勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

悪霊

2014-09-30 21:59:51 | Weblog



小僧君 その恰好はもうハロウィンかい?


おじちゃん ハロウィンは10月31日だけど ボクたち子供にとっては クリスマスイブと同じように 今から待ち遠しいお祭りなんだよ


へェ~ おじちゃんの世代には あまり馴染みがないけどね


もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事らしいよ


今年の夏は天候が不順で 野菜なども不作のようだし あちこちで災害もあって 日本は何かおかしいね 


うん だから早めにハロウィンの格好で 悪霊を追い出そうと思ってるんだ




東日本大震災から始まって 次々と起こる自然災害は 大勢の人を巻き込み 日本に悪霊が住みついたんじゃないかと思ってしまうね


こんな日本だから ボクが仮装姿で悪霊を懲らしめるからね


小僧君 頼りにしてるよ


うん ボクに任せてね でもね 大人の人たちは 仮装した子供にお菓子をあげなくちゃいけないんだよ


エェ~ そうなのかい 


おじちゃん 今日はお菓子持ってこなかったの?


えっ あのぉ~ こんなに早く小僧君がハロウィンの仮装してるとは思ってなかったよ


そっか じゃぁ この次でもいいから 美味しいお菓子頼むね


わ・わかったよ その代わり あの木曽節にも歌われる 木曽の御嶽山の怒りを早く収めてくれよね


じゃぁ おじちゃんと一緒に 木曽節を歌おうか


えっ ここでかい?


そうだよ せ~の



木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ



これで御嶽山の怒りが収まるといいね


うん でもボクたちの歌で もっと怒ったら困るけどね


あとは小僧君に頼むから うまく悪霊の怒りを鎮めてくれよ


おじちゃんも お菓子忘れないでね


おじちゃんは ボケが始まってるから 忘れたらごめんよ


ん・もぉ~

天使と悪魔

2014-09-28 23:12:35 | Weblog
 僕が仕事に通う道すがら、夕方から夜にかけて官能的で妖しげな香りを放つ花がある。エンジェルトランペットといい、その不思議な香りからは想像がつかないかわいい名前を持つ。



 この花、真夏の暑い盛りの頃に咲いていたが、一度は花が枯れ落ちてしまったと思っていると、この時期に再び咲き始め、今を盛りと道行く人を楽しませてくれている。



 しかし、花も可愛いこのエンジェルトランペットには、名前とは裏腹に毒があるという。それならば「デビルトランペット」に改名したほうがいいと思うのだが。
 本来は別の名前を持つらしいが、この植物が売れなくて困ったある人が、「エンジェルトランペット」という名を付けて売ったところ、バカ売れしたという。そこでこの名前が定着したのだとか。



 人間の心にもジキルとハイドが潜むのは常である。美しくかわいいエンジェルが、夜になると甘い香りで男を誘う、毒のある悪魔に変身しても驚くことはないのかもしれない。
 



全日本ラテンチャンピオン

2014-09-26 20:04:55 | Weblog
 ホール新世紀では、一昨日トッププロによるダンスデモンストレーションが行われた。全日本ラテンチャンピオンであり、世界ラテンショーダンスファイナリストでもある、金本進陪(しんすけ)&吉田奈津子組による華麗なる世界をご覧ください。

サンバ


チャチャチャ


パソドブレ


ルンバ


最後はセグエ




 セグエとは、ラテン・モダンそれぞれ5種目のうち3種目以上を使い、ひとつの曲につなげて踊る創作性の強い、ドラマチックなショーダンスです。


山野草

2014-09-24 23:48:48 | Weblog
 父ゆずりなのだろうか、草花が好きな僕が及びもつかない姉がいる。山野草の会に入って旅行や展示会をしては交換などでその数が増えるのだとか。



家の庭は通路以外は草花で溢れ緑で埋まり、いつも何かの花が咲いているようだ。




所狭しと置かれた数え切れないほどの鉢には、珍しい草花が出番を待っている。



 実家での彼岸の墓参りの帰りに姉のところに立ち寄って持ち帰った山野草の鉢が、狭い我が家のベランダを賑わしてくれる。すでに咲いている花、これから咲く花、はじめて聞く名前の花、そんな鉢植えの山野草が季節の移り変わりを教えてくれるだろう。

彼岸会

2014-09-23 21:00:23 | Weblog
 爽やかな秋晴れとは今日のような天気をいうのだろうか。暑さ寒さの分かれ目の彼岸会は、汗ばむほどの絶好の墓参り日和となった。


 実家の墓には、今年のはじめ突然の別れとなった甥が、彼の父親、祖父、祖母と共に眠っている。彼は身体は大きいが、仕事熱心で心優しい性格だった。


 甥が遺した一粒種の息子も見るたびに大きくなり、父親そっくりなそのうしろ姿や仕草は、彼がそこにいるのかと錯覚するほどである。その息子は少年野球のチームに所属し、ユニホーム姿での墓参りであり、すぐに試合が待っているという。チーム名は「Angels」だとか。


 8年前はエンジェルのような存在だった彼、僕にもなついてくれていたが、成長した今は、墓参りが終わると母親に連れられてそそくさと試合に行ってしまった。まだまだ悲しみは癒えないが、彼の成長に時の移ろいを感じさせられた秋分の日だった。

温もり

2014-09-21 22:53:32 | Weblog
 今年の東京の秋は残暑という言葉をどこかに置き忘れてきたのだろうか。あの猛暑から突然の秋に戸惑い、朝夕の涼しさに温もりが欲しくなった。


 夏の間澄んだ音色で我が家に涼を運んでくれた江戸風鈴もお役御免となり、風鈴の代わりに手作りの温もりが伝わってくる布で作った手毬が下駄箱の上で揺れている。


 出かけるときも、帰宅の時も、そして部屋にいるときも、これからの季節、この手毬が独り身の僕に温もりを運んでくれることだろう。

恋の曼珠沙華

2014-09-19 22:20:29 | Weblog
 別名を曼珠沙華といい、更に地獄花、葬式花、死人花、などの物騒な名前を持つ彼岸花だが、不思議な美しさがある。「長崎物語」では♪赤い花なら曼珠沙華と歌われるように、曼珠沙華という名は真っ赤な花を思い浮かべる。しかし彼岸花は赤だけではなく、真っ白や、ピンクがかったり黄色に近い白花もあるようだ。


 9月の初めに球根をプランターに植えた白花の彼岸花が、ある日突然芽を出したかと思うとみるみる成長し、彼岸を前に花を咲かせてくれた。


 彼岸花を歌った歌も多いが、歌詞になると彼岸花より曼珠沙華という名で歌われることのほうが多いような気がする。長い人生を生きてきた僕にとっては、山口百恵さんの「曼珠沙華(まんじゅしゃか)」よりも、前述の「長崎物語」や「恋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」のほうが馴染み深い。

 ご存じない方も多いと思うが、お時間のある方はしばしタイムスリップして、いにしえを回顧してみてはいかがでしょう♪ 音源はよくないが、僕にとっては懐かしさ溢れる歌でもある。





iPhone6

2014-09-17 23:28:06 | Weblog
 ケータイをスマホに代えて何年になるだろう。今使っているiPhone5は2台目であるが、はじめてスマホを持ったとき、今までのケータイと全く違う使い勝手に後悔したものだった。ところが今、スマホは僕の生活の一部になり、一時も手放せない生活のアイテムになっている。


 ところが、そのiPhone5の一部のモデルに、バッテリーとスリープボタン機能に不都合があることが発覚し、アップル社では交換プログラムを発表していた。僕のスマホも該当するらしく、以前からその不都合に悩ませれていた。しかし、新機種が発表されると聞き、機種変更をしようと我慢して使っていた。そのiPhone6が明後日発売されるというが、予約販売が先行し、フリーで買うには来月にずれ込みそうだという。


 ところが昨夜、突然バッテリーの充電ができなくなり、困ったことにスマホが全く機能しなくなってしまった。電話もメールもできないので、仕方なくアップル銀座店まで足を運んだのだが、購入時に保障も付けていたので、辛うじて今日中に修理ができる見通しが立ち、結果として無料で新しいスマホと交換することができた。


 アプリを含めたすべてのバックアップも済ませ、新しいスマホを手に帰宅の途に就く頃には、2日後のiPhone6発売を待つ人たちが、早くもアップル社前の銀座のメイン通りの歩道上に陣取っている。雨よけのシートなどを用意しながらの彼らの姿を見ながら、僕はもうしばらくiPhone5で我慢しようと思った、ちょっと得した気分の夕暮れ時だった。

したまち灯りのアート

2014-09-15 23:43:09 | Weblog

 小さかった秋も次第に大きくなってきたことを感じさせる秋の夜長、浅草寺境内では、したまち灯りのアートと題した「浅草燈籠会」が開かれている。


 13日(土)から始まった浅草燈籠会は今年で8回目となり、27日(土)までの15日間行われるが、燈籠には地元の企業や町会、俳句の会と共に一般参加者による絵や俳句などの作品が彩を添えている。 


 日暮れと共に境内に置かれた燈籠に灯がともると、ライトアップされたスカイツリーとの共演が、浅草寺境内を幻想の世界にいざなってくれる。 


 絵や俳句で彩を添えられた燈籠を更に引き立てるのが五重塔。数々のお祭りで賑わった浅草の夏を惜しむかのように初秋の夜空に聳え、燈籠を静かに見守っている。 



 虫の音はまだ聞こえてこないが、燈籠の灯が夜のしじまに揺れるとき、夏と秋の狭間に時が止まったような気がする一瞬がある。

 

そんな幻想の世界で、時が確実に移ろっていることを知った、したまち灯りのアートでもあった。

驕り

2014-09-13 23:47:59 | Weblog
 驕る平家は久しからずという言葉がある。平家物語の「おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」からきているのだろうか。人は時として自惚れが強くなることがある。控え目にと思いながら、自分自身に驕りがあることに気が付き、自己嫌悪に陥ることもこともしばしば。それが人の常と思ってしまえばそれまでだが。。。


 朝日新聞を購読しはじめてからどれくらいになるだろうか。新聞は時々変えることで景品がもらえ、洗剤はほぼそれで間に合わせていた時期もあった。しかし、新聞が変わると読みずらくなる。読売新聞を購読していたこともあるが、ある時から新聞は朝日と決めていた。大きな理由はないが、数ある新聞社の中でもエリートという意識もどこかにあり、また読売新聞の勧誘の時の騙しに乗ってしまったことで、読売を購読するのをやめたことも理由のひとつである。


 最近、朝日デジタルの購読契約もし、スマホやiPadでいつでもどこでも読むことができ、僕にとって特にありがたいのは、簡単にスクラップし保存できる機能があることである。


 その朝日新聞の一連の記事に関しての謝罪会見があった。「東電の原発事故の吉田調書に関しての記事」「慰安婦問題に関しての謝罪の件」「その慰安婦問題を取り上げた池上彰さんのコラム『新聞ななめ読み』の掲載取りやめでの池上さんとの問題」。

 特に原発に関しての朝日新聞のスタンスは全廃をとっている。これに関しては僕も同じ意見だが、朝日は初めに反原発ありきから記事を作成しているとしか思えない。吉田調書に関しては東電をおとしめるためだけの目的による曲解であることは火を見るより明らかである。原発事故に対する東電の対応には僕も納得していないが、それを報道という権力でねじ伏せようとする態度は許せない。社長の会見はそのことを報道部門に責任転嫁する逃げの態度である。

 慰安婦問題にしても、池上問題にしても、これらは朝日新聞社の驕りであることは明らか。それでも朝日新聞を購読するかと問われれば、少しの間様子を見ようと思っている。敢えて朝日を読むことでその裏も見えてくるかもしれないから。(本音はいまさら代えるのも面倒だからなのだが)

 その手段としては、複数の新聞を読み比べることはできないが、テレビのニュース番組が各社の違いを鮮明に反映している。僕はPCの前に座るときは、見ていなくてもほとんどニュース番組にチャンネルを合わせている。午後9時からはNHKのニュースウォッチ9。大越キャスターの語り口が好きである。10時からはテレビ朝日の報道ステーション。朝日新聞のスタンスそのままの報道体制である。そして11時を過ぎるとTBSテレビのNEWS23。筑紫哲也さんの頃からのファンであったが、今は女性キャスターの膳場さんの美しさの魅力で見ている。

 ニュース番組はそれぞれのテレビ局や、新聞社のカラーが色濃く反映されるのがよくわかる。そんな見比べで朝日新聞のスタンスも見極めようと考えてニュース番組を見るのも面白く、驕れる平家は久しからずとなるのだろうか、見届けてみる興味もある。

スーパームーン

2014-09-09 22:43:17 | Weblog
 早朝からテレビの画面に釘付けになる。WOWOWの契約をしていないので、各テレビ局の画面の隅にリアルタイムで知らせる試合経過を見ながらの一喜一憂であった。もちろんテニスの全米オープン決勝戦での錦織圭選手の優勝を期待してのことである。決勝戦では負けてしまったが、スーパードリームをみせてもらった彼に感謝しよう。


 だからといって、この画像は日の丸ではない。夜空に輝くスーパームーンである。スーパームーンとは、月が地球に接近していつもより明るく大きく見える満月のことをいうらしい。今年は7月12日、8月10日、9月9日の3回見ることができた珍しい年なのだそうだ。


 昨夜は雨で中秋の名月を見ることはできなかったが、一夜明けた今宵が満月ということなので、雲に隠れていたスーパームーンが顔を出してくれたことを感謝しよう。

月に叢雲

2014-09-08 20:37:40 | Weblog
 花に嵐、月に叢雲(むらくも)とかいうが、今宵は中秋の名月だというのに、台風の影響か月は姿を現しそうもない。晴れていれば、ベランダの向こうのスカイツリーの上に十五夜の月が昇る頃であるが、無情にも外は雨。


 吉田兼好は「花はさかりに、月はくまなきものをみるものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春のゆくえ知らぬも、なほ哀れになさけふかし」と、徒然草でいっている。
 兼好のように、雨に月を想うような風流を感じるほどの美学など持ち合わせていない僕だが、鉢植えのイトススキが秋の風情を誘い、甘いものが欲しくなった。


 そもそも十五夜とは旧暦の8月15日をいうそうだが、この日が満月とは限らないらしい。2014年(今年)~2020年までの7年間は十五夜が満月ではないという。今年の月齢では9日が満月だそうだ。今宵は月見饅頭と栗饅頭で、雨にむかひて月をこひながら、もののあはれを感じるとしようか。

異常気象

2014-09-05 22:25:05 | Weblog
 8月の西日本の記録的な大雨や日照不足は、30年に1回以下の割合で起きる異常気象によるものだと気象庁が発表した。しかし、この現象は近い将来再び起こる可能性があるという。この異常気象は、豪雨による被害をもたらしただけではなく、日照不足による野菜の生育が遅れ、価格が高騰している。


 今日の夕方、ピーマンが必要になりスーパーに行くと、店内はガラガラ。それが野菜が高いからかどうかはわからないが、野菜の売り場にピーマンがない。店員さんにピーマンは?と聞くと、入荷したばかりのピーマンを箱から取り出した。4個入ったピーマンが198円。これでも安いほうですよ、という。

 

 棚にある他の野菜もいつもより少なく、税抜きで長ねぎ1本88円、キュウリが1本98円。買い物ついでに他の野菜も買おうと思ったが、ピーマンだけで我慢した。異常気象は地球温暖化が影響しているらしいが、今大騒ぎになっているデング熱も地球温暖化の影響で蚊の寿命も長くなり、遠く離れた場所での感染の可能性もあるとか。都内でも代々木公園以外からの感染もあったらしい。僕は暑い夏が好きだが、地球の温暖化はお断りしておこう。

八女茶

2014-09-03 21:36:22 | Weblog
 夏を謳歌している我が家に、何の前触れもなく突然訪れた招かざる客がいる。その客は居心地がいい筈のない我が家に居座り、帰ろうとしない。その客の名前を「秋」という。
秋というものは「目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」ように、風が窓をノックしてから来るものと思っていた。だが今年の秋はノックもせずに入ってきたのだ。


 ところがその秋は、九州のブランド茶である「八女茶」の極上煎茶と、九州産の大麦と八女の抹茶を使い、八女茶の旨味が詰まった「八女茶の大麦ダクワーズ」というお菓子を連れて来てくれた。お茶好きの僕、コーヒーはなくても生きて行けるが、日本茶がないと生きて行けないかもしれない。夏の間は冷たく冷やしたペットボトルの「お~ぃ、お茶」に頼っていたが、秋の訪れとともに熱い日本茶が欲しくなっていた。


 早速この八女茶をちょっとぬるめのお湯で淹れると、淡い緑色の、甘くコクのある味と、八女茶独特の香りが口いっぱいに広がる。ダクワーズという外側はパリッ、中はしっとりのお菓子で秋の風を肌で感じながら八女茶を飲むとき、秋もいいものだと思った、夏を惜しみながらの秋の夜である。

防災の日

2014-09-01 21:58:54 | Weblog
 今日は防災の日だとか。このところ自然災害による大きな被害が立て続けに起きている。そんな時必ず耳にする言葉がある。3年半前のあの東日本大震災以来、想定外という言葉を何度聞いたことだろう。想定外は何度もあってはならない。何度も起きることは想定外ではないから。想定外という言葉の裏には、自治体や関連企業などの責任逃れの意味が隠されているとしか思えない。想定外だから私には責任がないんだ、というように。。。


 東日本大震災以来、防災意識が高まっている。僕もそれまでは防災グッズの準備などしたことがなかった。しかし3年前から、思うがままの品をリュックに入れて玄関の収納棚に置くことにした。


 防災の日の今日、改めて点検してみたが、持ち出すのに負担がない程度にし、最低限にまとめてみたが、いざというときに果たして持ち出すことができるだろうか。


 このパックは、氷嚢(アイシングパック)として何十年も前に買ったものだが、ほとんど使ったことがないので、簡易トイレとして防災グッズの仲間に入れた。


 前回の保存食はほとんどが期限切れになり、ミルクスティックだけがまだ使えそうであり、他の食品は期限切れなど気にせず、食べることにした。


 代わりに入れたものも、1年後には賞味期限が切れるが、1年ごとに点検すればいいので、とりあえずこんなものでお茶を濁す。だが、これらが役に立たないことを望んで、改めて防災の日に心を新たにした。