勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

ホーホケキョ♪

2008-03-30 23:13:02 | Weblog
 その鳴き声に特徴がある、春告鳥(はるつげどり)ともいわれるウグイスは、鳴き方の練習をするそうだ。上手に鳴くウグイスと下手なウグイスがいるが、花札にもある梅にウグイスとは、メジロの間違いらしい。本来ウグイスは藪の中で虫を食べ、警戒心が強く、声はすれども姿は見せないのだという。

 鳴き上手なウグイスのように、おしゃべりが楽しい森男さんのブログで、先日、ウグイスカグラなる花を知った。漢字で書くと「鶯神楽」。ウグイスカズラではない。

 向島百花園で、ウグイス嬢のようにかわいいその花を見つけたのが数日前。6月にはグミに似た真っ赤な実を結ぶという。飛び跳ねながらその実をついばむウグイスの姿が、神楽を踊っているように見えるから、その名が付いたという説もあるようだが、名前の由来は定かではないらしい。

 我が家からも、仕事場からも、一番近いJRの駅は鶯谷駅。この駅では一年中ウグイスの声を聞くことができる。「危険ですから駆け込み乗車はお止めください」というウグイス嬢の声ではない。朝の時間帯にプラットホームのスピーカーから、ウグイスの鳴き声が流れている。

うぐいすの なく野辺ごとにきてみれば 
うつろふ花に風ぞ吹きける

-詠み人知らず-

 ウグイスには、花見鳥という別名もあるらしいが、午後から降り出した冷たい雨は、満開を迎えた桜の花を散らしてしまっただろうか? 「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」 と詠ったのは、親鸞上人9歳のとき。

春爛漫

2008-03-29 23:05:12 | Weblog
 「姥桜はええなぁ、色香がある」。桜守の佐野藤右衛門さんは、著書(聞き書き)「櫻よ」の中でこう話す。花にはみな「色気」がある。その色気を通り越すと色香にかわる。桜も姥桜になると、それまでの「色気」にかわって、ものすごい「色香」が出る。そうなると本物や。藤右衛門さんの話は面白い。
暖かな陽射しの下、満開の桜に、土曜日の上野公園は人も満開。春爛漫である。
 
 桜は、年老いても自分で調整しながら、また来年、一生懸命きれいな花を咲かせてくれますから、「よう頑張ってるな」という気持ちをこめて、ほめてやるつもりで鑑賞したらええんですわ。(藤右衛門さん)

不忍池に落とした弁天堂と桜の花影もさざ波に揺れ、色香が漂う。

ボート池では、老若男女、様々なカップルが春爛漫を謳歌していた。
 女性もそうや、花の盛りは短いかもしれんけど、染井吉野みたいに早めに朽ち果てずに、姥桜になるまで頑張ってほしいんです。(藤右衛門さん)

さまざまの事おもひ出す桜かな
-芭蕉-

花冷え

2008-03-28 23:37:49 | Weblog
花に酔う 花見花冷え 花ぐもり 
 数日来の暖かさで、いっきに満開を迎えた東京の桜。隅田川両岸の桜もライトアップされ、華やかに研を競い、夜空に舞う。

 しかし、花曇りの空からは時々小雨がぱらつき、花冷えの花金は、夜桜見物も湿りがち。それでも春の隅田の風物詩、ゆったりと川面に浮かぶ屋形船から見る夜桜は、春宵一刻値千金か。明日、土曜日の予報は好天に恵まれるとか。春のうららの隅田川は、上り下りの舟人で埋め尽くされることだろう。

何も求めない

2008-03-27 23:58:03 | Weblog

 白い毛に覆われて、うつむき加減に咲く赤紫色の花。春に咲き、花が終るとタンポポの綿毛のような白い毛に変化する。その毛が飛んで、真ん中が禿げた翁のように見えるところから名が付いたという翁草(オキナグサ)。僕のことではありません。僕はワスレナグサです。


 背丈の低い下向きの花を撮ろうと、地面に寝転びカメラを構えていると、この花を携帯で撮ろうとしていたカップルがいた。携帯のカメラを花に向けながら彼女が言った。「こんなに下を向いていると、撮りにくいわね、だから起きな草っていうのね」。思わず吹き出してしまった。


 花言葉は「何も求めない」「清純な心」だとか。他にも「背信の愛」というのもある。人を愛したとき、人は見返りを求める。しかし、この世で一番美しいもの、それは「無償の愛」だと、美輪明宏さんは言う。親が子を思い、子が親を思う心、それが純粋の愛の形、至高の美であると。

 親が子を殺し、子が親を殺す世の中、オキナグサのように、うつむきながらわが子を見守る姿に、無償の愛を見つけよう。背信の愛にならぬように・・・。

誰の子?

2008-03-26 23:16:56 | Weblog
つくし誰の子 スギナの子

 と歌われる坊主頭のつくしん坊。こんな可愛い息子ができるなら、いつでもスギナになりたいが、スギナというよりオキナ(翁)になってしまった。

 ところが、つくしとスギナの関係は、親子ではないらしい。つくしはスギナの胞子茎で、子孫繁栄のため胞子を遠くに飛ばす役割があるという。地中でつながってはいるが、それぞれが独立した大人だそうだ。ということは、この二人の関係は・・・?

 しかし悪戯っ子のように、あちらこちらに顔を出すつくしの坊や。愛嬌のある坊主頭の、ふっくらした可愛いやつを、ひとつ摘んで帰ろうか。はかまを脱がすと食べられるらしい。つくしって可愛いね♪

春うらら

2008-03-25 23:52:08 | Weblog
 うららかな春の陽射しの下、国立劇場前の桜が、のどかな昼のひとときを演出してくれる。

 誘われて出かけた国立劇場、「日本歌謡史100年!~昭和編~」と題した、五木ひろし公演楽日の25日。

 劇場正面玄関のガラスの扉が鏡となって、そこに映しだされた人影のくつろぎに、春うららが見える。左端に映るカメラを構えた怪しげな黒い影は、このブログの主。

 特に五木ひろしファンというわけでもないが、そのほとんどが、自分の持ち歌ではなく、昭和の歌謡史を飾った歌の数々で構成され、懐かしさに浸ることができた。

歌好きの僕にとって、彼が歌う昭和の名曲すべてが懐かしく、若かりし頃がよみがえる。
 
 暇さえあれば歌を歌っていた少年の頃。母は近所の人によく聞かれたという。「今日は祐ちゃんの歌う声が聞こえないけど、学校からまだ帰ってないの?」と。

 兄弟の多い我が家は、風呂の順番も大変だ。早く入れと言われた風呂の中でも歌っている。すると親父は早く出ろ、という。「早く入れと言ったのに今度は早く出ろって、僕はどうすりゃいいんだ!」と、食ってかかった昔を思い出させた五木ひろし公演だった。

春雨

2008-03-24 22:54:12 | Weblog
 あちらこちらから桜の便りが届いてくる。この数日の暖かさとはうって変わって、春雨に煙る今日の東京は、濡れて行くには冷た過ぎる。ましてや年寄りにとっては冷や水の如しだ。誰かが「おぼろ月さま、雨が・・・」などと傘をさしかけてくれれば「春雨じゃ、濡れて行こう」などと、かっこつけてみたくもなるが・・・。

そんな寒さの中でも、健気に咲く春の花タンポポ。どの花もみな背伸びをせず、控えめだ。

 星野富弘さんが描いたタンポポの絵を見て、花の茎に対して綿毛の茎が短すぎるのでは・・・?と、手紙をいただいたという。タンポポの絵を描くところにいたわけでもないのに、不思議に思った。手紙には、タンポポは種子をできるだけ遠くに飛ばすため、綿毛の茎は高く伸ばすのだと書かれていた。それを知らずに、長すぎる綿毛がバランスが悪いので、短く描いていた。と自著、花の詩画集「あなたの手のひら」の中でうちあけている。

 タンポポは、花が終ると地面に茎を倒し、身体を休ませながら全エネルギーをそそいで種子を作り、再び起き上がって茎を高く伸ばし、綿毛を遠くに飛ばすという。

 賢いタンポポは、春先の寒さに耐えるため、花の茎は高く伸ばさず、風にも倒れない工夫をしているのだそうだ。他にも葉をロゼット状に地面を這うようにして冷たい風を避けるとともに、一枚一枚の葉は重ならないように広げ、太陽の光を少しでもたくさん受けとめるようにしているらしい。

 寒暖に戸惑い、生き様にも戸惑う僕は、工夫を凝らして生きる野の花に負けているかもしれない。

春植物

2008-03-23 23:36:35 | Weblog
早春の花カタクリは、スプリング・エフェメラルと呼ばれる春植物のひとつだそうだ。
ephemeralとは、一日限りの、つかのまの、短命の、という意味らしい。

 そのカタクリの花が、向島百花園内の小高い丘に可憐な姿を現した。
 
 地上に姿を見せる期間は約二ヶ月、それ以降は地中の球根のみとなって、そのまま越冬する儚い命の花である。

乱獲や環境の悪化などによって、減少したカタクリの花。

その花言葉のように、「寂しさに耐える」「気がかり」な花でもある。

うつむき加減のその姿は「初恋」の花言葉もある。遠い昔のことで忘れてしまったが。
 

春蘭

2008-03-22 20:55:15 | Weblog

◇ 春蘭 ◇

-愛されている-

手を伸ばせば届くところ
呼べば聞こえるところ
眠れない夜は枕の中に
あなたがいる

-星野富弘さん-

 早春に咲く花、春蘭は目立たない花である。葉と同じ緑色の花は、見過ごしてしまいそう。愛する人も身近にいると、愛していることに気がつかないことがある。
 手を伸ばせば届くところ、呼べば聞こえるところに、愛する人がいる。それが幸せ。遠くても愛する人がいる、それが幸せ。眠れない夜、愛する人の名を呼んでみよう、眠れるかもしれない。今日は暖かな一日だった。東京では桜が開花したという。今宵は満月も美しい。

春寒

2008-03-21 09:01:50 | Weblog
 ♪マッチを擦れば おろしが吹いて 線香がやけにつきにくい・・・。そんな歌が聞こえてきそうな冷たい雨と風に、一年ぶりの墓参りは彼岸の中日にもかかわらず人影もない。しかし墓参りを済ませた後の清々しい気持ちは、春寒(はるさむ)も気にならない。その理由のひとつには、甥の息子、俊君に逢うことにもあった。

  母親と一緒に駅まで車で迎えに来てくれた彼は、一年ぶりの再会を喜んでくれた。ほとんど同じ時間に着いた弟と一緒に車に乗る。「祐ちゃんが来てくれてよかったね、もし来られなかったら、晴夫ちゃんに遊んでもらおうと思ってたんだよね」。母親の問いかけに「うん!」とうなずく。「じゃぁ、俊ちゃんは、祐ちゃんじゃなくても、誰でもいいの?」と聞くと、また「うん」と言った。「このやろー!」そういって大笑い。

 お土産の電車とミニチュアバスに大喜び。レールの組み立ても、ほとんど自分でやってのけた。一年前に比べ、びっくりするほどの成長ぶりに、自分の老いを重ね、うれしいやら、ちょっとさみしいやら。

 一日中僕のそばから離れない彼。送ってくれた駅で別れるとき、ほっぺにチューをしてくれた。いつまでもこのままで、大人になるなよ。そう思いながら帰途についた。

彼岸会

2008-03-19 23:21:56 | Weblog
 お彼岸である。先日姉から電話が入った。「20日の春分の日、お墓参りにみんなが集まるけど、都合はどう?」

 両親も亡く、父の後を継いだ兄の七回忌も済んだ。実家に帰る機会は少なくなった。「仕事の都合で行けないかもしれない」、そう答えていたが、一昨日、確認の電話が入る。「何とか都合がつきそうだけど」の返事に、姉が言った。「良かったわ、俊ちゃんが写真を撮ってもらおうと、ポーズを考えて待ってるわよ!」

 甥の4歳になる長男が僕を待っているという。昨年の秋の彼岸には行けなかったが、彼は楽しみにしていたらしい。僕が行かないので、がっかりしていたと聞いた。お土産のおもちゃも用意した。彼に会うのが楽しみだ。



わたしのお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
 
 一昨年、紅白で歌われ大ヒットした「千の風になって」は、墓参りに行く人を減らしたとまでいわれた。そして昨年の紅白で、すぎもとまさとさんが歌った「吾亦紅」が話題になっている。昨年の9月1日、吾亦紅の花とともに、一度紹介済みではあるが・・・。

 山裾にある母の墓前で、親不孝を詫びる中年男性の心情を切々と歌う彼の歌声は、中高年の心を揺さぶり、涙を誘う。この歌は、千の風で足が遠のいた墓参りの人たちを、再び墓に呼び戻したそうだ。


盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか

あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰

あなたに あなたに 謝りたくて



髪に白髪が 混じり始めても
俺、死ぬまで あなたの子供・・・

明日はお墓で、親不孝を詫びて来よう。 

男って・・・

2008-03-18 23:28:35 | Weblog
 切れ味が鈍った庖丁を研いだ。そばに置くと危ないので、目の前の棚に乗せた。台所仕事を始めると、その庖丁が棚から落ちてきた。慌てて受け止めようと手を出して指を切った。手から血が噴き出し、あたりに飛び散った。切り傷は骨まで達している。バンドエイドを貼るが、空気抜きの穴からも血が噴き出す。

 神奈川県に住むこの女性、心臓疾患があり、血をサラサラにする薬を飲んでいるので、血が止まらない。70年近い人生で、怪我で身体がガタガタ震えたのは初めてだという。家の周りは田畑に囲まれ、遠くに走る新幹線も見える。春になると自分で採ったセリやヨモギを送ってくれる。

 彼女のご主人、お隣の奥様に車で病院に行ってもらおうと、頼みに行くがあいにく留守だった。遅いので外を見ると、家の門の前で天を仰ぎながら、タバコを吸っている。
「そんなところで、何故タバコなんか吸ってるの?」
彼女の大声に
「どうしようか考えてるんだ」
「タバコなんか吸ってる場合じゃないでしょ!」


 タクシー会社に電話するが、なかなか出ない。救急車を呼んで病院に行く。先々週の土曜日の朝の出来事。土曜が休みのその病院は、偶々当直が外科の医師だった。4針縫ったが、切れた神経を数日後に縫い合わせる手術をしなければならない。応急処置が済むか済まないうちにご主人は出かけた。

 出かけた先は、3時間ほどかけて行く埼玉に近い、東京のはずれにある娘さんの家。友達を招いて、月に一度行われるマージャン大会。2~3日の泊りがけである。しかし、娘さんにひどく叱られてすぐに帰されたという。

 定年退職をして何年にもなるが、趣味のないご主人、朝遅いブランチも、早めの夕食も、毎日焼酎を飲みながら3時間はかけるという。彼女、ご主人のことを濡れ落ち葉と言っている。

 それから10日余り、食事の支度はご主人に任せるが、すべてが手抜き。それを指摘すると、「そんなめんどくさいことできるか」といって後片付けも疎かになる。「その面倒なこと、私は毎日やってるのよ!」

 現役のときは、日本人の誰もが知る大企業で、偉い役職についていた。彼女は、「まったく何の役にも立たないんだから」と嘆いていた。
ご主人の働きがあって、今があるのでしょうけど・・・???

花曇り

2008-03-17 22:39:44 | Weblog
 暑さ寒さの切り替え時、彼岸の入りの東京は花曇り。隅田公園の大寒桜(オオカンザクラ)が、ソメイヨシノに先立って満開を迎えている。
 通りかかった女性が声をかけてきた。「今年の桜は色が濃いですね」。数本あるこの大寒桜、なんとなくそんな気がしていた。毎年この時期に訪れるが、気のせいではないようだ。
 桜橋の袂では、今を盛りのハクモクレンが、桜に負けじと咲き誇る。母子の記念撮影に、「シャッターを押しましょうか?」と声を掛けると、うれしそうに赤ちゃんを抱いてポーズをとった。少しの注文をつけて撮った数枚の写真を見て、「やはり撮り慣れている方は違うわ」と、お世辞を言って立ち去った。

花曇り サクラ見上げて ハ・ハ~クション!

杉の花も満開らしい、鼻曇り。

さかなのうた

2008-03-16 23:55:08 | Weblog
谷川俊太郎さんは、その詩集の中の「空の嘘」でいう。

空があるので鳥は嬉しげに飛んでいる
鳥が飛ぶので空は喜んでひろがっている
人がひとりで空を見上げる時
誰が人のために何かをしてくれるだろう


 今、ネット上で話題騒然といわれる音楽アニメがある。女子大生がひとりで作った「さかなのうた」。幻想的な動画と、心地よいメロディーに乗った澄んだ歌声は、千の風になった少年の悲しみのようでもあり、不思議な魅力を醸し出す。

 空にある森に住む、悲しげなさかなの声は、空にあこがれた少年の声。そんなメルヘンの世界は、宇宙から届いた土井隆雄さんの喜びの声とは対照的だ。

 寝台急行「銀河」は廃止され、あの孤独な少年ジョバンニと友人カムパネルラは、銀河鉄道に乗って幻想的な夜空の旅もできなくなった。

 谷川さんは「空の嘘」で、こう結ぶ。≪空は青い だが空には何もありはしない≫と。
人は昔から鳥のように空を飛ぶ夢を見てきた。僕は時々、空から落ちる夢を見る。天国には行けそうもないな。あ~ぁ♪ 

陽光

2008-03-15 23:32:01 | Weblog
 風邪による発熱でダウンした一週間余り、目に入るものは皆モノトーン、食事はまずく腹も空かない。なにをするのも面倒だ。身体の不調は心も不調にする。熱も下がり外に出てみると、そこにはいつのまにか春があった。
 夜来の風雨はベランダをしとどに濡らし、春雷が運ぶ香りはまさに春。雨の一夜が明けると、風邪で寝てる間に開いたベランダのユキヤナギの、白い花びらにふりそそぐ陽光の温もりは、心まで温かく包んでくれる。そして健康の有難さと、春のよろこびを教えてくれた。

◇ 一度かぎりの旅 ◇

-ゆきやなぎ-

花びらが流れる
波にゆられ
岩をこえて
家族のように身を寄せ
浮いたり沈んだり

あの一列は遠足
あの団体は農協
ひとつだけで寂しげなのは
私の心か

汚れれば汚れるほど
美しい川を行きたい

一度かぎりの旅
花びらが流れる

-星野富弘さん-

 
 一度かぎりの旅。浮いたり沈んだり、波にゆられ岩をこえ、春の陽ざしに流れる花びらのように・・・・・。ユキヤナギの花びらの向こうに、すぐそこまでやってきた爛漫の春を見た。