勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

御会式桜

2008-01-30 23:39:57 | Weblog
寒い日が続いていたが、今日(30日)の東京は気温も上がり3月の暖かさだという。
そんな陽気に誘われたわけでもないだろうが、どうしたことか桜が八分咲き。
 
鶯谷駅からほど近い下谷七福神のひとつ、毘沙門天の法昌寺。毎日通う道筋にある。
  
この寺に奉納されたこの桜「御会式桜(おえしきざくら)」というらしい。
 
 日蓮上人が入滅した10月13日頃から咲きはじめ、翌年の4月8日、お釈迦様の誕生日ごろまで咲く不思議な桜だそうだ。そこから付いた名前が御会式桜。京都妙蓮寺の御会式桜が有名だとか。

 しかし、毎日通っているのに、10月頃に咲いたのを見たことがない。目立たない小さな花は、ある日突然咲いている。今年は気をつけてみてみよう。

ふたりの渡良瀬川

2008-01-29 23:47:39 | Weblog

 群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になってわずか2ヵ月、クラブ活動で指導中の大怪我による頚椎損傷で、首から下の運動機能を失った星野富弘さん。24歳のことである。絶望の淵から立ち上がり、口に咥えた絵筆で描いた花の詩画。

 一方、日本でも屈指の禅僧といわれる、道元の遺した仏の教え「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」を、わかりやすく自分の言葉で表現した書家・相田みつをさん。

 群馬と栃木で違う時代に育ち、何の脈絡もないこのふたり。ともに渡良瀬川を友とした共通点があったのだ。

 このふたつのいのち、花の詩画と書の世界が、東京国際フォーラム、相田みつを美術館で握手した。

 重度の障害を持ちながら口で描く富弘さんの詩画は、彼の眼だからこそ見える美しい花と言葉の数々。その言葉からにじみでるやさしさは、生きる勇気と希望を与えてくれる。

 また、わかりやすい言い回しと素朴な書体で、当たり前のことをいいながら、心に突き刺さる説得力を持ち、多くのファンの心を捉えているみつをさん。

 我がブログでは、何度となく、このふたりの言葉を引用させていただいている。言葉の裏にある奥深さ、鋭い感性による心に響く珠玉の言の葉。ふたりには多くの共通点が見える。

 我がブログのサブタイトルにも使わせていただいている「一生感動・一生青春」は、みつをさんの言葉である。僕の愛読書でもあるふたりの作品展は、その繊細さと力強さに圧倒され、心洗われるひとときであった。



悲しみも苦しみもあって
私が私になってゆく

-富弘さん-




この世はわたしが
わたしになるところ

-みつをさん-

雪だるま

2008-01-28 23:19:07 | Weblog
ねぇ、小憎おにいちゃん、ボクも一緒におしっこしていい?

それにしても勢いがいいね♪

ねぇ、小憎くん、わたしにおしっこかけないでぇ~♪
 
ママ~、ボクおしっこしたいよ~♪


雪だるま
陽に照らされて
尿洩らし
 

青白対決

2008-01-27 23:36:59 | Weblog
番数も取り進みましたるところ
かたや白鵬、白鵬
こなた朝青龍、朝青龍
この一番にて千秋楽にござります
 何かと話題の多かった初場所千秋楽は、横綱同士の相星対決となり、結びの一番に最大の注目が集まった。どちらも譲らぬ手に汗握る熱戦の末、白鵬が力強く朝青龍を投げ飛ばし、どうだと言わんばかりの形相に、思わず拍手。溜飲を下げた。
 蹲踞(そんきょ)の姿勢や四股踏み、塩まき、仕切りなど、相撲特有の儀式がある日本の文化は、「はっきよい」或いは「はっけよい」の行司の掛け声で取り組みが始まる。「はっきよい」とは、発気揚々の意で、気を発して戦えの意味だという。
 あらゆる勝負事は、号砲や笛など、第3者による合図で始まるのが当たり前。しかし相撲は違う。「構えて、まだまだ」や「見合わせて」「油断なく」「待ったなし」などの行司のかけ声はあるものの、お互いが呼吸を合わせて立ち上がる。外国人から見て、これは絶対にあり得ない不思議な事なのだそうだ。
 立会いの妙に代表され、生身の身体と身体がぶつかり合い、勝負も早い相撲は、礼を重んじ、様式美に支えられた、高度な精神の文化でもある。だからこそ、しごきと称する虐待や、横綱としての品格が問われるのだろう。

 未だにその連勝記録が破られていない名横綱双葉山が、69連勝で途切れたとき「われ未だ木鶏(もっけい)たりえず」と言ったそうだ。木鶏とは、強さを外に表わさない最強の闘鶏に例えられる、木製のにわとりのこと、とある。日本人力士の奮闘と、僕が応援する、小さい身体で頑張る豊ノ島関の来場所の検討を願う。

薄氷の湖?

2008-01-26 23:59:27 | Weblog
 凍てつくような寒い日が続いている。ガソリンや灯油に続き、電気代も値上がりするというのに部屋の暖房は付けっ放し、懐(ふところ)はますます寒くなりそうだ。
 氷が張った上野の不忍池では、オナガガモだろうか、薄氷の上で、ビールマン・スピンの練習か?いや、白鳥の湖でも舞っているのカモ。
 
 薄く張った氷のことを、透明ではかなげな蝉の羽に見立てて「蝉氷(せみごおり)」などと洒落た呼びかたもあるらしい。
 それより、こんなに寒い日は、身を寄せ合ってじっとしているほうがいいのカモ。 
 メタボカモが薄氷を踏むときは、割れないように、滑らないように、ゆっくり歩いて餌探し。今年はここでは餌が貰えない。
どこか、餌の貰えるところに行こうかな。
 
 上野公園では、今年から野鳥への餌やり防止キャンペーンを開始したが、パンくずを与えている人が話しかけてきた。「今年は冬鳥が激減しているんだ。毎年来ていたカモも今年は来ない。みんな餌を貰えるところに行っちゃうんだよ」。特定のカモのことを言っているらしい。

 彼の話しによると、カモやユリカモメなどの渡り鳥は、北へ帰る時期になると餌を食べなくなるそうだ。メタボになった鳥たちが、シベリアに帰れなくなることはないという。「餌やり禁止はここの所長が決めたこと。不忍池に渡り鳥が来なくなるかもしれない」とも言っていた。

火の用心

2008-01-25 00:37:33 | Weblog
 昨日、深夜の1時、ブログの更新と軽い夜食を済ませ、そろそろ寝ようと風呂に入る準備を始めた。突然ピーポ・ピーポという音とともに外が騒がしくなった。何事かとベランダから覗く。すると我がマンションの前で消防車が停まっているではないか。
 警報器がけたたましく鳴り出した。「火事は近いよ擦り半だ~♪」などと呑気に歌を歌ってる場合じゃない。急いで部屋の外に出ると、消防隊員が慌ただしく階上へ急いでいる。火元は最上階のあの部屋。ムムム、やっぱりあいつか?

 日頃から少々難あり、いや多々難ありかも知れないあの部屋。僕が持ち回りの理事長を勤めたときも、部屋の前の共有部分に山と積まれた生活用品の片付けを依頼したことがある。そのことを根に持ってか、顔を合わせても横を向いて挨拶もしない。

 幸い火は消し止められ、大事に至らずに済んだ。深夜の騒ぎに、寒さに震え、欠伸をこらえながら事の次第を見守った住民も、三々五々部屋に戻って行った。
 原因は、ストーブに触れた布団が燃え、部屋に煙が充満し、きな臭さに気づいた隣家の通報で事なきを得たという。この部屋の住人、昼間から酒臭く、常に自己中で、誰もが知る嫌われ者だった。

 寒い日が続く毎日だが、火の用心を肝に銘じて、風呂に入った。

雪解け

2008-01-24 00:04:36 | Weblog
 今冬一番の冷え込みになった23日、東京は朝から雪が舞った。都心の積雪は06年2月以来だそうだが、外気が頬に痛い。
  午後にはみぞれから雨に変わり、2年ぶりに装った雪化粧は消え、膨らみかけた梅の蕾からは涙の雫が落ちる。涙に映し出された冬景色は、春まだ遠きか。
 堅い蕾の枝には雪解けの雫の花が咲く。ある小学校の理科のテスト「雪が解けたら何になる?」 あなたなら、なんと答えますか?
 「春になる」と答えた子がいたそうだ。僕が先生なら、この子にはなまるをあげよう♪

病院通い

2008-01-23 00:35:44 | Weblog
 無病息災とか一病息災とかいわれるが、歳とともに病院通いが増えてくる。これも仕方のないことと、病院と仲良くすることにしよう。もっと他に仲良くしたい人や場所はあるけれど・・・。

 定期的に通う眼科の検査では、緑内障の進行もなく、眼圧も目薬の効果があり、いい状態になっているという。白内障も今すぐ手術することでもないので先送り。2ヶ月先の診察の予約をしてきた。

 病院に行くときに慌てないように、必要なものすべてを入れてある便利グッズを使っている。
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マウスオンでご覧ください

 この中には、すべての病院の診察券、予約券、さらに保険証や病院の領収書などが入っている。しまい忘れたり、持ち忘れたりしがちな病院グッズはこれひとつで間に合う。病院内で何度も出し入れする診察券も、首に掛けていれば出し易く、手間取らない。もの忘れも激しくなり、病院通いも多くなってきた僕にとっての必需品である。『健康は富に優る』というから、この日は人間ドックのしおりも貰ってきた。そろそろ考える必要がありそうだから。

キルト展

2008-01-22 02:32:10 | Weblog
 「東京国際キルトフェスティバル」と銘打ったキルト展が開かれている東京ドーム。ブログでのお付き合いも長い、陽子さんの作品も出品されていると聞き、足を運んだ。
 広い会場は人の波、男性の姿もちらほらあるが、ほとんどは女性。その熱気は、冬の寒気も恐れをなすほどに熱い。

 上段左から二番目が陽子さんの作品である。詳しくは陽子さんのブログでご覧いただけます。

日本画と見紛う、絵画のような大作もあると思えば、
 
 谷内六郎さんの絵のような、古き良き日本の原風景を彷彿とさせる、メルヘン調の作品もある。

ジュニア部門の一位に輝いた作品は、やさしい色使いで、楽しい作品に仕上がっている。
 
月影に浮かぶ枝垂桜は、モノトーンの幽玄の世界にいざなってくれる。
 
どんなブランド品より持つ人の心をときめかせるであろう、バッグの数々も展示されていた。
 
 広い会場に、所狭しと並べられた作品は、まさに芸術品。正面奥の赤い色使いの作品が、日本キルト大賞受賞作品である。

 根気のいる作業によって作り出された作品の、すべてを見ることはできなかったが、その素晴らしさに圧倒された一日だった。

めおと苺

2008-01-19 23:22:33 | Weblog
◇ 最後に残して ◇

-苺-

最後に残して
大切に食べたもの・・・

まんじゅうのあんこ
ゆで玉子のきみ
一番色づいていた
くだもの

母の顔とかさなる
父の顔とかさなる

-星野富弘さん-


 草かんむりに母と書いて苺。母は乳房のある母の意味。乳首のような形の実のなるいちごの意味。と、漢語辞典にある。時には父の意味、とは書いて無かった。

 今日戴いた、真っ赤に色づいた苺「栃おとめ」。最後にふたつ残して、まだ食べてない。どっちを先に食べようか?

七癖

2008-01-18 22:45:27 | Weblog
 無くて七癖というが、癖や性格は自分ではわからないものだ。ましてや欠点は・・・♪ 

 ある個人商店で買い物をした。会計のとき、受け皿の上に小銭入れのお金を全部出した。数枚の千円札と、小銭のすべてを。スーパーでいつもやっている方法である。財布からお金を出す時、手間取ってうしろに並んでいる人を待たせたくないから。

 その店の女店員さん、笑いながら言った。「お客様、せっかちなんですか?」客は僕一人。

 「えっ!」驚いて聞きなおした。「これって、せっかちなの?」

 すると、「そういう出し方をする人、あまりいないから」そう言ってまた笑った。
 
 仕事場で仲間に聞いた。「ねぇ、僕ってせっかち?」すると「せっかちじゃないと思ってるの?」と言われてしまった。

 そうか、僕はせっかちなんだ。60年以上生きてきて、一度も思ったことがなかった。

◇ 老木 ◇

木のように
歳をとれたらいいな
幹は白く
なめらかに乾き
洞(ほら)では ももんがが
いねむりをしている

鳥を憩わせる枝は
大きく横にまがり
たまにはここに腰掛け
休みなさいと
人間にもいっているように

欲を重ねて老いるのではなく
木のように
歳をとれたらいいな

-星野富弘さん-

 何かの行動を起こすとき、今までは、両手で同時に二つのことをすることは当たり前だった。右手で自転車の鍵をかけながら、左手は前籠から荷物を取り出す。歩きながら、キーホルダーに鍵を付ける。そんな当たり前にできたことが、最近できなくなっている。手元が狂い苛立ちを感じることもある。

 自転車で倒れて投げ出されたり、ブレーカーが跳ねて暗くなった部屋で、ドアーに顔をぶつけたり、歳とともに鈍くなる反射神経。

 事故を起こさないためにも、ひとつのことを済ませてから次の行動に移すことを心がけよう。もどかしいと感じることがせっかちの証明でもあるから。そしてせっかちと言われないためにも。^^;

暗闇

2008-01-16 22:36:27 | Weblog
 深夜12時、夜食を作ろうと台所に立った。先日購入した、瞬時にお湯が沸くケトルのスイッチを入れ、冷凍のおかずをレンジで温めてていた。

 突然すべての部屋の電気が消えた。部屋は真っ暗。一瞬何事かと驚いたが、ブレーカーを疑った。しかし、ブレーカーは12に分かれていて、今まで部分的に切れたことはあるが、すべてが消えたことは一度もない。

 いつもは部屋の電気を消しても、オーディオをはじめ、あらゆる機器のパイロットランプや、PCの周辺では必ず明かりが点いている。それらのすべてが消えると、そこは暗闇。手探りでブレーカのところに行く。ドアに顔をぶつけた。スイッチをひとつひとつ確かめるが、どこも落ちていない。
 さては停電か?カーテンを開けると、街灯は点いている。マンションだけの故障かと、玄関に行く。廊下の電気も他の家の電気も点いている。

 我が家だけに起った故障か?この寒い夜に、電気が点かなかったらどうしよう。すべての暖は電気が頼り。非常用に備えた何通りにも使えるライトを取り出すが、点灯しない。いや、微かに光るだけで役に立たない。そうか、電池切れか。これでは非常用の意味がない。

 微かな光でもう一度ブレーカーを見た。個別のブレーカーのほかにも大元のブレーカーがあるのに気がついた。これが落ちていたのか。恐る恐るブレーカーを上げると、部屋に明かりが点った。

 ここ数日の寒さのため、居間も、寝室も、同時に暖房を点けていた。おまけにテレビ、PC、部屋の電灯、そして湯沸しケトルに電子レンジ、これらのすべてがONになっていた。
 電気も水も、当然あると思っている。それが突然失われたとき、思わぬ混乱が起き、為す術がない。近年地震も多く、中越地震からはまだ半年が過ぎたばかりだという。早速非常用ライトの電池を取り替えた。災害訓練になった夜だった。

空の彼方

2008-01-15 22:32:15 | Weblog

◇ 飛行機 ◇

見よ 今日も かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日
肺病やみの母親と
たった二人の家にゐて
ひとりせっせとリイダアの
独学をする眼の疲れ



見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを

-石川啄木-

 26歳の若さでこの世を去った石川啄木。「一握の砂」「悲しき玩具」など、若いころ、彼の歌が好きでよく読んだ。彼の歌には深い悲しみに溢れた歌が多い。そして母の歌も・・・♪


たわむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

 東洋大学が募った第21回「現代学生百人一首」の入選作品の中にも、母親や父親を詠んだ歌が数多くある。
 


おはようと
確かに聞こえた母の声
現実を告げる指輪の遺品



「大丈夫」
とにじむ涙をかくす母
もっと私を頼っていいよ



「はよ起きや!」
「わかってるわ、うるさいな!」
ほんまは毎朝感謝してます



「受験費用心配しなくて良いから」と
父のメールに
涙こらえる


 我が実家は、父から兄が受け継いだ電気店。その一角に、母が始めた雑貨や日用品、お菓子などの店舗がある。ドアを開けるといつも母がいた。慶弔事用の熨斗袋も扱っていた。

 母の通夜の日、急いだので熨斗袋も用意できなかった。店でわけてもらおうと、ドアを開け思わず呼びそうになった。「お母さん!」と。母が死んで一番悲しい瞬間だった。十数年前のことである。

段差社会

2008-01-14 23:00:03 | Weblog
 暮れなずむ冬の空から夜の帳(とばり)が下りるころ、コートの襟を立て、自転車で仕事に出かけた。冬の夕ぐれは暗くなるのが早い。真夏ならまだ陽が射している時間である。

 自転車で歩道を走っていると、まばらに灯る街灯の向こうから、幼児の手を引いた母親が歩いてくる。走行を車道に変えて親子をやり過ごす。再び歩道に戻ろうとハンドルを切ったそのとき、自転車から投げ出された。
 起き上がってよく見ると、そこは車道と歩道の段差が10cm以上もあるところだった。白内障で視力が落ちている眼は、暗くなると更に見えにくくなる。幸い怪我もなく、人差し指の付け根が少し痛いだけですんだ。
 自転車で走っていると、世の中には段差が多いことに気が付く。歩道と車道の境目。横断歩道と歩道の境界にも段差がある。建物の敷地にも段差が設けられているところが多い。

 何故こんなに段差を付けなければいけないのだろうか。境界を表わすため?水はけをよくするため?視覚障害者のために車道と歩道の区別をわかりやすくするため?これらに段差をつける意味があるのだろうか?他に何か理由でも・・・?
 車椅子やお年寄りなど、わずかな段差にも不都合を感じる人もいる。買い物帰り、自転車で段差を越えるとき、前かごから野菜が飛び出すことも度々。卵が飛び出してわれたこともある。

 東京都生活文化局の、平成11年度12年度高齢者危害危険情報分析調査によると、道路の段差や障害物でつまずいたり、駅舎や百貨店の階段から転落するなどの事故が起き、高齢者が自由に外出し、安心してゆっくり歩けるような環境整備が求められています。

 東京都のHPには、このような記述もあるが、今回の我が転倒事故は、自分自身の不注意である。自転車による事故も多いと、先日取り上げたばかり。仕事柄、夜間に自転車に乗る機会が多い僕にとって、充分気をつけなければいけないことを、改めて感じた。

杉村春子

2008-01-12 21:10:56 | Weblog
 先日、今は亡き大女優・杉村春子さんの特集番組を見た。人前では、常に指先まで神経の行き届いた立ち居振る舞いに感心したある女優さんが、彼女に聞いたという。
「先生、いつもそんなに緊張感のある姿勢で疲れませんか?」
すると彼女いわく「あなたねぇ、他人(ひと)が見て美しい姿は、本人にはつらいものなの。自分が楽なときは、他人が見たときには美しくはないのよ」
寒風に耐えて咲く木瓜の花

 美しさを表現するスポーツや演技には、極限のポーズや立ち居振る舞いが他人を魅了する。我が生業(なりわい)のダンスも然り。娯楽として楽しむ踊りは別として、より美しく表現するときは、すべてに極限の動きが要求される。そのとき初めて、見る人を感動させられる。

 以前 『天使の翼』 についてお話したことがある。姿勢も含めて、人生も楽をしては美しい人生にはならない。多少の辛さを我慢するのが美しく、かっこいい人生なのかもしれない。杉村春子さんの言葉を聞いてそう思った。