江戸から東海道で五十二番目、中山道で六十八番目の宿場になる草津宿の本陣は
天保14年(1884年)当時の姿を、ほぼそのままにとどめている。
表門をくぐると、中央に式台を持った玄関、その先には長い畳廊下が延び、両側に従者、
奥に主客の休泊する部屋や主客用の湯殿や台所があった。
この本陣屋敷は、建坪468坪、部屋数は30室余りもあったという。
宿泊した大名たちの名札が今も残っている。
向かい上段の間。
(つづく)
江戸から東海道で五十二番目、中山道で六十八番目の宿場になる草津宿の本陣は
天保14年(1884年)当時の姿を、ほぼそのままにとどめている。
表門をくぐると、中央に式台を持った玄関、その先には長い畳廊下が延び、両側に従者、
奥に主客の休泊する部屋や主客用の湯殿や台所があった。
この本陣屋敷は、建坪468坪、部屋数は30室余りもあったという。
宿泊した大名たちの名札が今も残っている。
向かい上段の間。
(つづく)