勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

炎のオブジェ

2006-02-28 23:52:30 | Weblog

 隅田川に架かる橋のひとつに吾妻橋がある。その橋の袂には、ひときわ目立つオブジェのビルがある。
左に見えるのは、22階建てのアサヒビール吾妻橋本部ビル「アサヒビールタワー」で、泡のあふれるビールジョッキをイメージしているという。

 その隣にあるのが「スーパードライホール」で、屋上にある金色の「炎のオブジェ」はアサヒビールのHPによると、「躍進するアサヒビールの心の象徴」だそうだ。
フランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるもので、1989年の竣工と同時に東京の新名所となったと紹介している。

 

 だがこの界隈にこのビルを正式な名称で呼ぶ人は誰もいない。
男も女も、誰はばかることなく人は言う「うんこビル」と。

 

 隅田川を挟んだ対岸には親水テラスがあり、そこから眺めるこのオブジェは夜になるとこんなに美しく、光り輝くのだが・・・。
2006.02.28 

東風吹かば・・・

2006-02-27 23:56:35 | Weblog

  
 東風(こち)吹かば 
       にほいおこせよ梅の花 
                 あるじなしとて春な忘れそ


 学問の神様「菅原道真」はその優れた才能ゆえ陰謀にあい、京都の北野天満宮から九州の大宰府に左遷されてしまう。
その時に詠んだ歌は余りにも有名である。

 文京区湯島にある「湯島天神」は泉鏡花の『婦(おんな)系図』の舞台として知られ、梅の名所としても名高い。
天神下の交差点から不忍池を右に見て、切通(きりどおし)坂を上るとそこが湯島天神。

 

       
       湯島通れば 思い出す
       お蔦・主税の 心意気
       知るや白梅 玉垣に
       残る二人の 影法師

       忘れられよか 筒井筒
       岸の柳の 縁結び
       かたい契りを 義理ゆえに
       水に流すも 江戸育ち

       青い瓦斯燈 境内を
       出れば 本郷切通し
       あかぬ別れの 中空に
       鐘は墨絵の 上野山
               
             『湯島の白梅』    佐伯孝夫 作詞
 

 夫婦坂の階段をゆっくり上がると境内には「湯島の白梅」のメロディーが流れ、枝垂れ梅や紅梅、白梅があの有名な台詞を思い出させる。

 
 
 
 
 

 「別れろ切れろは芸者のときに言うものよ」
元芸者のお蔦を身請けして妻にしている事が恩師の酒井にばれ、主税(ちから)はお蔦と別れさせられてしまう。
「俺を棄てるか、婦(おんな)を捨てるか」 と酒井に迫られて、お蔦と別れる場面でのこの有名な台詞は、芝居用にあとから書き足されたものだという。

 夫婦坂のほかにも、女坂・男坂があり、女坂に比べ男坂は急勾配で、この階段の梅はまだ2分咲きほど、見頃はこれからのようです。
 
 

 この男坂では、歌手の小椋 桂さんが、録画撮りをやっていた。


 この時期は受験も済んで、合格のお礼参りだろうか、学生さんの姿も目に付いた。
 
 

 境内の梅は2~3分咲き、見ごろはまだまだ先のようです。
2006.02.27

江戸流しびな

2006-02-26 23:06:56 | Weblog
 季節の節目に邪気を払うのが節句。その代表的なひとつが「ひな祭り」だそうです。

 ひな祭りの日は川で身を清め、草木などで作った「ひとがた」に自身の災厄を代わりに引き受けさせて水に流す習慣があり、それが「流しびな」に発展したそうだ。

 台東区では、隅田川・親水テラスにおいて第21回江戸流しびなが行われ、春雨に煙る隅田川に浮かんだ雛祭り船からと親水テラスから、水溶性の紙で作られた雛人形を流して、無病息災を願う人で賑った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 この雛人形に願い事を書いて流すのだが、僕が書いた文言は「我がブログへ来てくださる皆様のご健康とご多幸を祈る」と書いて流しました。
2006.02.26

トゥーランドット

2006-02-25 22:23:47 | Weblog
 プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の舞台は戦乱の中国・北京。
この国の姫「トゥーランドット」の心は氷のようになってしまう。
現われる求婚者のすべてに3つの謎を出し、正解すれば求婚を受けるが、答えられなければその命を奪ってしまうという。
国破れ、逃走中の王子が姫の美しさに魅せられその賭けに挑む。

①「夜毎に生まれ、朝には死んでしまうものは?」
②「偉大な行為を思うとき燃え上がり、死を思おうと冷めるものは?」
③「あなたを燃やす氷は?」

 王子は3つの謎をすべて解いたが、それでも姫は頑なである。
すると王子は、自分から姫に「私の名は」と謎を出し「答えられたらあきらめよう、命も捨てよう、期限は明朝」と言って自分の勝ちを確信して歌う 

      「誰も寝てはならぬ」
 
   誰も寝てはならなぬ 寝てはならなぬ
   姫よ あなたの冷たい部屋でごらんなさい
   愛と希望にふるえる星を
   だが私の秘密はこの胸にある
   私の名前は誰も知るまい
   しかしあなたの唇に私が告げよう
   朝の光が輝いた時 私のくちづけは 沈黙を破り
   あなたは私のものになる
   夜が明ければ私が勝つ


 トリノ五輪で開会式に三大テノールのひとり「ルチアーノ・ババロッティ」が歌い、不振の冬季五輪で、日本人初の金メダリスト「荒川静香」選手が世界一の氷上の舞を演じた曲が、歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」である。

 トゥーランドット姫の3つの謎の答えは、①希望 ②血 ③トゥーランドット
この物語は、王子を思う一人の女性の犠牲を伴った、ハッピーエンドである。

 我が仕事のダンスに共通するものがあり、リアルタイムで見たくて、早朝から見たフィギュアスケート競技。
エキシビションでのバイオリンの生演奏で舞う、プルシェンコらの素晴らしさもあり、堪能できたが、寝不足にもなってブログにも影響した。

 荒川静香選手をはじめ、村主・安藤選手の健闘にも拍手を送りたい。
2006.02.25

 追記
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「トゥーランドット」のストーリーの結末の問い合わせがありましたので、追記します。

 結婚したくないトゥーランドット姫が出した難問を解かれてしまい、窮地に陥ったトゥーランドットは、街をあげ、夜を徹してこの男の名を調べさせた。
愛する王子のあとを追ってきた一人の女性が捕らえられ、彼の名を言うよう拷問にあうが、相手の剣を手にして自害してしまう。

 王子は夜明けが近づくと、姫に口づけをしてその凍った心を解こうとして自分の名を告げる。
姫はまだ夜が明けていないといい、市民の前でこう告げた。
「この男の名前はアムール(愛)です」
愛する王子のために自害した女性の愛の深さに動かされて、トゥーランドットは王子の愛を受け入れたのでした。
               
                        以上が簡単なストーリーです。

光ファイバー

2006-02-23 23:14:20 | Weblog
        
 我がマンションにもYahooの光ファイバーサービスが導入された。
早速申し込み、来週には工事が行われるようだが、それに先立って器機が送られてきた。
開けてびっくり、こんなにたくさんのパッケージの中に、何種類もの器機が入っている。
もう見ただけでげんなり。何がどう便利になるのか、説明書を見ても実感がない。
またこれ等の器機を取り付ける悩みが始まった。
どうしよう!
2006.02.23

こ・ひ・し・く・・・て

2006-02-22 23:00:05 | Weblog
 延政門院いときなくおはしましける時、院へ参る人に御伝言とて申させ給ひける御歌

 二つ文字 牛の角文字 すくな文字 ゆがみ文字とぞ 君はおぼゆる



 延政門院がまだ幼かったころ、お父さまの後嵯峨法皇の御所に行く人に、お父さまへの伝言として差し上げたというかわいらしい謎歌の意味は、

二つ文字「こ」 牛の角文字「ひ」 すくな文字「し」 ゆがみ文字「く」

と、父の法皇を「恋しく」思うという意味を込めた謎歌になっている。

 当時、封書にして人に託す場合、万一開封されても意味不明であるように、暗号化するのが常識であったという。
特に恋愛関係にある男女は、仲を感づかれないように、二人しか知らない秘密の合言葉を交換したらしい。
 
 もしあなたが、恋しい人にメールをするとき、こんな謎文字でびっくりさせてみてはいかがでしょう。誰かに読まれてもからないように・・・。
本人もわからなかったらどうしよう!

 ところで、恋する男女が、別れを切り出すのは男からか女からか、どちらが多いのでしょう?

 筑波大・社会心理学の松井豊教授の調査によると「自分から、はっきり別れを告げた」と答えたのは、女性が43%で、男性の23%を大きく上回り、別れの主導権は女性にあるようだ。

 失恋後の行動も、男性は相手をなかなか忘れられず、別れを強く悔やみ、ヤケ酒を飲むなどの「発散行動」に出るが、女性は交際相手に幻滅し、過去にデートした場所に行くのを避け、「相手がいなくなってうれしい」と感じる人が多いという。

 更に男性は別れた相手と似た人を求め、女性は別れた相手と類似した男性を避けようとする傾向にあるそうだ。


 女性って薄情なのでしょうか?

 直木賞作家の角田光代さんはいう。
「恋愛に失敗はない。悲しみを味わい、苦しみながら人間は成長できる。相手を好きになったということ自体が素晴らしいではありませんか」

 誰かがこんな事も言っていた。
「その恋がどんなに辛くても、恋を知らないよりは幸せである」
確か、『星の王子さま』の作者、サン・テグジュベリだったような気がするが・・・???

 「恋」という字は下に心があるので、下心があり、「愛」という字は真ん中に心があるので、強い心だといったのは誰だろう。

 あなたは「恋♪」してますか? それとも「愛♪」ですか?
僕、PCに恋♪して困ってます。
2006.02.22

1分は何秒?

2006-02-21 19:51:56 | Weblog
 あなたにとって「1分」は何秒ですか?
地球の1日が24時間なのに対し、人間の本来持っている1日の単位は25時間なのだそうです。
この25時間1周期を1時間早めて、24時間で1日の周期に合わせる事ができるのが体内時計であり、太陽の光を浴びる事で、体内時計を1時間早めるリセット・ボタンを毎日押しているのだという。

 良い睡眠をとるにはこの体内時計のリセットを上手くすることが必要らしい。
人間にとって大切なのは脳の睡眠。脳が十分休めていないと、ココロだけでなくカラダも十分休めたという満足感が得られないそうだ。

 ところで、あなたが感じる1分は何秒でしょう。
時計を見ずに1分を数えて、実際の1分と比較してみると、あなたが「ゆったり人間」か「せかせか人間」かがわかると東京女子医科大の大塚邦明教授が言っている。

 昨日紹介した根岸の和菓子「岡埜栄泉」の『こゞめ大福』と『栗饅頭』でも召し上がりながら、あなたの1分を数えて見ませんか。
 

 手前が栗饅頭、奥が皮がふわふわに柔らかなこゞめ大福です。

 あなたが時計を見ずに数えた1分が、60秒より多いとき、あなたは一見のんびりに見えるが、結果として時間に追われる事になるという。
何故ならば、「1時間過ぎたかな」と思ったとき、実際はそれ以上過ぎていることになり、時間に追われてしまうわけだ。

 大塚教授はこうした人を「せかせか組み」と名づけた。
逆に60秒未満で数え終わってしまう人は、いつもゆとりが持てるので、「ゆったり組」と呼ぶ。

 これを75歳以上のお年寄りでの調査によると、5年後の生存率は「ゆったり組」のほうが「せかせか組」よりも、約20ポイント高く、冠動脈疾患や脳梗塞の発症頻度も低かったという。

 時間の感じ方はその時の状況によっても違うし、このデータを鵜呑みにする必要はないと思うが、時間に追われてせかせかするよりも、ゆったりと過ごしたいものだ。

 ブログにはまると、いつも時間に追われてしまい、夜更かしの原因にもなって体調を崩す原因にもなると、ラジオで誰かが言っていた。
無理をせずに、自分のペースで楽しむブログを目指したいと思います。
時には不義理もお許しください。
2006.02.21

2006-02-20 21:16:46 | Weblog
 台東区根岸は、昔から「根岸の里のわび住い」といわれ、文人や、画家、噺家などが好んで住んだ下町情緒の溢れた町でもある。

 昨日紹介した、鶯谷駅界隈の老舗のひとつ、「五十嵐提灯店」もその歴史の古さを誇る匠の店である。
        
 店内は江戸時代から続くその歴史を物語るような、職人の仕事場という雰囲気があり、四代目のご主人、五代目のご長男、そして奥様の3人で仕事をしているという。
 
 
 

 浅草寺の提灯をはじめ、多くのお寺の提灯も手がけたという、匠の職人技によって作り出されるこの提灯も、最近はパソコンで作る文字を貼り付けるだけの、安価なものがもてはやされることを嘆いていた。

 ここから数分のところには、江戸名所図絵や広重の錦絵に描かれ、江戸名松の一つに数えられたという「御行の松」がある。
現在の松は三代目で初代は樹齢350年以上といわれている。
 

             昭和3年枯死した初代御行の松の幹

 この松は、樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなったという。

 「松一本根岸の秋の姿哉」  子規

 このすぐ手前には、こゞめ大福で名高い『岡埜栄泉』がある。


 歴史ある根岸の里、ちょっと寄り道はいかがですか?
2006.02.20

老舗の味

2006-02-19 23:34:35 | Weblog
 特別寒かった今年の冬、温かい鍋物を囲んでのひとときは至福である。でも、ひとりで鍋料理というのも、ちょっと侘しい。

 ひとりで食卓に座ることの多い我が身にとって、時々手がけるのがおでん。醤油はほとんど使わない関西風。しかし今年の冬は、その回数も激減。

 いつも仕事の往き帰りに前を通る蒲鉾屋さんがあった。
或る日、気がつくとその店のガラス戸に張り紙がある。よく見て驚いた。店じまいの張り紙である。
 

 そうか、僕は知らなかったが、古い建物のこのお店、こんなに歴史のあるお店だったのか。
ここのおでん種が美味しいことは知っていた。だからおでんといえば必ずここでネタを買っていた。
かなり高齢で、穏やかなご主人が奥から出てきて静かな応対をしてくれていたのだ。

 
 このお店の隣には、また古いお店がある。そこは提灯屋さん。
提灯が欲しいわけでもないのに、勇気を出して店の戸を開けた。
「お話を伺ってもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ、なんでしょう?」
ちょうど出かけるところだったお店のご主人が、機嫌よく迎え入れてくれた。

 そのご主人の話によると、お隣さんは、90歳を越えるお爺ちゃんがひとりで自家製のおでん種の販売をやっていたそうだ。
病気をしてから、自信をなくし不本意ながら店じまいをしたのだそうで、
「その張り紙も私が書いて張ったのですよ。その時、お爺ちゃんは泣いていましたね。」

 明治から三代続いたお店を閉めるのは、本人でなければ解らない無念さがあるのだろう。
そんな事とは知らずに買っていたここのおでん種、早く知っていればもっともっと買いに来たのに・・・。
 

 言問通りから100メートルほど入った所にあるこれらの古い建物もめずらしいが、なんと話を伺っているこのお店は、江戸末期から四代続いている提灯屋さんだという。
奥では五代目という耳にピアスをした若主人が、こちらににこやかな笑顔をつくてくれた。

 山手線の鶯谷駅から5分もかからないこの界隈、震災にも戦災にも遇わなかったそうで、古いたたずまいの家が多く、老舗もたくさんある。

 

 
 下町散歩、おもいがけずすぐ近くにもこんな歴史を見いだした。
ここから歩いて5分以内にも、歴史あるお寺やお店、旧跡がたくさんあります。
2006.02.19

じっと我慢

2006-02-18 17:29:25 | Weblog
 今日の東京地方は曇り空で、寒い一日になりました。
熱が下がりきらず、中途半端で気持ちも中途半端。我が性格を見ているようで、これも不愉快。仕方ないから、ちょっと我慢しよう。
 皆さんのブログへのコメントも残したい気持ちをぐっと我慢しながら、記事はしっかり読ませていただき、味わいある美しい写真も見させていただいています。

 年令と共に快復も遅れてくると同時に、涙もろくもなってくるようで、ベッドの中で徒然に読んでいた「ラブレター」におもわず声をあげて泣いてしまった。

 「60歳のラブレター」から
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 妻から夫へ

 あなた、あの時は本当にごめんなさい。二十二年前、息子(11歳)を心不全で亡くしたことは私たち夫婦にとってまさに晴天の霹靂でしたね。
毎日泣き暮らす私に反して決して泣かないあなたでした。
でも数ヵ月後のある晩、私が二男(8歳)との会話中ほんの少し笑ったとき、突然あなたが泣きました。
私はおどろきと同時に「今ごろになって泣くなんて・・・」と冷たく言いました。
あなたは号泣しながら「お前が泣いている間は泣けなかった。お前の笑顔を見てやっと安心して泣けた」
あなたの苦しい胸の内を知った私は絶句しました。
あれ以来、私はあなたに申し訳ない気持ちと、あなたの強いやさしさに感謝して毎日を大切に生きてきました。
わがままな私ですが、これからも私を支えてくださいね。
あなた、長生きして二人仲良く息子のお墓参りをしましょうね。

                         飯村喜代子さん(62歳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 人は皆、それぞれの苦しみや悲しみを背負って生きている。
なんでこんなに鼻がグズグズするんだぁ~。
長い人生には辛いこともたくさんある、風邪なんかに負けてられないぞ~。
2006.02.18

うれしくて

2006-02-17 19:44:23 | Weblog

 熱は下がったもののまだ平熱には戻らず、パジャマ姿のままPCを覗いてびっくり、風邪をひいたという一言に、皆さんからいただいた、多くのやさしいお見舞いのコメントや励ましに、どれ程勇気付けられた事でしょう。

 コメントは残せないものの、少しずつ皆さんの所へもお邪魔しています。
こんな時にはちょっとしたいい話にも目頭が熱くなってしまいます。
皆さんのところで、感動したり、微笑んだり、爆笑したり、そしてホロリとしたり、たくさんの元気をいただいています。

 ここにも一つのホロリを紹介します。

 60歳のラブレターから
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 妻から夫へ

 あなたに初めて貰った手紙には、たった一行、「君は僕の太陽だ」そう書かれてありましたね。
はじめはなんてキザな人だろうと思いました。
でもね、あなたのところにはじめて遊びに行った時、ゴミ箱から溢れるほどくしゃくしゃに丸められた便箋には「君は、君は、君は・・・・・」とだけ、その一言だけを何度も何度も書き潰されてありました。
あの時、あなたの心に触れたようで、私は涙が止まりませんでした。
あなたはどうして泣いているのか分からず、ボロボロのタオルを貸してくれましたね。
あれから32年、あなたがくれたこの手紙と、そこから生まれた家族の愛は、これからも私にとって、大切な大切な宝物です。
そして、私は今でもあなたの太陽ですか?

                      窪田希代子さん(58歳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この記事で、皆様からいただいたコメントへの返事とさせていただきます。

 皆様の心のこもった一言一言に感涙です。
2006.02.17

春なのに

2006-02-15 20:46:26 | Weblog


 ここ数日のぽかぽか陽気で梅の花も一気に開き始めた。
それなのに、ああそれなのに、また風邪をひいてしまった。

 数日前から喉に痛みを感じていたが、うがいや手洗いを頻繁にやっていて、何とかもたせていたのだが、昨夜あたりから熱が出始めた。
今朝、病院で検査をしてもらい、幸いインフルエンザ・ウィルスは検出されなかったので、まずは一安心。
しかし熱が38℃、ちょっとしんどい。

 皆さんの所へお邪魔できないかも知れませんが、お許しを・・・。

富士見坂

2006-02-14 14:41:31 | Weblog
 日暮里は、『ひぐらしの里』として古くから親しまれた風光明媚な地域でもあり、駅を挟んだ西側には、お寺や神社なども多く、史跡文化財の宝庫としても名だたる場所である、と案内にうたっている。 

 昨日「夕焼けだんだん」の夕陽を見て、急いで行った富士見坂は、まさにこれから陽が沈むところであった。
富士見坂の入り口には「浄光寺」という大きなお寺もあり、坂下の妙隆寺と合併した修性院と共に、ここも散策したい場所だ。

         

 今の季節はこの坂のほとんど正面に日が沈み、その左に富士山のシルエットが浮かんでいる。

 
  
 上の二枚は富士見坂に行く途中の墓地越しに見た夕焼けです。

 下の二枚が富士見坂から見た夕焼けです。
 

 この写真にも、中央左の高いビルと左端のビルの間に、富士山のシルエットがうっすらと写っています。
季節によってはここからダイヤモンド富士が見えるのだそうです。

 ここからの眺望も近年ビルが立ち並び、富士の姿の一部がビルに隠れて残念ではある。
地上から見られる富士山として、都内でもめずらしいこの場所も、いずれ見られなくなってしまうのだろうか。
2006.02.14

下町散歩

2006-02-13 23:12:02 | Weblog
 先日は日暮里カジュアル・ニポカジ繊維街の紹介をしました。
繊維街での買い物の後、羽二重団子で団子を食べて一休み、天気のいい日ならば夕方まで待ちましょう。


 そして駅を挟んで反対側、日暮里駅北口から西側へ歩きます。
徒歩で5分ほど、車も通れる広い道を行くとなんとそこは階段である。その名もユニークな「夕焼やけだんだん」


 ここからの夕焼けが美しいことから、一般公募で命名されたというこの階段を降りるとそこは谷中銀座商店街。
車が通れないから当然歩行者天国。のんびりとした下町風情がホッとする。
 
 
 

 陽が西に傾きかけた頃の夕焼けだんだんは、刻一刻と変ってゆくその姿に、様々な顔を見せながら日暮れていった。
 
 
 
 
 
 
 夕焼けだんだんの階段上から見た夕焼けです。
以前は、もっと見晴らしがよく、それはきれいな夕焼けが見られたと、通りすがりの年配の女性が言っていた。

     夕焼け小焼け   作詞 中村雨紅

      夕やけ小焼けで 日が暮れて
      山のお寺の 鐘が鳴る
      お手々つないで みな帰ろ
      カラスと一緒に 帰りましょう

      子供が帰った あとからは
      円い大きなお月さま
      小鳥が夢を 見る頃は
      空にはキラキラ 金の星


  「夕焼け小焼け」 の作者、中村雨紅は八王子に生まれたが、尋常小学校の教師としてこの日暮里まで通っていたという。
教師として赴任した第二日暮里小学校と第三日暮里小学校には、夕焼け小焼けの記念碑があるそうだ。

 日暮里駅から行くと、この階段の手前を右に曲がって5分ほど歩いたところには、富士見坂という坂がある。
都心にある幾つかの富士見坂のうち、地上から富士山の見える唯一の坂だそうで『関東の富士見100景』にも選ばれている。
正月には多くのアマチュアカメラマンで賑わったそうだ。
2006.02.13 

至りて堅きは・・・

2006-02-12 23:14:42 | Weblog


 漱石枕流(そうせきちんりゅう)という言葉がある。
「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す」という意味だが、本来は「枕石漱流」(流れに口漱ぎ、石に枕す)である。

 本来の「枕石漱流」の意味は、浮世を遠ざかり、山野の景勝の地に隠遁して自由に生活を送る様子をいうのだそうだ。 

 中国の故事によると、晋の孫楚がこの詞(ことば)を王済の前で、「流れに口漱ぎ、石に枕す」と言うべきところをうっかりと、「石に口漱ぎ、流れに枕す」と言ってしまい、「石で口を漱ぐのは、歯を磨くためであり、流れを枕とするは、耳を洗うためです」と、うまくこじつけて言い逃れたという。

 そこから負け惜しみが強く、自分の誤りに、屁理屈を付けて言い逃れることの譬(たとえ)をいう、とある。 

 因みに、夏目漱石の「漱石」や「流石」と書いて「さすが」と読むのもここからきているのだそうだ。

 堅いものと軟らかいものの対比として取り上げられることも多い、石と水。

 あるお寺の掲示板にあった詞(ことば)。

    至りて堅きは石なり
   至りて柔らかなるは水なり
   水よく石を穿(うが)つ
               蓮如上人


 私達の身の回りで極めて硬いというと"石" 、反対に軟らかいものといえば"水"ということになる。
「継続は力なり」というが、その軟らかい"水"が"石"に孔をあける様に、「たゆまぬ努力をすれば、大願は必ずや成就するであろう」ということらしい。

 また、別の意味で僕なりに解釈すれば、どんなに硬い石よりも、軟らかい水のほうが結果としては強いのではないかと思う。

 人生、肩肘張って生きてきたこともある。若いときはそれでもいいだろう。しかし歳とともに、それでは疲れてしまう。
少し肩の力を抜いて生きてみる事も大事だと思うようになった。

 それはダンスに於いても同じ事がいえる。肩や腰に力が入っていてはダンスは踊れない。
足首、膝、腰、肩それぞれの関節を柔らかく使って、身体全体の力を抜き、心もリラックスさせて始めていい踊りができるのだ。
但し芯には強さが必用なのであるが・・・。

 どんな器をも隙間なく満たす事ができる水のように、柔軟な生き方ができたらいいなと、この詞を見て思ったのです。
2006.02.12