その6
【幼稚園の中のもう一つの幼稚園・年中時代2】
この頃、幼稚園のカリキュラムというのは単純だった。
その単純さは戦前からの、単に子供を預かっていればよいと言う感覚なのかどうか分からない。そして、ベビーブーマーが存在した頃というのは、既存の幼稚園、保育園などに人数的に行ける筈もなく、又通ったという人達は少なかった。
そのベビーブーマーの世代が過ぎ去った時代というのが、ほぼ全員幼稚園か保育園に行くという時代の流れだった。
但し、名目上席を置いていても、幼稚園に行っているとは限らないのが面白いところ。
実際、一年間で数回しか見た事がない(出席していない)園児が、卒業式だけにはキチンと出席して、何も問題がなかったこともあった。
そんな幼稚園だったから、運動会や遠足の予定というのはその時の思いつきの様なものだったのかも知れない。
そして、今も当時も幼稚園では必須という、秋につきものの運動会というものがなかった。
そんな中で、「リンゴ狩り」の遠足(?)をするという話が、幼稚園内で密かに持ち上がっていた。
市街地を外れると直ぐに赤城山の麓になり、りんご園や梨園が国道沿いにあちこちにあった。
実施時期は、限られた人達だけ知っているある日曜日。
公知されていなかった「リンゴ狩り」の遠足だから当然、うちの母のところには話がなく知らなかった。
そんな話を偶然母が耳にしたのは、月謝を払いに行った幼稚園でである。
それは何かと言えば、月謝を払いに来た父母(保護者)個別に、幼稚園側は「リンゴ狩り」の遠足の紹介とその出席の確認をしていたからである。
だからリンゴ狩りの遠足の話を知ったのは数日前である。
そんな話を聞いて、うちでもリンゴ狩り詳細を聞くと、募集していながら「個人的な集まりなので」諾(むべ)もなく「参加できません」と言うことらしかった。
しかし、行くりんご園と日時だけは後で聞いてきたようだ。
秋の一日、リンゴ狩りに行けるのか行けないのかはっきりしないままに、ある日曜日。
「土曜日にりんご園を見に行って、入園の確認もしてきたから」とか母は言って‥‥
その薄曇りの雨の降りそうな日に、お弁当を持って母に連れられて路線バスに乗った。
あるバス停が近くなると、「ここで‥」母が言って下車した。
国道沿いに少し歩くと、見逃してしまいそうな小さな入り口のある小さなりんご園があった。