来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
やくや藻鹽の身もこがれつつ
-藤原定家-
やくや藻鹽の身もこがれつつ
-藤原定家-
東京では、突風が吹き荒れる春の嵐の中、春先の寒さで遅れていた桜の開花宣言があった。それは、待っても待っても来ない人を、身を焦がしながら待ちこがれる切ない心の苦しさを詠った定家の歌に似ている。
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桜の名所、隅田河畔の桜は、膨らみかけた蕾が強風に揺れ、曇り空から時折落ちてくる雨に打たれながら、今や遅しと身をこがして待つ花見客を焦らしているかのようでもある。
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しかし、待つ身の切なさを知ってか知らずか、数輪の花が笑みを浮かべて、間もなく賑わうであろう来る日の準備を始めている。
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明日から4月、やっと訪れた春本番は、サクラサク希望に満ちた季節であるが、「花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」でもある。
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陽気な桜守の佐野藤右衛門さんは著書「櫻よ」の中でいう。「姥桜はええなぁ、色香がある」と。。。「花にはみな色気がある、色気を通り越すと、色香に変わる。桜も姥桜になると色気にかわってものすごい色香がでる」のだそうだ。人間も然り?なのかも・・・