勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

お土産

2007-10-31 00:28:42 | Weblog
九州宮崎県のお土産をいただいた。あの千春ちゃんからである。
 宮崎で生まれ育った黒豚カレー「舌鼓を打つ味の響き、贅沢に召し上がれ」とある。美味そう♪

 次の日、千春ちゃんが「ビックリニュースがあるの」と跳んできた。「良いニュースなの?」と聞くと、「良い悪いより驚きなのよ!」「あのカレーを買うときに、地鶏と黒豚と迷ったの、黒豚にしてよかったわ。ニュースで嘘の表示をしていた地鶏の写真のあれだったのよ!」「残念、それ食べたかったなぁ~」「やだぁ~、千春にそんなお土産貰ったってブログでいうんでしょう?」「あったり~、表示が嘘というだけで食べられないわけじゃないでしょ」

 次から次へと発覚する偽装表示。政治家も、官僚も、老舗も、何もかも世の中嘘だらけ。なにを信じればいいのだろう。そうだ、はじめから信じなければいいんだ♪

かくれんぼ

2007-10-30 01:15:02 | Weblog
 若者言葉に「鬼ダチ」というのがあるそうだ。鬼といえば恐ろしいもの、嫌われ者の代表と思っていた。ところがこの鬼ダチは、とても仲の良い友達という意味らしい。「鬼」は最上級を表す接頭語として使われるという。「鬼かわいい(すごくかわいい)」というように。では鬼嫁は・・・?

下の画像にはある生き物が隠れています。おわかりでしょうか?
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マウスオンでご覧ください
   
 葉陰でかくれんぼをしているのは、グラスホッパー(バッタ)君です。鬼ジジの僕が見つけました。この場合の鬼は、最上級の接頭語ではありません。念のため。
 「木は森に隠せ」という。同じものの中に入ってしまえば、見つけにくい。髪が薄くなった僕の禿げ頭、残っている髪があるから禿げが目立つ。髪が全部なくなれば、禿げは目立たなくなるだろうか?

正夢?

2007-10-29 00:07:03 | Weblog

 出先で携帯電話の画面が突然真っ黒になった。ボタンを押しても電源が入らない。しまった!電池切れか?待てよ!電池がなくなるほど使ったかなぁ。少しの疑問を持ちながら、夜になり、帰宅してすぐに充電器に繋いだ。やはり何の反応もない。

 そういえば、出かけるときテーブルから落としたっけ。そのときはなんの不都合もなかった。出先での通話もしている。あれが原因の故障か?

 携帯には、電話番号だけでなく、予定も入っている。特に事務的なものでない、思い出として永久に残しておきたいメールがある。これらの情報が消えたらどうしよう。

 先日、携帯をバッグに入れたまま盗まれ、慌てた夢を見た。その話をしたばかりだった。夢がこんな形で正夢になったのか。 


 夜が明けるのを待って販売店に急いだ。店員が「充電用の電池が何かのショックでずれることもあります」。そう言って電池を取り出し掃除をした。祈る気持ちで充電器に繋ぐと電源が入った。

ホッ!

 バックアップ用のメモリーカードを買い、すべての情報をそのカードに保存した。便利なものはそれがなくなると、途端に不便が倍増する。

火の用心

2007-10-28 00:07:06 | Weblog
一筆啓上 火の用心 
おせん泣かすな 馬肥やせ

 徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が、戦場から妻に送った、簡潔明瞭な手紙文として名高い文章である。
 短い言葉で自分の意思を伝えるのは難しい。最近の携帯電話は、話す機能よりもメール機能が優先しているように感じる。電話で話せば一分も要しない話でも、メールで何度もやりとりをすることが多い。場所によっては声を出さずに会話ができるメリットもあるが・・・。

 携帯のメールは短い文章には適しているが、長文は表現しにくい。また一方的な話になりがちで、時として誤解を招くこともある。相対して話していたら、絶対にあり得なかったであろう、文字による言葉の行き違いで、疎遠になった人がいる。残念でならない。

火は見てる あなたが離れる その時を

 来る11月9日(火)から11月15日(月)までの一週間、秋の全国火災予防運動が始まる。

 彼女へのメールを、間違えて奥さんに送ってしまった人がいるとか・・・。くれぐれも火遊びにはご用心を・・・♪

冬支度

2007-10-27 00:18:34 | Weblog
 夏の暑さにはビクともしない僕だが、冬はめっぽう弱い。夏の冷房費はまったくかからないが、冬の暖房費は何倍にも跳ね上がる。コタツのライフスタイルをあまり好まない僕にとって、暖房はもっぱらオイルヒーターに頼っていた。

 何十年も使っていた先代が一昨年に壊れ、仕方なく居間のヒーターを寝室に使い、居間はエアコンで暖房していたが、エアコンの風が嫌い。そこで今年は寝室用の小ぶりのオイルヒーターを買った。空気を汚さず危険も少なく、柔らかい温かさが寝室には適している。
 秋も深まり寒さも身に染みてきた昨日、新しいオイルヒーターが届いた。ベッドの横の出窓に置いたヒーターは、寒い冬を暖かしてくれることだろう。ヒーターを使わずとも暖かくしてくる方法は望むべくもないので・・・(ア~ァ)。

 次は冷えきった懐(ふところ)を温かくしてくれるヒーターを探そう♪どこかに売ってないかなぁ!

郷愁

2007-10-26 01:58:37 | Weblog

夕やけ小焼けの
赤とんぼ
負われて見たのは
いつの日か




十五でねえやは
嫁にゆき
おさとの便りも
絶え果てた



夕やけ小焼けの
赤とんぼ
とまっているよ
竿の先

『赤とんぼの思ひ出』
-三木露風-

 私の作った童謡『赤とんぼ』は、なつかしい心持から書いた。ふりかへってみて、幼い時の自己をいとほしむといふ氣持であった。まことに眞實であり、感情をふくめたものであった。『赤とんぼ』の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を脊に負うて廣場であそんでゐた。その時、私が脊の上で見たのが、赤とんぼである。(合田道人さん著「童謡の謎」から)


 最近、都会ではあまり見かけなくなった赤とんぼ。子供の頃、群れをなして飛んでいたのに・・・。
 童謡の「赤とんぼ」を口ずさむとなぜか郷愁を感じる。秋だからだろうか、それとも歳のせい?

空の空

2007-10-25 01:36:02 | Weblog
空の空 空の空なる哉 すべて空なり

天高く 馬(も人も?) 肥ゆる秋
 
 10年ぶりに改訂される「広辞苑」には、新たに『メタボリック症候群』の語が収録されるという。気をつけなくっちゃ♪

秋深き 隣はなにを する人ぞ

お幸せに♪
 
隣の客は よく柿食う 客だ

柿だって、アツアツの二人を見れば赤くもなるさ♪

柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺

ゴ~~~~~~~~~ン♪

花の雲 鐘は上野か 浅草か

-松尾芭蕉-

 しりとり(?)形式で秋を遊んでみました。最後の芭蕉の句は春を詠ったようですが・・・♪

 ところで冒頭の「空の空 空の空なる哉 すべて空なり」はどのように読むのでしょうか?

 旧約聖書にある有名な言葉だそうです。「クウのクウ クウのクウなるかな すべてはクウなり」と読み「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」ということらしい。このあとには「日の下(もと)に人の労して為すところのもろもろの働きは、その身に何の益かあらん」と続き、人の世の虚しさを説いているのだそうだ。それは『心を空にして、風のようになれ』ということのようでもある。

悲しみは 笑いにまさり
顔に憂いをもつことによって 心は良くなる
賢き者の心は 悲しみの家にあり
愚かなる者の心は 楽しみの家にある

-旧約聖書-
  
 秋の風に心を空にしてみようかな?悲しみの家にいても賢くなれない僕だけど・・・♪

十三夜

2007-10-24 00:16:22 | Weblog
 追羽根の羽根が、上流社会の原田家の御曹司の乗った人力車の前に落ちた。それがきっかけの一目惚れで、請われて嫁いだ関は、身分の違いから、間もなく始まった鬼のような夫の非道(ひど)い仕打ちに耐えかねて、7年の歳月泣きつくした我慢の末、今夜限りと、子どもを置いて実家に帰ってきた。それは十三夜の夜だった。
 怒りに震える母親の言葉を、目を閉じ腕組みをして聞いていた父親の涙で諭す言葉に、関は声をあげてワッと泣いた。

 涙に曇る十三夜の月明かりの中、父親の泣き出しそうな咳払いを背に、関は子どもの待つ嫁ぎ先に帰るため人力車に乗る。
 
 その夜道は冴え冴えとした月明かりのもと、風の音も虚ろに響き、虫の声も絶えがちで、もの悲しさが募るばかりだった。上野に入ってまだ一町もいっていないというところで、どうしたのか車夫(くるまや)はピタリと梶をおろし、すいません、云いだしにくいのですがわたしはここで失礼させていただきます、お代は要りませんからどうぞお降りになってなってください、と突然云った。

 仕事も投げやりな車夫(くるまや)は、よく見ると、思い思われていた幼なじみの録之助。驚く二人。録之助は、お関の嫁入りの噂がながれはじめた頃から身を堕としていたのだ。

 樋口一葉の「十三夜」は、悲しい運命にもてあそばれた二人を、意外な形で再会させる。
 
 お別れするのが惜しまれると云ってもこれが夢なら仕方のないこと、さ、おゆきになってください、私も帰ります。夜が更けては路も淋しゅう御座ンすよ、と云って頭を下げ空車を挽いてお関に背を向けた。

 ひとりは東へ、ひとりは南へ。大路の柳も月のかげになびいて力弱げに塗り下駄の音が月路にからから響く。

 冴え冴えとした夜空に煌々と輝く十三夜の月を見ながら、一葉の世界に思いを馳せ、ひとつのボタンの掛け違いから、憎からず思いながらも別れる運命(さだめ)のわが恋の、あの日を思い出す秋の夜でした。


 文中の青文字は、篠原一さんの現代語訳・樋口一葉「十三夜」(河出文庫)からの引用です。

乱菊

2007-10-23 02:17:50 | Weblog

◇ きく ◇

からみ合うやつ
天にはいのぼろうとするやつ
あきらめて たれさがるやつ
花びらは
岸壁に打ちつける海の波
引きかえす距離が長いほど
力をたくわえる
波の激しさ

-星野富弘さん-

菊の花言葉は『破れた恋』

からみ合って、這いのぼって、そしてあきらめて、引きさがった恋

 そんな過去もあたっけ
 
白菊の花言葉は『誠実』『真実』だとか
 
白菊のように真っ白な心になれない僕に、誠実は似合わない

黄菊の花言葉のような『ろうたけた恋』というよりは、老いらくの恋
 
花も恋も蕾のうちが華なのか?

秋の陽ざしには菊の花がよく似合う

秋たけなわの浅草寺境内では、菊花展が開かれている

ビートストリート

2007-10-22 00:25:37 | Weblog
 かつて浅草には下町のシンボル国際劇場があった。西の宝塚、東のSKDといわれた松竹歌劇団のレビューで名高い劇場でもあった。その国際劇場は82年に閉館し、跡地には浅草ビューホテルが建って20年以上が過ぎ、その通りは今も国際通りと呼ばれている。
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マウスオンでご覧ください

 国際通りは、つくばエクスプレスの開業により整備改装され、それを期に、国際通り商店街連合会は、国際通りを「ビートストリート」と命名した。通りに和太鼓を扱う2件の店と、ドラムショップ1件があることからの愛称だという。
切り絵ポールとビューホテル

 「ビートストリート」の名をもっと広め、メーンストリートの賑わいを取り戻そうと、切り絵をあしらった愛称入りの3本のポールが設置され、街に彩(いろどり)を添えている。

ビューホテル前には、かつてのSKDの踊り子を描いたポール
 
ROX ビルの前には、浅草ゆかりの芸人やスター、作家たちが描かれ
 
雷門通りとの交差点には太鼓を叩く若い衆が描かれている。
  
 浅草にお出かけの節は、浅草の今と昔をつなぐ道しるべ、切り絵ポールで昔を偲んでみてはいかがでしょう。

昨日・今日・明日

2007-10-21 00:30:09 | Weblog
 昨日の記事「縷紅先生」に、はぐれ雲さんから次のようなコメントをいただきました。

昨日を悔いず

今日を奢らず

明日を恐れず

ってなぐあいに今を生きたいものです♪(^^)/

◇ v(=∩_∩=) (はぐれ雲)さん ◇

 彼のブログ では、いつも個性豊かな写真と、時々エッチなお話と、ハッっとするような素晴らしい写真で楽しませていただいています。僕のカメラのアドバイザーでもあり、年齢不詳(笑)ですが、その豊な感性にいつも頼りにしている一人です。

 コメントにいただいたこの深い言葉、皆さんにも紹介させていただこうと思い取り上げた次第です。

相田みつをさんも「縷紅先生」の話の中で、こんなことも言っています。

鎌倉時代の名僧、道元禅師のことばに

愛名(あいみょう)は犯禁(ぼんきん)よりもあし
犯禁(ぼんきん)は一時(いっとき)の非なり
愛名(あいみょう)は一生の累(るい)なり

 というのがあります。愛名というのは、名利を愛すること。名利とは名誉欲と財産欲のこと。人間だれでも持っている欲望です。犯禁というのは戒律を犯すことで、集団生活のきまりを破ることです。

 ところで財産と名誉があれば、世の中カッコよく生きられますね。人間はだれでもカッコよく生きたいという願望があります。人間は、なんて他人(ひと)ごとじゃありません。自分がそうです。そこで私は、この愛名のことを「自分をカッコよく見せようとする思い」と、素人考えで勝手な解釈をつけております。

 自分をカッコよく見せようとする愛名は、集団生活の決まりを破る犯禁よりも悪いぞ、と道元禅師はきびしく言っているのです。なぜでしょうか?

 犯禁は一時的なものですから「うん、悪かった。もう絶対やらぬ」と、本気で決意すればいっぺんで直ります。ところが、自分をカッコよく見せようとする『愛名』の方は、心の中の問題ですから外からは見えません。それだけ始末が悪いんです。

 自分をよく見せたいという『愛名』の方は一生のわざわい『累』になるというのです。私など愛名の固まりです。Uさんの草刈の姿には、愛名が全くありません。

-相田みつをさん-

 はぐれ雲さんの言葉 『昨日を悔いず 今日を奢(おご)らず 明日を恐れず」には、相田さんの言う、愛名の話しに共通するところがあり、「自分をカッコよく見せたい」という、名誉欲と金銭欲ばかりの我が身を戒め、悔いず、奢らず、恐れず、今を生きる指針にしたいと思いました。でも難しいなぁ♪

◇ ただ ◇

花には人間のような
かけひきが
ないからいい

ただ咲いて
ただ散ってゆく
からいい

ただになれない
人間のわたし

-みつをさん-

縷紅(るこう)先生

2007-10-20 00:01:04 | Weblog
◇ 毎朝の草刈 ◇

-相田みつをさん-

 「おはようございます。毎朝よくご精が出ますね」 黙々と草刈をしている男の人の、がっしりとした背中に私は声をかけました。年の頃64、5歳でしょうか。

 私が毎朝運動のために歩く道筋に、市の観光名所になっている『H農園』があります。農園の生垣に沿って、歩行者専用の道路があり、その道路に沿って幅4メートルほどの川が流れております。川と道路の間、つまり、川岸はゆるい斜面になっていて、そこに春から夏にかけて草がいっぱい生えます。その川岸の草を毎朝露にぬれながら刈っているんです。

 私がそこを歩き始めてからもう十年になり、毎朝見かけているわけですから、この人は一体何年ぐらい、草刈をやっているのでしょうか?草の生えている斜面は、幅約3メートル、長さは300メートルもあります。一人で刈っているのですから300メートルの長さは大変です。私は初めの頃は「この人はH農園の従業員で、ここの草刈を専属にやっているんだな」と、単純に見ておりました。ところがそうではなかったのです。
 あとでわかったことですが、この人は農園とはまったく関係のない人でした。Uさんといって元は小学校の先生でした。その川の岸辺(ほとり)に住んでいて、そこの長い川岸の草を刈っては、四季折々の花を咲かせていたのです。夏の初めには、色とりどりの、小さな朝顔のような花が川岸いっぱいに咲きます。道路沿いのフェンスにつるをからませて、長い長い花の塀ができて、それは見事です。

 さて、このUさんの行為は無償の行為だったのです。報酬をもらおうとか、だれかにほめてもらおうとか、そんな意識は全くないのです。ただ草を刈り、ただ花を咲かせているだけです。しかも一生けんめいに、そのことに打ち込んでいるんです。私は毎朝Uさんの姿を見るたびに「自分にはこのまねはできないなぁ~」と、心の中でいつもつぶやいております。

 人間は何かいいことをすると、「自分はこんないいことをした」と、すぐ他人(ひと)に見せたくなるものですが、Uさんの草を刈る姿にはそんなケチなものは全くありません。丹精こめた花が咲いても「この花はおれが咲かせたんだ」なんてことは一ツも言いません。ほめられようがけなされようか一向におかまいなしです。黙々と草を刈り、黙々と種をまき、ただ花を咲かせているだけです。しかも自分の庭ではありません。お役所も手をつけない川岸の斜面にです。「自分のため」はどこにもありません。終始一貫して無償の行為です。


 この話は、我がブログタイトルにも使わせていただいている、相田みつをさんの「一生感動一生青春」からの引用です。この話はまだ続きます。己を戒めるとき、この話を思い出します。長い文章ですが、是非最後まで読んでいただくことを望みます。


 私の友人にKさんといって、観音さまの生まれ変わりのような心の暖かいひとがおります。何事にも誠実で責任感の強い信頼できる人です。以下はそのKさんから聞いた昔々の話です。

 Kさんが小学校の頃のできごとです。その頃は日本とアメリカと戦争をしており、いまとはまったく違った大変不幸な時代でした。

 ある夏の日の炎天下、Kさん達生徒は校庭で校長先生の話を聞いておりました。校庭の地面は焼けつくような熱さ。生徒はみんなハダシです。焼けたフライパンの上にいるようで足の裏が熱くてたまりません。じっと立っていられません。そのうち一人の生徒が我慢できなくなって、足をばたばた動かしました。するとそこへB先生が飛んで来て「なにをじたばたしてるんだ!!」と、いきなりその生徒をなぐりました。その様子を見ていた若い男の先生が、B先生の腕を押さえて、「この生徒をなぐるんだったら、自分をなぐってくれ、生徒はハダシだ。B先生、あんたは靴を履いている。ハダシの生徒の足の熱さが靴を履いている者にわかるか!!」と仲裁に入ったというのです。
 とんだハプニングで困ったのは校長先生。喜んだのは生徒達。「あんな痛快なことはなかった。胸のすく思いだった」とKさんは語りました。若い男の先生は、生徒がハダシの時は自分も必ずハダシになったとのことです。

 そしてKさんは更に言葉を足しました。
「相田さんが毎朝見かけるという、あの川岸で草を刈っている人ね、あの人はね、実はあの時、なぐられた生徒を身体を張って守ってくれた若い先生、その人なんですよ。U先生というんです。U先生のような人を<ほんもの>の教育者というんじゃないでしょうかねぇ・・・」私は感動してうなりました。

 その後しばらくたって、いつものように川岸で草刈をしているUさんに私は尋ねました。「ここに毎年夏になると咲く、朝顔を小さくしたような可愛い花、あの花はなんという名前でしょうか?」
「ルコウ草というんです」
「どういう字を書くのでしょう?」
 そこでわかったのが『縷紅草』という花の名です。それ以来Uさんのことを心の中で『縷紅先生』とよんでおります。

-相田みつをさん-

 この話を読んでから、「縷紅草」という花が好きになりました。夏に咲く花と聞きますが、なぜか今、近所のお宅に咲いていたのです。うれしくて、この話を紹介しました。

名詮自性

2007-10-19 03:49:33 | Weblog
 名詮自性(みょうせんじしょう)といって、名は体を表すともいう。何十年も付き合ってきた自分の名前、当然愛着が湧く。もっと愛着が湧いて、寝言でその名を呼んでしまう名前もあるもしれない。奥さんやご主人の名前ならそれでもいいが・・・。

 可愛い名前の植物を見つけた。「真弓」という名だという。この木から弓を作ったのでこの名がついたとか。
 これはそのマユミの実だが、この実がはじけると、中から赤い種子が顔を出し、可愛さも増すらしい。
 真弓という名の女性は皆こんな可愛い実を結ぶことを願って、親は名前を付けたのかもしれない。

 最近の親は音の響きや、画数を重視し、字を見ただけでは読めないような個性的な名前を付ける傾向にあるとか。


その一例を挙げると

【虹色】
そら

【想】
こころ

【星彩】
きらら

【航海】
わたる

【騎士】
ないと

【一二三】
わるつ

【七音】
どれみ

 【虹色】(そら)ちゃんは、七色に輝き、【想】(こころ)ちゃんは、優しいこころの持ち主になって欲しいし、【星彩】(きらら)ちゃんは、スターになるかもしれない。【航海】(わたる)君は、海の男?【騎士】(ないと)君は、白馬に乗った、なんとか王子。【一二三】(わるつ )ちゃんは、ダンスの上手い子になって、【七音】(どれみ)ちゃんは音楽家。親の思いはそれぞれだが、名前負けしないことを願う。

 子どものころ、近所に「ツル・カメ」さんと呼ばれるご夫婦がいた。ご主人が「亀吉」さん、奥さんが「つる」さんといった。この二人は、名前が付いた時から結ばれる運命にあったのだろうか。僕の赤い糸がすぐに切れてしまうのは、名前のせいかもしれない。ツル・カメさんが長生きだったかどうかはわからない。

三つの顔

2007-10-18 01:29:48 | Weblog
 初夏6月、真っ赤な蕾は徐々に花開き、暑かった夏の太陽に更に赤く染まり、秋には大きく実った果実が、パッカリと割れ、中からはルビーのような種が現れる柘榴(ざくろ)。
 ザクロの実は人肉の味がするという。子どもを食べる鬼子母神は、代わりにお釈迦様からザクロを与えられたそうだ。そういえば入谷の鬼子母神の境内にはザクロの木が植えられている。そういう訳があったのか。

◇ ざくろ ◇

ここは 何かの中なのでは
ないでしょうか
木の実の中の一粒の種のように

ある日 空がパッカリ割れて
そこに あなたの顔があるような
そんな気がして
ならないのです

-星野富弘さん-

 思い出の中に閉じ込めた三つの顔がある。ある日、空がパッカリ割れて、ひとつでもいい、そこに笑顔が現れたら・・・。そんな夢を見る秋。ザクロを食べれば逢えるだろうか。秋深し・・・♪近頃秋風が急に冷たくなった。

 ザクロの花言葉は「円熟した美」「愚かしさ」だとか。円熟しないで落ちる愚かなザクロもあるのだろうか?僕のように・・・♪

レッツダンス♪

2007-10-17 01:29:03 | Weblog
 年に2度、春と秋に行われるお客様と教師によるダンスのデモンストレーション。2日間にわたって20組づつ計40組の出演者によって行われた。前夜はお客様と出演した僕だが、今宵はカメラを構えて見る側にまわり、ゆっくりと楽しませていただいた。

 なかでも、毎朝欠かさずコメントをくださる「正子さん」の出演もあり、いいショットを狙うべく、坂本教師との華麗な舞を今や遅しと待ち構えた。
正子さんと坂本教師

 彼女は数年前、脳出血で倒れ、生死の境をさまよった経験もあり、バランスの神経を損傷し、医師にはダンスを禁止されたという。

 しかし好きなダンスをやめられず、リハビリの目的もあり、教師と踊ることを条件に許可をもらい、今ではデモに出られるまでに回復し、ご覧のようにその美貌とともに、情熱的なタンゴを披露してくださった。

 そしてもうひとかた、見るものを感動させてくれた出演者がいる。女性教師“あい”さんと息の合ったワルツを舞った「益田さん」。
あい教師と益田さん

 彼は聴覚障害があり、まったく音のない世界にいるという。お店での練習も、お客様が少ない遅い時間を利用し、口の動きで言葉を読み取る口唇術と、手話や筆談での会話で練習を積み重ねての出演である。

 何よりも驚かされたのは、音楽が聞こえないにもかかわらず、まったくリズムを外さずに踊ったことである。無論あい教師の教えとリードによるものであるには違いないのだが、そんなハンディを感じさせない見事な踊りには、胸が熱くなった。