勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

立てないはずが

2007-04-30 15:30:42 | Weblog
 今年の目標として、目くじらを立てないことを誓った僕だったが、この小さくて垂れてる我が目が立ってしまった。

 一昨日行われた泣き相撲。多くのアマチュアカメラマンが、愛機を片手にいいショットを狙っている。会場の外には取り組みの名簿が張り出され、わが子や知り合いの名前を探す人が次々と見に来る。
 カメラを構えていたわけではないが、その名簿を写そうとしていると思われる男性がいた。それを知らずに来た小学生くらいの女の子、名簿を手でなぞりながら誰かの名前を探してる。しかしなかなか見つからない。痺れを切らしたその男性、その子の手を払いのけながら、強い口調で何か言った。側にいた僕の背中の唐獅子牡丹が黙っているわけがない。(ウソデスヨ~♪)

 僕はその男性に言った。

「写真を撮るのはあなたの勝手な都合だろう。自分の都合を他人(ひと)に押し付けるな!何故待ってあげられない!」

 その男性、首をすくめながら「スイマセン」と僕に言って、スゴスゴと離れていった。
「その子に謝りなさい」と言おうとしたが、女の子はいなかった。
 カメラを持つと、いいショットを狙おうと自分よがりになり、己の都合を優先することがある。無理を通して道理を引っ込めてしまいがちだ。
 このアングルに人が入ってくれたらと、カメラを構えて待っていると、皆除けて後ろを通ってくれる。お願いだからこの前を通ってくれと言いたいが・・・♪
 カメラを持つ我が身を振り返り、反省もし、この小さな垂れ目が、縦にならないよう心がけているけれど
このぶんでは、幾つになっても好々爺にはなれそうもないなぁ♪
2007.04.30

泣き相撲

2007-04-29 11:37:18 | Weblog
 浅草寺境内では、9代目市川団十郎「暫」銅像復元記念として、毎年行われる泣き相撲大会が開かれた。
 12代目市川団十郎さんを迎え、厳かな読経のあと、昨年生まれた42組84人の元気な赤ちゃんが土俵に上がる。
 団十郎さんの挨拶で始まった泣き相撲、日大相撲部員の組ませ役に抱きかかえられて、土俵に上がった赤ちゃんは、行司の「泣け、泣け、泣け~、もっと泣け~」という掛け声で、相手より早く泣くか、10秒以内に泣いて相手より大きな声で泣くかによって勝敗を競う。
思い思いの衣装で土俵に上がり

顔だけではどちらが赤ちゃんかわからないような組ませ役に抱かれ

それでもすやすやと寝たまま土俵にあがり

相手が泣いても我関せずは、将来の大物か

スーパーマンになって空を飛ぶ子

 高い高いをされて大喜びで勝負がつかず、赤ちゃんに笑われた組ませ役の無気力相撲と判定され、引き分けによる両者の勝ち、という取り組みもある。

 以前紹介した、鯨の目や暖簾から顔を出す若旦那のてぬぐいでお馴染みの、「ふじ屋」さんからは懸賞がかかり
満員御礼に場内からは笑いがまきおこる

泣きながらおかあさんを探す子もいれば

土俵上で仲良く見つめあう子もいる

 青空の下で開かれた泣き相撲が無事終了して間もなく、たちこめた暗雲は夜の闇のように辺りを暗くして、雷鳴を轟かせ、激しい雨を降らせたのでした。

 可愛い子どもたちすべてを紹介したい気持ちを抑えながらも、多くの画像に最後までお付き合いくださってありがとうございます。
2007.04.29

百花の王

2007-04-28 10:21:44 | Weblog
初めてのお茶会で出かけた鶴岡八幡宮の牡丹園では、牡丹が盛りを迎えていた。
 
 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といわれるように、美人の代名詞のひとつとして取り上げられる牡丹だが、百花の王ともいわれるそうだ。

 暖かな陽射しに照らされた透き通るような花びらは、前日の雨の名残りの露に濡れ、一段と美しく輝き、

花言葉にあるような高貴と富貴、そして恥じらいを含んで、あたり一面に甘い香りを漂わせ
 
うら若き女性の柔肌のような花びらの、妖しげな色香に惑わされ
 
思わず触れてみたくなるような衝動にかられるが
 
百花の王と呼ばれるにふさわしい、水も滴る凛とした姿は

百獣の王の獅子と共に「唐獅子牡丹」の男気を感じさせる美しさに、虫も惚れるほど・・・♪
 
見せばやな雄島の海人(あま)の袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず
と百人一首にも詠まれる海人の袖のように、雨に濡れてもなお美しい牡丹を堪能して臨んだお茶会は、足が痺れ、立っても座っても、歩く姿も惨めな僕でした。
2007.04.28

デビュー

2007-04-27 08:11:07 | Weblog
 アイドルというには歳をとり過ぎ、華々しくというには、厚かましさもはなはだしく、それでも知人の誘いに乗って果たした、お茶会デビュー。
 鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた、宗徧流による献茶式茶会に招かれ、茶道の心得など全くない僕は、何事も経験とばかりに、恐れ多くも、図々しくも、出かけたのです、恐れを知らず。
 お点前を拝見しながら、見よう見まねでお菓子とお抹茶をいただき、正客と席主による問答を聞く。
 しかし、正座をしている足は痺れはじめ、右へ左へと腰を動かすも、次第に足の感覚がなくなってくる。掛け軸に始まって、お花、茶器などについての問答は、ただでさえわからないのに、それどころではない。わびさびの世界などどこへやら、わさびでもかじって気を引き締めなければと焦る。
 20分余りで終った1席目、どうにか立ち上がり2席目を待つ。今度こそは、もっとうまく座って、問答も、お菓子の味も、お抹茶の味も、そしてお点前も、じっくり味わおうと意気込んで臨む。
 先ほどで慣れたせいか、腰を動かさなくても大丈夫。余裕を持ってのお茶席は、僕なりに楽しんでさて立ち上がろうとしたが、やはり痺れた足が動かない。立ち上がることさえできなくなった。
茶席の外で待つきれいどころ・・・

 高齢の女性も多く、皆さんしゃきっと背筋を伸ばし、どなたもかくしゃくとしている女性ばかり。お茶が身体にいいということはよく聞くが、そのせいだろうか。
そんな中に男は僕一人。皆さんのひんしゅくを買ったかもしれない、初めて体験したお茶会は、痺れるほどの魅力的なものでした。
2007.04.27

はげます会

2007-04-26 00:26:35 | Weblog
 「ハゲます会」ではありません、「励ます会」です。なので、僕の会ではなく、千春ちゃんの会です。
 先日の競技会で、2次予選で敗退した千春ちゃんを励まそうと、一昨日、青山にある京料理のお店「梅の花」で開いた励ます会。このお店、懐石であるが豆腐がメインの料理で、目の前で豆腐や湯葉ができるのを楽しみながらいただける。落ち着いた雰囲気の、僕のお気に入りの店のひとつでもある。
テーブルの上で出来上がる、豆腐と湯葉の味はまた格別、口当たりのいいお酒もすすみ
1ヵ月後に行なわれる再度の挑戦に向けて、決意を新たにした千春ちゃん。
 皆さんからも励ましの言葉をいただいたよ、と告げると、早くコメントを見たいわと、とても喜んでいた。今はPC環境が整わず、ブログで取り上げたことを告げると、ネットカフェなどでPCを覗いているという。

 そして、彼女から早速返事が届いた。「悔し涙」のコメント欄でもご覧いただけますが、あえてここで披露させていただきます。



ちはるのちから (千春)

2007-04-25 20:48:02

皆さ~ん、励ましのコメントありがとうございます
勿忘草さんが記事にしてくださったのを読んで
また思い出して涙がでてきました
日本武道館(前回の優勝時)の涙は一瞬だったけど・・・
今回の涙は、もう3日経ってるのに心のモヤモヤが残ってます
だって頑張ったもん
でもみんなも頑張ったんですよね

勿忘草さんに言われたこと

『千春ちゃんは踊る前から背筋をグーンと伸ばして
フロアに出るときも自分が一番だと威張っていなさい』

絶対に次の競技会ではそうする!

一緒にカップル組んでるリーダーは実力のある人なので
もっともっと私が頑張ってレベルを上げなくちゃならない
今回出た結果には千春の力が80%くらいは影響してると思う
もっと私が華やかに審査員の目をひくように踊らなきゃ!
だからリーダーにもコーチにも
時間を割いて応援に来てくださった方たちにも
あっさりと予選落ちして申し訳ないと思っているんです
・・・でも本当は千春だっていっぱい悔しいんだよ

4週間後の試合までに私の実力はそんなに変化しないと思うから
まずは勿忘草さんからアドバイスいただいたことを
日ごろから心がけようと思っています

今日は朝からパーティーで4回も左足を踏まれたので
ツイてないからもう帰るのです
ちゃんと背筋をグーンと伸ばして胸を張って帰るのです

みなさん、本当にありがとうございます



これからも、皆さんの応援よろしくお願いします♪
2007.04.26

めくじら     

2007-04-25 02:56:22 | Weblog
年をとるにつれて性格が円くなる人ほど長生きできる


 米国のパーデュー大とボストン大のグループが、私たちの性格のうち、神経質な部分のレベルが寿命を左右していると報告した。

 米国の中高年男性1663人(43~91歳)の性格の変化について、最長12年にわたり追跡。調査を始めたときに比べて神経質になった群と、穏やかになった群に分け、18年後の死亡率を調べた。

 両群の年齢構成や健康状態が同質になるよう統計処理をしたところ、「神経質群」の半数が死亡していたのに対し、「穏やか群」の生存率は75~85%に達した。
 
 「神経質な性格の度合いは、その人の寿命をはかる物差しとなる。血圧を下げようと心がければ、心臓発作のリスクが減るように、性格を円くしようと考えれば死を避けられる」

-朝日新聞の記事から-

 作家の渡辺淳一さんのベストセラー「鈍感力」でも同じようなことを言っているそうだ。最近ブログを通してお付き合いさせていただいている、ippuさん のブログで教えていただきました。
ヒイラギナンテンの実



木の実が 円い
地球が まるい
玉子も まるい

いら立った心を
見つめるとき
ふと思う
私も まるい中から
生まれて きたのに

-星野富弘さん-

 柊南天(ひいらぎなんてん)は、葉は鋸葉で棘があり、ヒイラギの葉に似、花は黄色く、実は南天に似るが、青い実が成る。花言葉は「激しい感情」「激情」だという。

 年とともに円くならなければいけないのに、無神経でありながら、図太くもなれず、何かと目くじらを立てるトゲトゲの悪い性格。そこで今年の目標は「めくじらを立てない」ことと、1月5日に宣言しました。

 神経質であることが寿命を短くするというならば、温厚というには程遠いが、無神経な僕は長生きできるかも知れない。憎まれっ子世にはびこる(はばかる)とも言うが、これも当てはまってしまう。

 めくじらを立てないことは難しいが、円くなることで長生きできるなら、心がけてみようかな・・・♪
2007.04.25

蛇に怖じず

2007-04-24 05:50:31 | Weblog
 蛇が出そうな草藪に生え、実がまずく、ヘビなら食べそう、などの理由から名が付いたというへびいちご。
 黄色い花が落ちると真っ赤な実が成るこの野草、実際はヘビは食べないそうだ。ヘビにとっては、勝手に名前を付けないでくれ、と言いたいかもしれない。

 嫌われ者の蛇だが、蛇の名が付く言葉や諺は多い。何故か身体の一部が付く言葉もいくつかある。蛇の目傘、蛇口、蛇腹、蛇足、竜頭蛇尾、まだあるかな?

 蛇の目傘は何故蛇の目というのだろう?
開いたとき丸く見える白地の輪が、大蛇の目を思わせる事からついた名称で、番傘より細く上品なんだそうな。

 降り出した雨に、和服姿の上品な女性が、「勿忘草様、雨が・・・」などと言って蛇の目傘をさしかけてくれたら、「春雨じゃ、濡れて行こう」な~んて言って、しっぽりと濡れて歩く・・・・・
あぁ~、いいなぁ~♪
エェ~ッ!、蛇腹のような醜い腹をして何言ってるんだ?
ほっといてください、端境期になるとおかしくなる僕ですから。
エッ、いつもおかしいですって?
どうせ龍の頭にもなれない竜頭蛇尾で、生きてることが蛇足ですから・・・

 「蛇に噛まれて朽ち縄に怖(お)じる」ような気が小さく臆病な僕は、「蛇に睨まれた蛙」のごとしだが、蛇にとっては「蛇が蚊をのんだよう」で物足りず、「蛇の生殺し」にあい、「藪をつついて蛇を出し」てしまう。

 蛇口はひねるものだと思っていたら、この頃は、上げたり下げたり、押したり引いたり、または何もせず手をかざすだけで水が出る。「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」というが、ひねっても何もでないのは、「盲(めくら)、蛇に怖(お)じない」我が頭。(最後の諺は、差別用語になるので、最近は使われないようです)

 おあとがよろしいようで・・・♪
2007.04.24

悔し涙

2007-04-23 10:55:40 | Weblog
 昨年7月にダンスの世界に足を踏み入れてわずか9ヶ月、涙ぐましい努力と精進を重ね、めきめきと頭角を現した千春ちゃん。
 去る2月11日に行われたプロの競技会では、学生時代の経験を生かし、初出場にもかかわらず、ノービスという初心者クラスを飛び越え、Dクラス、Cクラス共に優勝を飾った。
 そしてBクラスに昇格した彼女は、更なるステップアップを目指し、再び競技会に挑戦した。
 この世界に入るきっかけを作り、彼女の人生を変えてしまったかもしれない僕にとって、応援に行かないわけにはいかない。
 このクラスになると精鋭も多く、優勝するにはよほどの努力が必要となる。一次予選は簡単に突破し、上位入賞に向けていいスタートを切った。 
 にこやかな笑顔でスピードに乗って踊る彼女は、さすが女優さん。美しさを表現する術を知っている。
 ワルツ・タンゴ・フォックストロット・クイックステップと、スタンダードの各種目ごとに調子も上がってきているようだ。ファインダーを通して見る彼女、落ち着いている。
 リーダーの動きもいい。踊りながらの場所選びも上手く、他のカップルとの交錯もない。

2次予選も無事終了し、結果発表を待つ。
 発表された順位は25位、上位24位までが3次予選に残る。それも1点差による落選である。結果を知らせに来た彼女の眼には悔し涙がにじんでいた。

 競技会はまた行われる。あまりにも順調にきたこの9ヶ月、この悔しさをばねに次回は頑張ってもらおう。
開高健さんのこの言葉を贈って・・・
成熟するためには遠回りをしなければならない
2007.04.22

流鏑馬

2007-04-22 07:41:10 | Weblog
 墨田公園では、初夏の風に、散り遅れた桜が思い出したようにハラリと落ち、葉の緑が鮮やかに萌える桜の木の下、勇壮な流鏑馬(やぶさめ)の行事が行われた。

 数日続いた寒さも一段落し、汗ばむほどの陽気の中、疾走する馬上から射手により的をめがけて放たれた矢が、見事に的中すると拍手と歓声が上がり、伝統に培われた古式豊かな行事に酔いしれた2時間でした。

小笠原流礼法による、その勇壮かつ華麗な弓馬の術をご覧ください。

多くの外国からのお客様も、伝統的な日本古来の行事を楽しまれていたようです。
2007.04.21

踊り子

2007-04-21 01:53:22 | Weblog
 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。 川端康成氏の『伊豆の踊り子』の書き出しである。
ヒメオドリコソウ

 世は朗読ブームだそうだ。プロの語りや、自ら声に出して読む朗読には、黙って活字を追う読み方とは違う味わいがあるらしい。東急世田谷線の車両を借り切った「朗読ライブ」や、朗読の合間に音楽を演奏する「朗読コンサート」などもあるという。

 『声に出して読みたい日本語』の著者・斉藤孝氏によると、「川端康成の文章は黙読よりも、ラジオから流れてくる静かな朗読で味わうのが一番心に染み入る。一つ一つの言葉が、まるで音の宝石のようだ」といっている。

 野の花「ヒメオドリコソウ」は目立たない花である。その踊子草で真っ先にイメージしたのは川端康成氏の「伊豆の踊り子」。天城峠を舞台に、一高生と旅芸人の踊り子との淡い恋を描いている。

 他にも踊り子のイメージは広がる。

 映画「哀愁」で、哀しい運命にもてあそばれるヒロイン・マイラはバレーの踊り子だった。

 バレー映画「赤い靴」のヒロインは、脱げなくなった赤い靴を履いて、野を越え谷を越え、昼も夜も休まず踊り続けなければならなかった。

 酒場の踊り子から映画の大スターへ、そして伯爵夫人へと登りつめ、悲しい結末を迎える、映画「裸足の伯爵夫人」。

 「哀愁」のビビアン・リー、「赤い靴」のモイラ・シアラー、「裸足の伯爵夫人」のエヴァ・ガードナー。 どれも美しいヒロインが踊り子の、悲しい結末の映画である。

 踊り子がテーマの歌もある。古くは三浦洸一さんの「踊り子」。また、45歳の若さでこの世を去った、シンガーソングライター・村下孝蔵さんの「踊り子」。吉永小百合さんも映画に出演し「伊豆の踊り子」という歌を歌っている。

 「踊り子号」の列車が走り、場末の怪しげな小屋からは、音楽に乗って踊りながら一枚一枚脱いでいく踊り子もいる。
そうだ、僕も踊ることを生業(なりわい)にしている、踊りジジイだった。

 あなたのイメージする踊り子はどんな踊り子ですか、そしてどの踊り子が好きですか?
1007.04.21

或る日のつぶやき

2007-04-20 05:56:50 | Weblog
花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根はみえねんだ

なあ

-みつをさん-


-切り捨てる-

≪相田みつをさん≫

わたしは長い歳月
上にのびることばかり考えてきて
土の中深く根を張ることを
忘れていたようです

ヒョロヒョロと
幹ばかり高くのびて
雑然と枝葉がひろがるようになった時
幹や枝葉の重みに耐えられない
根の弱さに
わたしは初めて気がついたのです

気がついた時には手おくれでした
手おくれとわかったとき
わたしは思いきって
枝葉をおとすことにしました
土の中のわたしの弱い根と
細い幹に支えられるだけの
わずかな枝を残して
あとは、ばっさりと切り捨てました

それは
根の深い 幹の細い 力のない者が
なんとか自分を守りながら
生きてゆくための
消極的な、しかもそれなりに
勇気のいる生活の智慧でした

とはいものの
枝葉をおとす時 わたしは
やっぱりさびしい気がしました
もったいないなあと思いました

しかし おかげさまで いまでは
眼に見えない土の中で
弱かった根が新たな活動を始めたようです
枝葉を切り捨てた分だけ
いや、それ以上かも・・・
だれにもわからない根だけが知る
静かな充実感を持ちながら・・・


 長く生きていると、しがらみも物も増え続ける。戦後の物のない時代に育った僕にとって、物を捨てるということは罪悪感が伴う。いつか役に立つと思いながら捨てられず、結局邪魔になるものが多い。これからの生きる時間を考えるとき、できるだけスリムに生きたいと思う。必要のないものは、少しずつ捨てるように心がけながら、それでも増え続ける。着なくなった衣類、使わない食器、道具類、等々。それらをばっさりと捨てられたら気持ちいいだろうなぁ。

 しかしながら、多くの方との交流で培った友情や、知識や、絆は、邪魔にならない財産である。このブログでも、多くの方と知り合い、教えられ、交流を深め、それらが心の根となって支えられている。静かな充実感を持ちながら・・・。

 岐阜県・蕪山(かぶらやま)の21世紀の森公園にある「株杉の森」の巨大株杉は樹齢400~500年と推定されるという。何度も伐採が繰り返され、そこからまた新しい株が育って、全国でも珍しい巨大株杉になったのだそうだ。

 そんな巨大株杉を見て、根の深いしっかりした株は、多くの新しい株を生むことを知った。
2007.04.20

蓮華草

2007-04-19 06:19:01 | Weblog
手に取るな

やはり野に置け

蓮華草


 れんげの美しさは、それが自然の中にあるからで、美しいからといって採って家に持ち帰っても美しいわけではない。どんなものでもそれにふさわしい存在場所があるものだ。

 滝野瓢水(たきのひょうすい)氏の句で知られる蓮華の花、岐阜県の県花でもある。花を上から見ると輪になっていることから、仏像の蓮華座に見立てて「レンゲ」あるいは「ケンゲ」というそうだ。花言葉は、「心が和らぐ」「私の苦しみを和らげる」「感化」などの意味を持つという。

 人にはそれぞれに存在価値があり、それぞれの個性がある。他人と同じである必要はない。花は誰のためでもなく、何のためでもなく、ただ咲いている。それだけで美しい。野の花を見ると思い出す歌がある。作詞・作曲 浜口庫之助さん、唄 伊藤きよ子さんの「花と小父さん」である。 

-花と小父さん-

ちいさな花に くちづけをしたら
ちいさい声で僕に言ったよ
小父さんあなたはやさしい人ね
私を摘んで おうちにつれてって
私はあなたのお部屋の中で
一生懸命咲いて慰めてあげるわ
どうせ短い私の生命
小父さん見てて 終わるまで

可愛い花を 僕はつんで
部屋の机に飾っておいた
毎日僕は急いで家に
帰って花とお話をした
小さいままで 可愛いままで
或る朝花は散っていたよ
約束通り僕は見ていた
花の生命の終わるまで 
終わるまで

 若い頃、ギターを爪弾きながら、好きで歌ったこの唄。古い歌なので、ご存知の方は少ないと思うが、語りかけるようなフォーク調の歌である。

 旅の地で見た蓮華草の花が、今は鮮やかな思い出もいずれはセピア色に変え、心を和らげてくれるだろう。
2007.04.19

うだつの上がる町

2007-04-18 01:27:00 | Weblog
 丘の上に位置する美濃市は、水害には強いが、水利に乏しいため防火対策が必要だったという。屋根の両端に作られた防火壁もそのひとつ。

 その防火壁を「うだつ」というのだそうだ。以前おにぎり君のブログで知ったのだが、今回の岐阜訪問で、初めてそのうだつというものを見た。
小坂家のうだつ(国指定重要文化財)

 本来は防火壁として作られたこのうだつだが、次第に豪商たちが富の象徴として粋を競うようになり、芸術的なデザインは一軒一軒異なり、魅力的なかたちに変わってきたという。

 歴史的価値を持つ、うだつの残る家は全部で19軒あるそうで、歴史と現代を融合させた美しい町並みは、美濃の魅力でもあるようだ。

 このようにうだつは、富裕な家にしか上げられなかったことから、出世できないことの例えとして『うだつが上がらぬ』といわれるようになったとか・・・♪


 和紙と、花みこしと、うだつの町・美濃を堪能し、また、花吹雪の舞う寺尾ヶ原千本桜公園や、川浦(かおれ)渓谷へのドライブ等、楽しい2日間の思い出を胸に、帰途に着く僕の背に、夕陽が「また来いよ」と言っているようだった。

 3日にわたり、岐阜の旅の話にお付き合いくださって、ありがとうございました。また、おにぎり君と、そのご家族の皆さんにも感謝を込めて、ありがとう!
2007.04.18

美濃まつり

2007-04-17 02:05:39 | Weblog
 美濃は1,300年の歴史を持つ日本の誇る和紙の里であり、美濃町は目の字型の町割りが特徴の、伝統的建造物群保存地区だそうだ。 
 その町の中を、美しさと強さ、やわらかさが魅力の、ピンクの美濃和紙で飾られた花みこし約30基が練り歩く『美濃まつり』は始まる。
 「オイサッ、オイサッ」の掛け声が、周囲の山々にこだますると、町は熱気の渦に巻き込まれ、
まつりは最高潮に達し、和紙のまちは、濃淡混じりあったピンク一色に染め抜かれる。
 熱気と活気に満ちた一日が暮れると、街角には、郷土芸能『美濃流し仁輪加(にわか)』が現れ、各町内で、ユニークな衣装と素朴な美濃弁を駆使した、社会風刺のコントが繰り広げられ、町内を回って、仁輪加コンテストが行われる。
 そうして町の中は、午後10時過ぎまで、あちらこちらから聞こえてくる笑い声で夜は更けて行く。
 夜が明けると、前日に花みこしで賑わった町は、江戸時代に製作されたという6両の貴重な山車が繰り出し、前日同様の賑わいを見せる。こうして2日間にわたる美濃のまつりは幕を閉じ、うだつのあがる町並みはまた元の静寂が戻るのである。
 美濃町の美しい町並みの特徴は、和紙を扱い、財をなした商人が築いた町家の屋根にあがる、威風堂々とした『うだつ』の美しさでもある。

 明日は、そのうだつについて、うだつのあがらない僕がお話します。
2007.04.17

偽父が行く岐阜

2007-04-16 01:20:14 | Weblog
 ふとしたきっかけでブログで知り合い、僕をおとうちゃんと慕ってくれる おにぎり君 。ブログ上での擬似親子(^偽父^)として楽しい会話が弾み、昨年は我が家を訪ねてくれた。その岐阜に住む彼の誘いで美濃まつりに行ってきました。

 若き日のサラリーマンになりたての頃、出張で3週間ほど滞在したことがある岐阜の地に、40有余年ぶりに訪れた14日。前夜に降ったという激しい雨もやみ、懐かしい長良川も、金華山に聳える岐阜城も、暖かく僕を迎えてくれた。
<>
マウスオンでご覧ください(長良川の右の金華山頂 が岐阜城です)

 そして、それ以上の熱いもてなしをしてくださったのは、美濃市にお住まいの、彼の義父と義母である奥様のご両親。
14日と15日に行われる美濃のまつりに、彼のお義父様が旅行で知り合ったご夫妻を招待するので、一緒にいかがかとお誘いを受けての訪問でした。

 山菜採りが得意なお義母様たちと一緒に彼が摘んできた、何種類もの山菜をはじめとする、お義母さまの豪華な手料理での歓待に、奥様のご両親をはじめ、犬山からお越しのご夫妻と、初めての出逢いとは思えないほどにうちとけ、時の経つのも忘れるほど楽しいものでした。

 「和紙」と「うだつ」のまち美濃市は、江戸時代の商人のまち。その町民文化が受け継がれた美濃のまつりは、美濃和紙で作られた花を飾った花みこしと、山車が繰り出され、独特の雰囲気がある。町並みは、屋根に「うだつ」が上がる町家が続き、歴史的価値を感じさせる美しいまちである。

 夜になると、街角を舞台に繰り広げられる、素朴な美濃弁による風刺劇「美濃流し仁輪加(にわか)」が町中を笑いの渦に巻き込んでいく。

 この美しい美濃のまちと、華麗な花みこしによって賑わう美濃のまつりは、次回に報告します。美濃和紙で飾られた花みこしで、ピンク色に染まる美濃のまちをお楽しみください。
「うだつ」についてのお話もさせていただきますので、乞うご期待♪