この頃、私たちの低温研究室は、たいへんの繁昌である。
そろそろ夏休みが近づいて、構内の楡と芝生とが、鮮やかな初夏の緑のよそおいを完成するにつれて、例年のように、東京からの修学旅行の組がいくつも訪れて来る。そしてその時期が過ぎると、夏休みに入って、よく学会などがある。この近年は、夏の北海道で学会をすることが流行るらしく、毎年二つや三つの会があるのが普通になっている。
修学旅行の人たちも、学会のお客様方も、よく低温室を見に来られる。夏の北海道で雪の結晶を見るというのが、何か言葉の上からも、一つの魅力(アトラクション)になるのかもしれないが、要するに、分かりやすいからであろう。
<中略>
もっとも書いてみたら、まだ完成もしない研究のことを、むやみと広告ばかりしているようになって、少々気恥ずかしい思いもする。一年経って、このうちのどれもが立ち枯れになってしまったら、その方がもっと滑稽な昔語りになることであろう。
中谷宇吉郎「低温室だより」より(1940年7月)
毎年、地元中学校からの研究所訪問。「環境学習」であったり、「職場体験」であったりと。中学生たちからは、素朴かつ鋭い質問をいくつも受ける、熱い眼差しで。我が身も、初心に立ち帰る瞬間でもある。
そろそろ夏休みが近づいて、構内の楡と芝生とが、鮮やかな初夏の緑のよそおいを完成するにつれて、例年のように、東京からの修学旅行の組がいくつも訪れて来る。そしてその時期が過ぎると、夏休みに入って、よく学会などがある。この近年は、夏の北海道で学会をすることが流行るらしく、毎年二つや三つの会があるのが普通になっている。
修学旅行の人たちも、学会のお客様方も、よく低温室を見に来られる。夏の北海道で雪の結晶を見るというのが、何か言葉の上からも、一つの魅力(アトラクション)になるのかもしれないが、要するに、分かりやすいからであろう。
<中略>
もっとも書いてみたら、まだ完成もしない研究のことを、むやみと広告ばかりしているようになって、少々気恥ずかしい思いもする。一年経って、このうちのどれもが立ち枯れになってしまったら、その方がもっと滑稽な昔語りになることであろう。
中谷宇吉郎「低温室だより」より(1940年7月)
毎年、地元中学校からの研究所訪問。「環境学習」であったり、「職場体験」であったりと。中学生たちからは、素朴かつ鋭い質問をいくつも受ける、熱い眼差しで。我が身も、初心に立ち帰る瞬間でもある。