勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

花便り

2014-03-31 23:17:33 | Weblog
 吹き荒れた春の嵐が嘘のように晴れ上がり、青い絵の具を流したような澄んだ空に聳えるスカイツリーが望むのは、隅田公園に咲く満開の桜。



春の陽射しを受けたその輝きは、桜色というにはあまりに白く、青空にばら撒いた真珠のよう。

 



 隅田公園は、隅田川を挟んで台東区側と墨田区側の川沿いの公園をいい、約700本の桜があり、花の名所としても知られている。


 春の嵐が去り、澄み切った空気の旨さに誘われて出かけた花の散策は、台東区側の川沿いから言問橋を渡り、牛島神社のある公園内を巡り、墨田区側の川沿いをぶらり、更に桜橋を渡って山谷堀公園を歩いた午前と午後のひと時。







春のうららの隅田川は、ながめを何にたとふべきの花便りでもあった。

花見日和

2014-03-30 00:45:26 | Weblog
 初夏を思わせるような暑さになった東京は、開花宣言が出たばかりの桜が一気に開き、上野公園の桜もすでに5分咲きから7分咲きのところもある。日曜日は雨の予報に、花見日和になった土曜日の上野公園は人人人で大賑わい。




 昼頃は花曇りではあったが、徐々に薄日も射し、気温もうなぎのぼり。やがて青空が広がり、桜の花も、人も犬も喜んでいるようだ。 





 喜んでいるのは桜や花見客だけではない。枝に止まった鳩も嬉しそう。ところが、注意書きの下がった枝を見つけた。よく見ると「桜の木の上にネコをのせないでください」とある。


 先日、上野公園の入り口の大寒桜の木の上で花見を楽しむ「花見猫」の紹介をしたばかりだが、毎年大寒桜とは別の場所にあるこの木の枝に、あの猫ちゃんがお出ましになり、花見客を楽しませてくれていたのだ。公園緑地事務所にどのような事情があるかは知らないが、木の枝に鳩が止まるのと、猫が乗るのとどんな違いがあるというのだろうか。ちょっと不粋な気もするが。。。


 気を取り直して、不忍池に足をのばす。満開とはいかないが、徒然草では「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」という。花見の楽しみ方も人それぞれ。



 ユリカモメの楽しみ方もそれぞれ。『明日ありと、想うこころの、仇桜、夜半に嵐の、吹かぬものかは』と、親鸞聖人が詠ったというが、日曜日は春の嵐にならないで欲しいものだ。

ティーブレイク

2014-03-29 00:34:22 | Weblog
 早朝、うっすらとスカイツリーにかかる春霞も次第に消え、春の陽射しが降り注ぐベランダは、そこにいるだけで汗ばむほどだった。開け放した窓からは春の匂いがする風が部屋を通り抜けて行く。


 遅い朝食は、パンとケーキとアップルティー。そして、食べ頃が過ぎたリンゴで作った手作りジャムを添えた、ベランダでの朝食を兼ねたティーブレイクは、安上がりの贅沢でもある。


 デザートは、お土産に頂いた濃密な味のくずきり。のど越しの冷たさが心地よく、春の暖かさが運んでくれた朝ののんびりした時間は、スマホで音楽を聴きながらの、ささやかな贅沢であった。この暖かさで桜の開花も早まるに違いない。

一年生になったら

2014-03-28 01:26:48 | Weblog

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
  




小僧クン 歌なんか歌って ご機嫌だねぇ


うん おじちゃん この歌はね 
2月に104歳で亡くなった まどみちおさんが作った
『いちねんせいになったら』という歌なんだよ



あの「ぞぉ~さん ぞぉ~さん お~はながながいのね」の
『ぞうさん』などの作詩をした人だね


そうだよ まどみちおさんはね 
子供の目線で動物にも優しい眼差しを向けた人なんだ





ボクもね いちねんせいになったら 
ともだちひゃくにん 作るんだ



そして 富士山の上で おにぎりを100人で 
ぱっくんぱくんと食べるんだね


この歌詞の「ひゃくにんで たべるんだ」とか
「ひゃくにんで かけるんだ」のことを 
変だっていう人がいるんだよ



何故だい?


ともだちが100人できたら 自分を入れて101人じゃないのかって 
ひとりどこに行ったんだとか これは童謡じゃなくて 怪談だとか
youtubeでみんな勝手なこと言ってるよ



あはっ! そんなこと大きな問題じゃないよ 
100人といってるのは 大勢という意味なんだよ
例えば 万里の長城や 九十九里浜なども 長いという意味だし
多いという意味では 千畳敷とか九十九島なんていうのもあるよ
そんなコメントは無視すればいいんだよ


そっか おじちゃんに聞いてよかった
ボクもいちねんせいになったら おおぜいのお友達を作って
まどみちおさんのようなやさしい人になって
イジメのない学校にしたいな


   


あちこちで桜の開花宣言があったようだけど
小僧クンのやさしさ宣言に期待して
いいお友達をたくさん作って 
イジメのない学校にしてね


おじちゃんも いじわるじいさんにならないで 
いいじいさんになってね



わぁ~ぉ

夢一輪

2014-03-25 21:38:28 | Weblog
 「おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」というが、春の夢は儚きものに例えられる。「夢一輪」という歌がある。「春を一輪咲かせてくれたら、夢を一輪咲かせてくれたら、別れの季節が来てもいい」と青木美保さんが歌う。

♪夢一輪 青木美保&五木ひろし

 一気に気温が上がり、汗ばむほどだった東京には、桜の開花宣言が出た。午後2時半ごろ、靖国神社の桜の標本木に5輪の桜が咲いたのを確認したという。 


 隅田公園の桜も膨らみかけてはいるが、ほとんどがまだ蕾のまま。そんな桜の木に咲いた数輪の花が、春の夢を届けてくれる。


 隅田川河畔の桜並木では、桜まつりに備え、提灯の飾り付けも始まった。春眠暁を覚えずともいうが、枕にかよう鳥の声を聞きながら、春あけぼののうす眠りに、夢が一輪咲いて、儚くも待ち遠しかった春がやっと来たようだ。

二輪草

2014-03-23 22:28:58 | Weblog
春の風に誘われて、我が家に一輪咲いた二輪草。
一本の茎に二輪の花を咲かせることからその名が付いたという二輪草。
根元には少し遅れた蕾がある。



冬の間は枯れて土だけだった鉢が、いつの間にか葉を出し花芽を付けていた。



夜になると花びらを閉じて、うつむき加減の小さな花も、夜明けとともに太陽に向かって背伸びする。



川中美幸さんは『二輪草』の中で

あなた おまえ 呼んで呼ばれて 寄り添って

と、夫婦愛を歌っているが
二輪草の花言葉は『友情』だとか。

好きで一緒になった仲


あれから40年
時と共に、友情に変わるのかも。。。

今年もお出まし花見猫

2014-03-22 23:48:07 | Weblog
朝晩の風はまだ冷たいが、日中の陽射しはまさに春。
晴天の土曜日、上野公園の入り口にある大寒桜が満開を迎えている。



その大寒桜の木の下には、カメラを構える人の波。
この桜がそんなに人気があるとは知らなかった。



そばに行ってみると、そこにいたのは花見猫。
毎年桜の時期になると上野公園にお出ましになるあの猫である。
昨年は2匹だったが、今年はなんと4匹もいる。



猫だって花見はしたいニャァ~、と言ったかどうかはわからないが
各地から桜の便りも届いてくる。



上野公園のソメイヨシノはまだ蕾も硬いが、公園内の寒桜が咲いている場所には
気の早い花見客が陣取り、宴会が繰り広げられていた。

 

東京の桜の開花予想は3月28日だとか
あと一週間も経つと、この桜並木も人で埋まることになるだろう。

初彼岸

2014-03-21 23:29:10 | Weblog
 「暑さ寒さも・・・」などというが、春分の日の今日は、春の陽射しが降り注ぐ晴れ上がったいい天気ではあったが、冬が舞い戻ったかのような北風が強く寒い日だった。これを寒の戻りというのだろうか。

 2か月前に急逝した甥の初彼岸でもあり、兄弟揃っての墓参りに行った。姉に駅まで車で迎えに来てもらうため、末弟の都合に合わせての時間を約束をした。あと10分ほどで駅に着く頃、車内でスマホに夢中になっていると、突然メールが入った。姉からかと思いながら開いてみると、次のようなメールである。


 訳もわからず顔を上げて、焦点の合わない目で前を見る。少しの時間のあと、女性の間に座っているマスクをかけた男を見て思わず「あぁ~」と声を上げた。そこに座っていたのは一緒に姉の車に乗ることになっていた弟である。彼は途中駅での乗り換えでこの電車を利用するのだ。


 実家から歩いて数分のところにある墓は、秩父連山を望む風光明媚といえる静かな山村である。子供のころ、この墓地に咲く桜並木が家から春霞のように見えていた。


 墓地からほど近い場所をローカル線の電車が走り、子供のころはガソリンで走る一両編成の電車をガソリンカーと呼んでいた時代もあった、思い出深く懐かしい場所でもある。


 電車の向こうに見える山並みの真ん中に、先の尖った山がある。この山を乳首山と呼んでいたが、正式な名前は知らない。調べてみると、乳房山とも呼ばれていたらしいが、正式名を笠山であることをはじめて知った。


 アップにすると、まさしく乳房のような山である。強い北風が吹く中での墓参りは「♪マッチを擦れば おろしが吹いて 線香がやけにつきにくい」と、あのすぎもとまさとさんの歌「吾亦紅」の世界である。今の時期、吾亦紅の花がさらさらと揺れるはずもないが、膨らみ始めた桜の蕾がさらさらと揺れていた。

 墓には、甥の他にその父親と甥の祖父母(僕の両親)の4人が眠っている。甥のひとり息子は小学4年生。今日はメンバーが9人しかいない少年野球の試合があり、会うことはできなかったが、学校で書いたという彼の手紙を見せてもらい、ホロリとさせられた春分の日でもあった。


Book Off

2014-03-19 22:17:26 | Weblog
 一度読んだ本は二度は読まない。読まなくなった文庫本は捨てることができるが、それでも保存しておきたい本もある。しかし、全集などは本棚を占領するがなかなか捨てられない。そんな折、近所に「古本三冠王」なる古本買取店がオープンした。


 我が家の本棚には、昭和46年発行の「吉川英治選集」30巻が、何十年も黙ったまま鎮座ましましている。たぶん半分も読んでいないだろうし、これからも読む気はない。そこで、古本三冠王に立ち寄り査定してもらった。結果は一冊100円、全部で3,000円である。それも仕方ないと、売る気になっていた。

 そんなとき、上野のBook Off のお店の新聞の折り込みチラシが入った。大きな文字で「ケータイ買取金額UP」に目が行く。我が家にはデーター消去が面倒で、捨てられずにいた2個のケータイが眠っている。そこで、ケータイと共に数冊残っていた文庫本を持って出かけた。 


 13冊のうち、1冊はカバーがないので値が付かないが、残りの12冊は、30円×5冊+10円×7冊=220円也。ごみとして捨てるよりいいかと、売ることにした。


 そしてケータイは100円×2個=200円。このケータイは再利用するのではなく、金属を取り出した後、潰して壊すという。データが取り出される心配はないということで、これも整理できるので、合わせて420円也を手にした。


 更に自宅に来て、古本の出張買取もしてくれるというので、無料の出張査定をお願いした。吉川英治選集の他にも、きり絵作家の滝平二郎氏のきりえ画集が3冊あり、そのすべてに氏のサインが入っている。


 40年前の1974年に彼の展覧会に行き、その時に目の前でサインしてもらったものである。前述の古本三冠王での査定では、1冊800円~1600円で、サインはプラス査定になるといわれていた。

 我が家に来たBook Offの査定は、なんと吉川英治選集が一冊10円、滝平二郎のきりえ画集も100円と言ったような気がする。古本三冠王とのあまりの違いに値段も忘れた。丁重にお断りしてお帰りいただいたが、「よくあることですから、ご期待に添えなくて申し訳ありません」と丁寧な挨拶で引き返してくれた。

 すぐに、古本三冠王に電話して、吉川英治選集をはじめとする、数冊の本を売りたいので取りに来てくれるようお願いした。蔵書というにはお粗末だが、愛着のある本もある。しかし、これから何年生きるかわからない。この際だから、終活のつもりで思い切って値の付く本は手放すことにしよう。そう決心して泣く泣く手放したのが、次の本である。




 100円にも満たない値を付けられた滝平二郎氏の「きりえ画集」は、サイン入りという付加価値もあり、3冊で1万円の値が付いた。少しの躊躇もあったが、これも手放すことにしよう。


 他にも数冊の料理本などを含めて、全部で1万6千円。ちょっと寂しい気もするが、すっきりした気分にもなった。時には思い切った断捨離もいいものだと実感した。

 

木の芽時

2014-03-17 15:53:10 | Weblog
 特別寒かったような気がするこの冬だったが、ようやく春の気配。ベランダの鉢植えも芽生えが始まり、花の蕾も膨らみ始めた鉢もある。昨日は春の陽射しが降り注ぐ暖かな日になるとの予報に、鉢の植え替えやら、場所の移動に一日を費やし、ベランダの両側は春の準備も整った。


 四季それぞれに良さがあるが、僕が一番好きなのは夏。その次が秋よりも春が好き。秋は紅葉などが美しいが、これから寒くなるので淋しさがある。春は希望に満ち、夏が来る喜びがある。そんなわけで春が好き。


 ベランダが整い、しばし小さな鉢の芽生えや蕾に癒される時間を過ごす。ところが夕方になって頭痛に襲われた。熱はなさそうだが、身体がだるい。ちょっと張り切りすぎたかな、そう思いながら大事をとって風邪薬と高麗人参酒を飲んで早めに床に就く。最近、疲れた時の高麗人参酒が効果があることに気が付いた。風邪をひくと長い僕だが、今日は頭痛もなく気分も悪くない。木の芽時は体調管理が大切だとか。今日も無理をせず早めに寝ることにしよう。

ホワイトデー

2014-03-14 22:56:20 | Weblog
 1ヶ月前のバレンタインデーは、年々減る義理チョコも辛うじてゼロにはならないで済んだ。そして今日はホワイトデー。それに伴い、義理チョコのお返しを用意していた。先日、東日本大震災により打撃を受けた東北の復興を支援する「東北物産展」に出かけたが、その時は混雑していて、思うような買い物ができなかった。そこで、物産展の最終日にもう一度出かけたわけだが、その時に見つけたのが丸ごとリンゴ・チーズ風味パイ。以前もこれとは違う会社ではあったが、丸ごとリンゴパイの美味しさに大ファンになっていた。


 これはバレンタインデーのお返しに最適と、ホワイトデー用に買い求めていた。その日は物産展最終日だったこともあり、大型のリンゴパイの最後の一個が残っており「値引きするよ」と声をかけられた。それではと、その大きいリンゴパイは自分へのホワイトデーにした。


 閉店時間が迫っていたこともあり、商品の多くは売り切れていたが、「100円引き~」などと言われれば黙って通り過ぎるわけにはいかない。そして求めたのが、いなにわ手綯(てない)うどん棒だら煮


 そんなわけで、この数日は海の幸が詰まった復幸缶詰を含め、東北の味に舌鼓を打ち、東北の素晴らしさを感じるとともに、ささやかながらの東北復興支援デーでもあった。

羽衣ジャスミン

2014-03-11 22:44:20 | Weblog
 仕事に通う道筋に数年前に開店した花屋がある。狭い歩道の両側にも多くの鉢が並んでいた。歩道を自転車で通ることができた頃、この鉢が邪魔だった。しかし、ご夫婦と思われる若いカップルが一生懸命に頑張りながら働く姿を見てそれは許せた。僕が避けて通ればいいことだったから。そんなある日、店頭の花はすべて片付けられ、店内も空っぽで休業の貼紙。表示された日にちを過ぎても店は開かない。だが、僕の心配は杞憂に終わり、新装開店になった。


 店頭商品全品半額の張り紙に心を動かされ買った鉢植えは、その花の香りが好きな羽衣ジャスミン。この花、以前もある方からいただいたのだが、今年は寒さのせいか蕾は持っているのだが元気がない。そこでもう一鉢欲しくなったのだ。


 花屋さんで今咲いている鉢は温室育ちなので、寒さには弱いという。しばらくは、不要になった漬物用陶器を鉢カバーにして部屋に飾ることにした。


 春は名のみの冷たい風に、部屋中に漂う羽衣ジャスミンの香りが春を呼び込んでくれるかもしれない。明日は暖かい日になると天気予報が伝える。ベランダでお茶でも飲みながら、この花の香りを楽しむ日も近いようだ。

復幸缶詰

2014-03-10 23:30:43 | Weblog
 東日本大震災から丸3年を迎えるが、上野の街から東北の復興を支援する取り組みの第一弾「がんばろう東北、東北物産展」が上野松坂屋で開かれている。東北には海の幸をはじめとする美味しい食べ物が豊富だが、風評被害などで苦しむ東北に少しでも力になろうと物産展に出かけた。


 どのお店も混雑しているのでゆっくり見て廻れない。とりあえず復幸の文字に惹かれて並んだのが、復幸缶詰のコーナー。あの日、宮崎県石巻市の木の屋石巻水産の木造の建物は、第一波の津波により倒壊し瓦礫と化した。その瓦礫の下に埋まっていた大量の缶詰が、救援物資が届くまでの数日間、多くの人を救ったという。


 発掘した缶詰は包装は剥がれ、商品とは言えない裸の缶になったが、各地の道の駅で販売し、多くの方から暖かい言葉もかけられたという。その後も多くの支援により新たに生産した感謝の缶詰が「希望の缶詰」として復活した「復幸缶詰」である。僕が購入したのは、金華の朝造りの「金華のさば味噌煮」「いわし醤油煮」と「銀鮭中骨水煮」の3種類。


 早速さばの味噌煮を食べてみたが、石巻で水揚げされる大型の「金華さば」を新鮮な生の状態のまま缶に手詰めにし、地元「高砂長寿味噌本舗」の味噌と、喜界島粗糖を使ったというだけあって、旨味が詰まったまろやかな味である。


 他にも岩手県大船渡「若大将」の海の幸が詰まったお弁当も持ち帰り、東北の味を満喫した。3年前の3月11日は、被災地から離れた者には忘れないといいながら日々遠のく感がある。東北の味であの日のあの悲劇と、被災者の苦しみをもう一度考えてみよう。

忘れな草プロジェクト

2014-03-09 23:44:12 | Weblog
 川に浮かぶ青い花が欲しいと恋人に言われ、流れに巻き込まれた若者は、岸辺の恋人に花を投げかけ「私を忘れないで」という言葉を残して急流に呑み込まれていった。その青い花、忘れな草の花言葉は、『私を忘れないでください』。

 僕がブログを始めたのは9年前の2005年2月2日。ちょっと変わった男のつぶやきを、記憶の片隅にでも残していただけたら、という思いで付けたブログ名が「勿忘草(わすれなぐさ)」だった。


 東日本大震災から3年、遅々として進まない復興への道。そんな中、復興支援・思いをつなぐ2014・忘れな草プロジェクトが銀座で行われている。福島県の農業高校生が育てた忘れな草に、宮城県南三陸町でひとつひとつ手作業で磨き上げたホタテの貝殻「祈り貝」を添えて、「被災地を忘れないで」をキーワードに行われる募金活動である。


 被災者や被災地に対し、今までも何も手助けできず、ただ手をこまねいているだけだったが、「勿忘草」をブログ名にしている僕としては「忘れな草プロジェクト」を黙って見ているわけにはいかない。銀座に出かけ、忘れな草の苗をいただき、チャリティー活動基金として、お札の中ではいちばん小額な札を一枚募金箱に入れてきた。


 「祈り貝」と名付けられた三陸のホタテ貝は 、願い事を書き、半円のシールで塞いで願いがかなうように祈って飾るのが趣旨だそうだ。欲張りな僕、復興を願うのはもちろんだが、他にも祈りたいことが山ほどある。あまり欲張らずに、あのような悲劇が二度と起こらないことを祈ることにしようか。

昭和歌謡

2014-03-08 23:15:31 | Weblog
 今、昭和歌謡がブームだそうだ。僕が子供のころ、父の職業はラジオ屋と呼ばれ、今でいう電気店だった。手巻きの蓄音機なるものも知っている。家では落とすと割れるSPレコードがかかっていた。昭和初期の歌謡曲である。そんな頃に覚えた歌は今でも歌える。SPレコードはやがてLP盤やEP盤と呼ばれる、落としても割れない材質のレコードへと代わり、今や針音がしないCDの時代である。

 年寄りと言われるのを覚悟でいえば、Jポップスなどと呼ばれる若者に人気の音楽は僕には馴染めない。早くて複雑なリズム、日本語とは思えない発音、詩というより日常会話のような歌詞、それらに詩情は感じられない。中高年には同じ思いの人も多いようで、昭和歌謡の需要が高まっているという。我々の世代にとっては昭和歌謡には懐かしさや居心地の良さがあるが、若者にも新鮮に感じられるのだとか。その陰にはYutubeなどの動画サイトの貢献もあるらしいが、昭和歌謡にはわかりやすいメロディーと、高度な言葉を駆使した作詞家の魅力もある。


 ここでも何度か取り上げた木下あきらさんのリードボーカルで人気のあったムードコーラス、秋葉豊とアローナイツの歌を収録した5枚組のCDが発売になったことを知り、早速ネットで注文し、先日それが届いた。このアルバムには1975‐2005年までのシングルコレクションの他にも、ご当地ソングや、カバーコレクションもあり、どれを聴いても木下あきらの世界に引き込まれる。


 彼の歌は言葉もはっきりし、歌詞によって使い分ける感情豊かな声音や強弱の妙。そしてどんな歌も名曲にしてしまうテクニック。このアルバムに収められた全99曲を聴いても飽きがこない。アルバムジャケットも、レトロな雰囲気のあるレコード風の紙ジャケットである。これは中高年を意識して懐かしさを前面に出しているのだとか。しばらくは昭和の匂い溢れる木下あきらさんの歌声が我が家から響くことになるだろう。