勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

羊頭狗肉

2013-10-28 21:40:26 | Weblog
 人は誰もが1日200回は嘘をつくとか、10分間の会話で2度は嘘をつくとか、ある心理学者は言う。人間は嘘をつくが、動物は嘘をつかない。いや違う、人間は唯一嘘をつく動物なのだ。僕も多くの嘘をついてきた。

 ピノキオは嘘をつくと鼻が伸びたり、やけどを負ったり、溺死寸前になったりした。オオカミ少年はオオカミが来たと嘘をついたために、本当にオオカミが来たときはだれにも信用してもらえず、オオカミに襲われた。


 
 ♪折れたタバコの吸い殻で、あなたの嘘がわかるのよ、と歌ったのは中條きよしさん。阪急阪神ホテルズの「料理偽装事件」に関しての社長の記者会見は、「料理の偽装」ではなく、「メニューの誤表示」だと言い張った。おまけにその責任を料理人や、卸業者に転嫁し、悪びれるどころか、不遜ささえ感じる傲慢な態度には反省の色など微塵も感じられない。もしも社員の不祥事であったとしても、すべて私の責任ですと言うのが社長の技量であろう。自分には何の責任もないという態度は断じて許されない。

 更に出崎社長は「意図をもって誤った表記をして利益を得ようとした事実はございません」などとぬけぬけと言い放った。次々と明るみに出る関連会社の同じ料理の偽装を見ても、これが意図的な偽装ではないと言い切る厚顔さは、ただただ呆れるばかり。タバコの吸い殻どころか、誰が見てもわかる嘘をつく彼に、人間としての尊厳など皆無である。

 中国のことわざに「羊頭狗肉(ようとうくにく)」がある。羊頭(羊の頭)を掲げて狗肉(犬の肉)を売る、という意味だが、ごまかしのたとえに使われる。一流ホテルなどというごまかしはもう通用しないだろう。

 この記事を作成している横で、テレビのニュースが出崎社長の辞任を伝えている。そこでも言い訳がましく、反省の態度は感じることができない。開き直りも通用しないことがわかるのが遅すぎるお粗末な事件は、「自爆」するしかないだろう。それで信用が回復するはずもないが。。。

火の用心

2013-10-26 23:46:18 | Weblog



小僧くん 急に寒くなったねぇ


おじちゃん 風邪ひかないように気を付けてね


寒くなると火を使う機会も多くなるね


来月の9日から15日までの一週間は 秋の火災予防運動が始まるよ




おじちゃんが住んでるマンションではね 今年の7月に火事があったんだよ


あらぁ~ おじちゃんの部屋は大丈夫だったの?


うん 幸い大ごとにはならなかったけど はしご車も来て危機一髪で延焼は防げたんだ


原因は何だったの?


その後の検証で 除湿器から発火したらしいけど 機器の不良が原因で メーカーが保障することになったらしいよ
大手のメーカーなんだけどね


住人の不注意じゃなかったんだね


うん 部屋を留守にするときは 電気製品もスイッチをオフにしないといけないね


おじちゃんも最近忘れっぽくなってるみたいだから 気を付けてね


おじちゃんは 頭のスイッチのオンオフが上手くいかなくなってるみたいなんだ


じゃぁ 修理に出して 頭の中の部品を取り換えれば


もう手遅れだってさ


やっぱり


おい それはないだろう( ̄◇ ̄;)

食欲の秋

2013-10-25 15:59:34 | Weblog
 暑の夏が終わると、烈な勢力の台風が次々と日本列島を襲ってくる秋となり、という字が付く気象現象はもうごめんこうむりたい。そんな秋は食欲の秋でもあるが、先日届いた熊本の食材で今朝の朝食を作ってみた。


 九州を中心に栽培されているという大長なすは、40㎝を超える長さでありながら果肉が柔らかく握るとふんわりした弾力があり、最近嵌っている水なすと同じような瑞々しさである。そこでその大長なすを使って作ったのが、きゅうりを加えての塩麹による浅漬け。そして、同梱されていた色鮮やかなパプリカと大長なすを使い、ピーマンと豚肉を加えた味噌炒め。更に九州産のホウレンソウはごまみそ和えにした。ご飯はもちろん熊本産の新米・森のくまさんである。


 デザートは、秋の味覚の主役のひとつでもある熊本産の「新興梨」というブランド梨。この梨は水分が豊富で、甘みと酸味のバランスがいい。朝から秋の食欲を満たす満足感いっぱいの朝食は、九州の温かさが身に沁みる秋の朝でもあった。

デモンストレーション

2013-10-24 01:28:49 | Weblog
 10月21日、22日の2日間に亘って行われた、ホール新世紀恒例のお客様と教師によるデモンストレーションは、合わせて31組のカップルによる華麗なる舞を披露してくれた。全てのカップルをここで取り上げるにはあまりにも多いので、僕と縁の深い2組を紹介します。

 第1日目に登場したのは、我がブログへ欠かさずコメントをくださる正子さん。ダンス歴は長く、数十年になるそうだ。この日は鮮やかなショッキングピンクのドレスをまとい情熱的なタンゴを披露してくださった。


 彼女は数年前、新世紀とは別のホールで踊っている時に脳梗塞を発症し、救急車で運ばれたことがある。生死の境をさまよったが、幸い一命はとりとめたものの、バランスの神経を傷め医師からはダンスは無理といわれたという。しかしダンス好きな彼女、苦しいリハビリに励み、見事にダンスが踊れる身体にまで回復されたという。後遺症が残るものの、持ち前の前向きな姿勢は、80歳にしてなお見る者に勇気と感動を与えてくださる見事なパフォーマンスで、場内を沸かせた。(年齢については彼女の許可をいただき、あえて隠さずに表示させていただきました)


 2日目の大トリを務めたのは、毎週のようにカラオケをご一緒させていただいていた、美男美女のカップル。歌にもゴルフにも、その他の遊びも含め趣味も多く、何事にも全力投球する梅沢教師の踊りに惚れ込み、その熱心さ故、みるみる上達した彼女の上品で優雅なスローフォックストロットは、圧巻であった。


 他にも来年卒寿(90歳)を迎えるという女性も出演し、ダンスはいくつになっても楽しめる健康的なスポーツといっても過言ではない。23日放送のNHKためしてガッテンによると、記憶力をつかさどる脳細胞の海馬は、年をとっても使えば使うほど新しい細胞が増え、若返りに繋がると言っていた。更に最近の研究で、「有酸素運動」が、脳全体の衰えを防ぐ効果があるっということがわかってきたという。ダンスに限らず運動は若返りの秘訣のようでもある。

宅配便

2013-10-21 23:36:40 | Weblog
 ピンポ~ン・宅配便です。わずかな間をおいて2回の宅配便が届いた。1回目はの都本で生産された米という意味の「森のくまさん」という銘柄の新米。2回目は、秋の味覚が溢れた果物と新鮮野菜のクール宅急便。どちらも九州からの宅配便である。


 野菜大好き、お米大好きの僕、野菜嫌いという人も多いと聞くが、野菜は何でも食べるし、朝食もパンではなく必ずご飯を食べる。早速、新米の森のくまさんを炊いてみた。


 やはりご飯は炊き立てが美味い。この森のくまさん、甘みがあり、口の中にお米の香りがいっぱいに広がる。そうだ、お米って香りがあったんだっけ。日本人に生まれてよかったと思える瞬間だった。安倍さん、TPP交渉、しっかり頼みますよ。

10月桜

2013-10-18 12:14:54 | Weblog
 大きな被害を残して去って行った台風一過の東京は急に気温が下がり、寒くさえ感じる。北海道の帯広や釧路では、平年より20日以上も早い初雪が降ったとか。いよいよ本格的な秋・冬の到来である。

 ここ数年、毎年異常気象といわれてきたが、今年は特にその傾向が強いようだ。先日はあちらこちらでソメイヨシノが咲いたというニュースが踊った。花も咲く時期を間違えてしまったのだろうか。


 浅草寺境内に、白い小さな花を咲かせる木を見つけた。近づいてみるとそれはまさしく桜の花。しかし花の大きさと形からソメイヨシノではなさそうである。


 木に下がる札を見ると「十月桜」とある。この花は4月と10月の年に2回も咲く珍しい桜だという。今の時期に咲いていることに何の不思議もないようだ。


 桜守の佐野藤右衛門さんによると、桜に狂い咲きは絶対にない、という。春に咲いた桜は夏に葉を出して来年に備え、秋に枯らすがのだが、毛虫などに葉を食われると通常の営みができなくなる。そこで桜は自分で自分の状態を戻すため、前倒しで花を咲かせてもう一度葉を出して、自分の身体の調整をしているだけなのだという。桜が狂っているわけではなく賢いのだと、桜を愛する人のやさしい目が注がれている。

 桜のなかには十月桜のように春と秋に2度咲く桜もあれば、春に2度咲く桜もあるという。春と秋に咲く桜は、冬桜、十月桜、不断桜、小福桜などがあり、その桜がそういう体質を持っているからであり、秋に咲いても不思議ではない。日本人は桜は春に咲くもんやと思っているから、「狂い咲き」とか言うんですよ、と手厳しい。

 また、藤右衛門さんはこうも言っている。「地球上の動植物のなかで、人間だけが自然と一緒に暮らしていないで、別の世界で暮らしている。人間はもともと自然とともに生きるようになっとるんやから、そこに戻らんとあかんのじゃないですか」

 自然は人間のおごりを怒っているのだろうか。。。

緊急速報?

2013-10-14 23:01:27 | Weblog
 遅い起床の午前中、ピンポ~ン♪とチャイムが鳴った。まだ覚めやらぬ目をこすりながらインターホンに出る。「浅草警察ですが、○○さんのお宅ですね」。「はい、そうですが、、、」といいながら、一瞬頭の中は混乱気味に記憶をめぐらす。

 「最近、浅草警察署管内で騙しの電話が多く、注意を呼び掛けています。チラシをポストに入れておきますので、後ほどご覧になってください」。ちょっとホッとしながら「ご苦労様です」と答える。


 後を絶たない振り込め詐欺も、最近は金融機関の協力もあり、現金を手渡す手口に代わってきているという。身近にも「母さん助けて詐欺」の電話が掛かってきたという話も聞く。ある人は、目の前に息子がいるのに、その息子から電話があったという。


 残念ながら子供のいない僕には、この手の電話が掛かってきたことはないが、一度ぐらいこんな電話が来ないかと心待ちにしている。私に限って、などと高を括っている人こそ引っかかるというが、僕には子供がいないからではなく、お金がないことを知っているから掛かってこないのかもしれない。でも油断はできないので、心しておこう。

秋の真夏日

2013-10-12 22:23:58 | Weblog
 彼岸を過ぎて急に涼しくなった東京だったが、11日に続き12日の今日も気温が30度を超え、2日連続の真夏日になった。138年前の明治8年の統計開始以来、最も遅い真夏日の記録更新だという。ということは、少なくとも138年間、誰も体感したことのないこの時期の暑さを、僕の身体が感じたことになる。だから何なのかといわれても困るが。。。


 真夏日の秋だが、我が家には秋の花の代表ともいえる菊が咲き始めた。菊といっても日本の菊ではない。モンゴルギクという名の山野草である。都忘れを小さくしたような薄紫の花は、夏のような陽射しにも映え、秋であることを忘れさせる。


 この菊は、今年の春の彼岸の時に姉から分けてもらった鉢を2鉢に増やして、初めて咲いた花である。


 今、このモンゴルギクは、部屋の中とベランダを可憐な姿で飾り、先日のホトトギスと花のバトンリレーを果たしてくれた。

iPad mini

2013-10-09 23:08:23 | Weblog
 ITといわれるInformation Technology(情報通信技術)の世界は目ざましい勢いで進歩している。還暦を過ぎてからはじめたPCも、今となってはなくてはならないアイテムになった。そしてケータイもガラケーからスマホへと移り、iPhoneを手にした時は、使い勝手に戸惑って後悔したが、やはりこれもいっときも手放せない必需品になってしまった。そして更に持ち運びに便利な、iPadなるタブレット型コンピューターが欲しくなった。iPhoneでは画面が小さいので、文字が見にくいことと、複雑な作業がやりにいのが主な理由である。


 アップルストア銀座店で、iPhoneとiPadなどの使い方の無料講習があることを知った。早速iPadの時間を予約して出かけたが、使い方やアプリは今使っているiPhoneとあまり違わないので、戸惑いはない。


 そして手に入れた待望のiPad。持ち運びも考えminiタイプにし、容量も大きい機種にした。iPhoneで慣れているとはいえ、使いこなすまでは時間がかかりそうである。そして、時間が足りない毎日になりそうでもある。

 このイベントは全国のアップルストアでもやっているらしい。iPhoneも含め、全くの初心者向けのコースもあるので、興味がある方はお近くのアップルストアを検索すると、それぞれのタイムテーブルが表示されます。

水なす

2013-10-07 22:12:36 | Weblog
 夏野菜のイメージがある茄子だが、気象条件により旨みが凝縮される秋茄子は特に美味しいといわれる。そのため「秋茄子は嫁に食わすな」などといわれるが、姑の言い訳として、秋茄子は身体を冷やすからとか、種の少ない秋茄子は、子種がなくなるからなどと意地が悪い。

 夏の花火大会の時に、姉がお土産に持ってきてくれた、地元の採りたて野菜の中に水茄子があった。水茄子のことは話には聞いていたが、食べるのは初めてである。茄子特有の灰汁が少なく、水分を多く含み、甘みもあって生食に適しているらしい。その時の水茄子の美味しさに、スーパーで買い物をするたびに探すが、一度も見たことがない。


 それを知っていた姉から昨日の早朝、宅配便が届いた。開けてみると、珍しい2種類の唐辛子と一緒に、水なすとサラダ用の蕪が入っていた。


 その蕪と水茄子にきゅうりを加えて作った即席漬け。きゅうりは塩揉みをし板摺して軽くたたき、茄子は包丁で切り込みを入れ、サラダ用と書かれた蕪も薄切りにして塩麹に漬けて約30分。


 塩分控えめにしたサラダ感覚のこの即席漬けは、柔らかい茄子の旨みが際立ち、秋バテのこの時期、食も進み、食欲の秋にはもってこいの簡単料理である。


 僕が時々お世話になるクックパッドのレシピを見ると、薄切りにして刺身で食べても美味しいとある。明日は水茄子の刺身に挑戦してみよう。それにしてもこの水茄子、もっともっと普及してくれないものだろうか。

なりすましメール

2013-10-05 21:54:05 | Weblog
 スマホにメールが届いた。スマホの電話帳に登録されているアドレスなら名前が出るが、メルアドの変更だから名前が出ないのは不思議ではない。しかし、変更したのなら、名前を名乗るはずである。このメール、開かずにすぐ削除した。


 以前もこのような不審メールが届いたことがあるが、ちょうどそのときある方にメールをしたばかりで、返信を待っていた時である。もしやと思い、うっかりメールを開いてしまった。

 それからは、出会い系サイトからと思われるメールが次々と届き、5分~10分おきにメールの着信音が鳴る。不愉快極まりないメールに業を煮やし、迷惑メールは受け取らない設定をしようとするが、これがまたわかりにくい。そんな時役に立つのがHP。迷惑メール対策で検索すると、各会社の拒否方法を調べることができる。

 とりあえずは、不審なメールは開かずに削除することが一番の方法である。メールを開いたことでメールが届いたことがわかり、集中的に迷惑メールが送られてくるらしい。お気を付けくださいね。

秋は来(き)ぬ

2013-10-04 22:27:11 | Weblog

卯の花の 匂う垣根に
ほととぎす 早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ

 唱歌「夏は来(き)ぬ」で歌われるように「ほととぎす」は夏の鳥である。その鳴き声は「キョッキョッ キョキョキョキョ」と聞こえるようだが、人間の言葉に当てはめる「聞きなし」では「ホ・ト・…・ト・ギ・ス」とか「トッキョキョカキョク」や「テッペンカケタカ」などがある。

 今日の東京は肌寒いと感じるほどの気候だったが、いよいよ秋は来(き)ぬである。つまり本格的な秋が来たのである。ベランダの植木たちも夏の配置から変えようと、昨日大きなプランターの向きを変えた。すると紫陽花の葉陰にひっそりと咲くホトトギスの花を見つけた。


 鳥のホトトギスは夏を告げる鳥として知られ、その年に初めて聞く鳴き声を「忍び音」いうそうだが、秋に咲くホトトギスの花は忍ぶように日陰に咲く。花言葉を「秘めた意志」というように、その控えめさは、これ見よがしに咲く花よりも好きである。

 葉陰に咲いた一輪のホトトギスの花も、今日はしぼんでしまったが、もしプランターの向きを変えなかったら、せっかく咲いた花も誰にも見られずに寂しく散ってしまっただろう。


 花のホトトギスは鳥のホトトギスと同名であり、花びらの小紫点が鳥のホトトギスの毛の模様と同じところからきているらしい。鳥のホトトギスにはこんな逸話もあるそうだ。

 貧しい兄弟がいました。目の悪い兄は家に閉じこもって暮らしていたが、弟は兄のために美味しい山芋を掘ってきては食べさせ、自分はしっぽばかり食べていました。目の見えない兄は心が荒み、弟は隠れて美味しいものばかり食べていると思い込み、ある日、弟の腹を裂いて殺してしまいました。すると突然目が開き見えるようになりました。弟の腹にあったのは粗末な山芋のしっぽだけ。兄は弟に「すまない、すまない」とつぶやきながら、魂がぬけて鳥になって飛んで行きました。その鳥がホトトギスであり、「オトウトコイシ(弟恋し)」と鳴くようになったとか。

 ホトトギスの鳴き声はいろいろな「聴きなし」があるが、そういえば「鳴いて血を吐くホトトギス」などという言葉もある。我が家のホトトギスの花は、辛うじて僕の前に姿を現し、忍び寄る秋の風にひっそりと散っていった。今宵はセンチメンタルな秋の夜である。

あなたならどうする?

2013-10-02 22:10:12 | Weblog
 人は生まれながらにして善を具有し、悪は後天的なものとする、孟子の唱えた「性善説」と、人間の本性は利己的欲望を持つが、後天的な習得により善の行為が生まれる、という荀子の「性悪説」は、よく誤解を招くことがある。どちらも人間には「善」も「悪」も存在すると説く。性善説でよく例えられるのが、井戸に落ちそうになった幼子を見たら、誰もが利害に関係なく救いの手を差し伸べるはずだ、と・・・
  

 悲しいニュースに胸が締め付けられた。線路上に横たわった74歳の男性を助けようとして、電車にはねられ亡くなった女性の勇気ある行動に、わが身を重ねてみる。こんな場面に出くわしたとき、はたしてこの女性のような行動ができるだろうか。まず自分の身の安全を考えて躊躇するだろう。性善説を地で行くこの女性も立派なら、「おじいさんが助かったのがせめてもの慰め」というお父さんのコメントにも胸が痛くなる。村田奈津恵さん、安らかにお眠りください。

認知症

2013-10-01 20:40:35 | Weblog
 高齢化社会になり、古稀を過ぎた僕にも他人ごととは思えなくなった認知症。65歳以上の高齢者のおよそ7人に1人が認知症と推計されるそうだ。最近は物覚えも悪く、言葉が出てこないことも多いが、ひとり暮らし故、認知症になった時のことを考えると空恐ろしい。

 数日前(9月27日)の「徘徊中、線路に・・・遺族に賠償命令」という朝日新聞記事が気になった。記事によると、認知症の男性が家を出て徘徊し、線路内に入り列車にはねられ亡くなった。この男性の遺族に「事故を防止する責任があった」として、JR東海に720万円を支払うように命じる判決が出たという。JR東海側は、遺族には「事故を防止する義務があった」と主張、判決は死亡した男性には責任能力がなかったとしたが、遺族には「監督義務を怠った」と結論づけたというのだ。長寿の否定とも取れるこの判決の非人間性は、認知症者は監禁でもしろというのか。


上記「徘徊中、線路に・・・」のネット記事からの引用です

 刑法では、精神障害などによる心神喪失や心神耗弱者、また14歳未満の者が犯罪を起こした場合、責任能力がないと判断し無罪になることが多い。彼らの責任はどこにあるのか?ましてや統合失調症などの病名が付いた者や、14歳未満の犯罪による監督義務は誰も負わない。被害者はただ泣き寝入りするしかない。認知症に監督義務を課すなら、責任能力のない統合失調症などの監督義務や、14歳未満の犯罪に親の監督義務や責任はないのか。何故か腑に落ちない判決であり、認知症予備軍の僕にとって他人ごとではない。誰かに迷惑をかけるかもしれないから。。。