子供達と若いお父さん方は、18日にバーベキューがあったと言うことですが‥‥、年寄り?は今日、町内の安い中華料理店での宴会になりました。
最近では、町内の行事に余り出なくなって、何やら行きにくい雰囲気もあるかなと思うところ。
でも行ってみたらそんなことはなかったですね。
さて、まつり最終日の写真は‥‥

夕刻になって、何やらうら寂しく帰るところ‥‥ここに写っている人のほとんどは、子供の宴会の方。

旧利根川の川底の下町から坂を上るところ。
この道は、五間道路といって戦前はメイン道路だった場所、今では道路名でさえ知られていません。
物心ついた頃は、なぜ坂道があるのか不思議に思いました。
そして、元々は国道17号という道はありませんでしたし、多少広かったのも今の50号の起点まで。
この南に下ると元々は沢だったらしく、雷雨になると雨水がこの道路に集中します。
そして、厩橋城の堀がこの道に沿って点在していました。
これは、昭和16年の前橋市の地図を見ると明白に描かれています。

県庁の通りに近くなったところ、未だ坂道は終わりません。
もう少し行くと、今度は南に道が傾斜しています。
前橋と言うところは、群馬の山間部から出てきて丁度平野が広がるところ。
利根川の扇状地です。
それと、前橋市は河川敷でもあるので20m掘ると利根川の砂利になって地盤が良くありません。
一方の北の渋川に行くと、市全体が「岩盤」の上にあるので地震でほとんど揺れないと言います。

ようやく公民館に到着、後からもう少し郊外の山車が通過します。
多少坂道ですからスピードが出ます。この坂は関東平野全体の南東へ傾斜しています。
関東平野全体が、利根川と荒川の扇状地とも言えます。

続けて二台。


後は、山車の飾り付け解体と後片付けが残っています。
今日19日の打ち上げで、祭りは完全に終わりました。
来年は、どうなるのかと言うところでしょう。
ちなみに、山車には中学生以上は乗りません。
小学生で終わりと言うことになります。
小生が小学生の頃は、実は別の町内でした。その後、町名変更に伴って、町内の組み替えがおきて今の組になったと言うわけです。
その時の公民館も潰されて、昔の歴史は塗り替えられてしまいました。
だから、昔、子供時代は山車を引かせて貰えず、当然太鼓を叩いたこともありません。
その当時は、子供も多く山車を引く後にゾロゾロとついて歩いていました。
又、山車と言っても、太鼓を叩くというのは随分後になってからです。