件から、論文捏造まで発展していろいろと疑惑がもたれる人物である。)
過去のエントリー
(言語能力と実験研究‥女性科学者の擬問http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=266592)

本コラムでは、女性がどの時期に子供を産んで子育てをしてというシミュレーションをしているが、かなり無意味に近い。
なぜなら、著者の様に優秀な研究者がいたとしてという前提の元、多くのハードルがあるからである。
そして、米国の女性研究者にも触れているが、女性の体力の差というものは、欧米人とは大きい。
又且つ、研究者というのは所詮体力勝負だと言うことにつきる部分には不思議と言及していない。
まあ、言及すれば「男女共同参画」という趣旨に沿わないという訳なのだろうか。


雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

2009-03-03 19:54:33 | ちまたの噂・雑記事

雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

今日のニュースには、「文芸春秋のオピニオン誌の月刊「諸君!」が、5月1日発売の6月号で休刊することが3日、分かった。」(産経新聞)
「諸君!」と言うのは、実は最近書店で売っていないことが多い。
あっても1冊か2冊程度。
この現象は、ここ2-3年のことなのである。
この手の保守派の雑誌というのは、最近では公立図書館にも置いてあるようになって大分普及してきたように思う。
しかし、本屋に売っていないのであれば販売部数が増えるはずがないと言うものだろう。
ここで穿った見方をすれば、発行部数を徐々に減らして意図的に廃刊したのではないかという疑惑だ。
なぜなら、本家「文藝春秋」は元々保守派の雑誌と言う事になっていたが、左派系の雑誌が廃刊になったために今では、保守派の最左派、左派論壇と呼ばれるようになってきた。
この様な疑似保守派、左派系論壇の特徴というものは、物事を大上段に取り上げるものの最後は尻つぼみで結論を言わないというところにある。
だから、「それでなんだ」と問い詰めたいところなのだが、結局曖昧にして逃げしてしまう。
残るのは、大上段に構えた中身の伴わない「見出し」だけである。これではゴシップ週刊誌と同じではないかと言うものだが、「文藝春秋」も似たようなところがある。
それに比べ「諸君!」は、はっきり物を言う雑誌というか、はっきり物事を言う論者の文章が掲載されている。
そうは言うものの保守派と今では似非保守派と変貌した論者のまだらな論壇である。
「諸君!」でも以前は「保守派」として通用した人達が、時代の変化、又隠されていた真実が明らかになるにつれ「左派人士」に数えられるようになっている。
以前は、秦 郁彦氏なども「諸君!」に保守派論客として登場して喝采を博したものだが、よくよく読み返してみると本当は妙だったりする。
そのためか、その人達の追求が昨今「諸君!」(例、「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹二)紙面でもなされている。
そして、保守派論壇誌でありながら「保阪正康  ナショナリズムの昭和(41)」という昭和史の虚構を掲載し続けているというのは実に妙であった。
保阪正康氏の「ナショナリズムの昭和」が虚構であるというのは、マッカーサーによる検閲によって言論統制されていた新聞、雑誌を端にして論考をしているからである。
そしてその検閲に協力するか、GHQの検閲を恐れて事実をねじ曲げた世情、政治をそのまま昭和の「本当の歴史」として綴っている憤懣さに尽きる。
これは、西尾氏が批判している秦 郁彦氏などと同じトラウマに毒された人物で、同じ様に新たに明らかになった歴史的な事実を無視する。
それで、日本に不都合と思われるところは、不確実なものまで積極的に取り入れる姿勢である。これは、正に東京裁判史観というものなのだろう。

こんな風に穿った見方をするとすれば、今では論壇「左派」になってしまった「文藝春秋」の政治認識に対して、「諸君!」は右に寄りすぎていると思ったのではないかと言う事だ。

実際、「諸君!」を出している文藝春秋社というのは、妙な会社だと思ったもので、休刊、廃刊となれば、やはり「諸君!」論調には耐えられなかったかと思うものである。


「ホームレス中学生」麒麟・田村裕氏のお寒い精神構造

2009-02-17 16:02:04 | ちまたの噂・雑記事

「ホームレス中学生」
麒麟・田村裕氏のお寒い精神構造


2009年2月16日日本放送「テリーとたい平 のってけラジオ」に麒麟・田村裕氏が登場した。
題して「1ヶ月のホームレス生活から印税2億円の結末は」なのだが、特集テーマは、「スペシャルプログラム『これで人生大逆転!幸せつかむ3つの魔法!』」
田村裕氏の「幸せつかむ3つの魔法」とは、
・ピンチはチャンス
・ノープライド
・笑顔
と言うのだが‥‥   
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田村裕さんの幸せつかむ3つの魔法】
1.ピンチは、チャンス→
「何で俺が・・・」と嘆く前に、「こんな体験めったに出来ないぞ」と思えるように
2.ノープライド→
プライドを持たずに全てをさらけ出せば、道は開けると知った。
3.笑顔→
結局、楽観主義が大事。どんな状況でも笑っていられるようにと思っています。

「テリーとたい平 のってけラジオ」HP2009/02/16版より
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麒麟・田村裕氏というのは、「ホームレス中学生」という自叙伝で有名になって、お笑い芸人としては、元々余り知られていなかったような人物だ。
それで「ホームレス中学生」から一躍時の人となって今に至る。
しかし、小生は「ホームレス中学生」を読んでいない。
なぜかと言えば、TVなどにで出て来た麒麟・田村裕氏と書評で大好評な「ホームレス中学生」の主人公とは違うのではないかと思うことだ。
そして、ラジオでその生き方などを聞いてみると益々違うと思わざる終えない気がする。
本の書評の95%のまでが、「高評」で「田村さんの優しさ、謙虚さ、人柄が感じられて好感が持てます。」と言うような事が大方一致する。
その他の少数が、どうも脚色しすぎではないかという実際の事柄との乖離を指摘する。
例えば、「破産」という事になって「差し押さえ」の紙が貼られたとする。
しかし、 実際に生活に必需品というのは差し押さえすることが出来ない。なぜなら、憲法で保障されているからである。例えお金があったとしても、「生活費」と言う名目ならこれも保障される。
だから、「ホームレス中学生」本人の学校の教科書などのものなど、差し押さえの対象にもならない。だから、何も持たずに野宿するというのは考えられない。
又、他の兄弟もしかりなのである。
して、もっとおかしいのは社民党党首「福島みずほ」氏が(子供が18歳になったら家族解散式をすると常々)主張するように、父親が「家族の解散式」をやって蒸発してしまうことだろう。
そんなことはともかくも、麒麟・田村裕氏と言うのが今時珍しい境遇で育った事は分かる。
そして、その境遇から学んだことが上述の3箇条なのかと思うとうら寂しいものがある。又「書評」にある通り、田村裕氏は「他人による施しによって」助けられたのであって、
そのような助けを受けられない、より過酷な境遇で成功している人物もいるからある意味幸運と言うべきなのではないだろうか。
考えてみれば、親戚は縁者はいないのかだろう。
実に不思議な家族なのだ。
TVでの印象で非常に妙だったのは、日テレ系の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で「相続」と言うことに関しての議論だった。
題材は、「相続」の禁止の否か。
田村裕氏は、森永卓郎氏も太田光氏と同じように「相続」禁止派に属し、子(孫)に残すものはないとか、子供は無一文で‥‥と言うような事を言っていたような気がする。
相手は、狂言師の和泉元彌。
伝統芸能だから、先祖伝来衣裳の継承など伝統芸能と「相続」とは切り離せないものがある。そこで衣裳などは、太田光の「和服を洗えばよい」という無知な発言に苦笑という馬鹿な場面もあった。
ここで、森永卓郎氏もオモチャ博物館のようなものを作って実際「相続」とは縁が切れそうもない人物だが、言行不一致の人物であるが故に無視する。
しかし、この田村裕氏は和泉元彌氏の意見を聞いて呆然としていた顔が忘れられないのである。
さて、「ピンチはチャンス」‥‥何か意味が違うのではないかと小生なら思う。本来この体験から何か別の「考え」が普通浮かぶはずなのではないか。
この言葉はよく言う事なので、多少軽薄感を覚えるというものだ。
2.ノープライド
これも微妙に違う。
ノープライド‥‥とは、本来「誇り、自尊心、矜持(きょうじ)」と言うものは、本来持っているからこそ一時的に捨てられるのであって、人はその「プライド」を取り戻そうと努力すると言うのが本来の姿だ。
そして、その「ブライド」が捨てられない、「馬鹿になりきれない」からろくな事にもならないと言うこともある。
しかし、「ノープライド」ではない。
そして、「テリーとたい平 のってけラジオ」のHPでは「プライドを持たずに全てをさらけ出せば、道は開けると知った。」と書いてあるが、実際はそんなことを言っていない。
言っているのは「プライドを持たない」「貧乏は怖くない」なのである。
別の言い方をすれば、「人に集って(たかって)生きる」と言うことである。
依存心が強く、「奴隷の平和」を享受するのを本望とすると思えてならない。

そして、3.笑顔。
これだけは良しとしよう。

ここので書いてくるとやはり妙だと思うのは、田村裕氏は多少嘘をついているか、つかされていると言うことだろう。
書評に戻れば「優しさ、謙虚さの人柄」なのだが、どう考えても決して「優しく」ない。
なぜなら、「相続」の場面でも見られたように、自分の子供にも辛い思いをさせても構わないと言うふしがある。
それは、「貧乏は怖くない」と主張することであって、本当は「怖い」に違いないのである。
そして、もし過去の自分と同じようなことが起きれば、自分を守るために容赦なく自分の父親と同じように「家族を捨てる」という事も想像させてしまう。
はっきり言って、田村裕氏の父親も「自分だけが可愛いエゴイスト」。
田村裕氏は、種々のインタビューを聞いてみても「感謝する」「恩返しをする」という言葉は聞こえなかった様な気がする。
そして、田村裕氏が言っていたのは、「ホームレス中学生」の印税で家を父親にプレゼントするという事だけである。
結局、田村裕氏というのは「身びいき」で、自分から何か貢献しようという感じが見られない。当然、世の中の役に立ちたいという「矜持」は見られない。
女性から見たら、こんな人物に将来を託すとは思わないだろう。
理由は、今まで述べてきた事で事足りるのである。