勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

スリムに生きる

2007-11-30 01:56:16 | Weblog
 ぼくは夏の数ヶ月のあいだ、海岸に食べのこしや、忘れられた宝物を見つけた。クラッカー、クッキー、レモネード、桃、干し葡萄、ドライ・シリアル、ポテトチップ、りんご、バケツ、手おけ、雑誌、鉛筆、凧、風船。
 ぼくは砂丘の端にある自分の小さな隠れ家に、いろんなものをもち帰った。

-五木寛之訳 「リトル・ターン」 から


 わけもなく空を飛べなくなったリトル・ターン(こあじさし)は、海岸の住人となり、星と語り、花とふれあい、目にうつる色彩に心うばわれる。思索にふけり、夢みることに熱中し、ある種のコレクターになった。

 時はゆっくりと過ぎてゆき、ユウレイガニと出会い、友情が生れる。ユウレイガニは言う。
「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ」
「どういうこと?」 
「きみが集めてるものの中で、何がほんとに重要で、何がそうでないかに気づかなくっちゃ」



 もののない時代に育った僕は、使わないとわかっていても、着ないとわかっていても、形あるものは棄てることが出来ない。長くない残りの人生で必要なものだけを残し、不用なものは処分することにした。スリムに生きることも必要だと考えた。

 まずはじめに、衣類の整理。山になった衣類を袋に詰め、隅田川の青テントへ持っていった。彼らを助けようなどという大それた気持ちなどさらさらない。ゴミとして捨てるよりは、役に立つならという、自己満足に過ぎない。これからの寒い冬を過ごす彼らにも、飛べなくなった事情があるのだろう。いつか飛べる日が来るまで、しのいでくれればそれでいい。

サンタクロース

2007-11-28 00:41:51 | Weblog
 ミュラという国に、大金持ちの息子として生れたニコラスは、長じて司教になる。心やさしい彼は、恵まれない人々や、子どもたちのために金品を贈り、聖者(セント)ニコラスとして人々に崇拝されるようになった。彼こそサンタクロースである。
 11月も終わりに近くなると、あちらこちらでクリスマスの飾り付けや、イルミネーションのニュースが聞かれるようになる。今年もあとわずか一ヶ月あまりになった。
 浜松町駅のかわいいサンタ君、間もなく君の出番だよ。恵まれないおじさんのいる我が家には、どんなプレゼントが届くのかな?

2007-11-27 00:37:28 | Weblog
 各地の紅葉が遅れ気味だという。散り遅れた秋の花コスモスが、初冬の風に揺れていた。コスモスの語源は宇宙(cosmos)からきているという。宇宙に煌く星のように咲く姿を表しているらしい。
 
◇ コスモス ◇

風は見えない
だけど木に吹けば
みどりの風になり
花に吹けば
花の風になる

今 私を
過ぎていった風は
どんな風に
なったのだろう

-星野富弘さん-


 コスモスの花が風に揺れる姿は儚げだが、生命力のある強い花だという。土地を選ばず、雑草にも負けず、風にも強い。一度種を撒くと自然と落ちた種が春になると発芽する。

 季節はめぐり、風も変わる。春から夏へ、夏から秋へ、そして冬の木枯らしへと。木々に吹く風はみどりの風に、花に吹く風は花の色になる。人に吹く風はどんな色になるのだろう。ボブディランは「風に吹かれて」の中で言う。『答えは、吹きすさぶ風の中にある(The answer is blowin' in the wind.)』と。明日のことは、風に聞いてくれ、とでも言っているように。

 見えない風に吹かれながら、明日はまた来る。風は希望も運んでくる。今日の一日をありがとうと呟いてみる。今日一日が無事ならば、明日は必ずやって来るから・・・♪ 

夜明けのコーヒー

2007-11-24 22:59:09 | Weblog
 足音を立てて冬将軍が近づいてくる。そんな日は熱い飲み物が美味い。日本茶、紅茶、コーヒー、ココア。朝一番に飲むのは、平熱を上げるために飲むハチミツと生姜入りの紅茶。食後は日本茶、そしてPCに向かうときはコーヒー。ミルクたっぷりのココアは、リラックスタイムに。

 しかし、一人の僕は一日に飲む量は限られている。夏の間も使っていた電気ポット、24時間電源は入れたまま。お茶を飲むにはいい温度だが、コーヒーには温度が低い。時には中の水が少なくなったまま朝を迎えることもある。使い勝手も悪く、無駄が多いような気がしていた。
 そこで見つけた電気ケトル。なかなかの優れものである。何種類かある中でも1ℓの容量は、独り者の僕にとっては丁度いい。本体は電源プレートに乗せるだけ、電源スイッチは取っ手にあり、お湯が沸騰すると電源は切れ、ケトルは簡単に持ち上げられる。そして何よりも沸騰までの時間が早い。お茶を入れる準備をしている間には沸騰する。

 寒くなりそうな今年の冬。駄洒落が寒い、髪が寒い、心も寒い、そして一番寒いのは懐。このケトルで温かい冬を過ごせるかな?夜明けのコーヒー二人で飲みたい、なんて言ってくれる人はいないけど・・・♪

酉の市

2007-11-23 23:59:57 | Weblog
 三の酉まである年は火事が多いとか、酉の市は寒いとか、古くから言い伝えられてきた。今年は二の酉まで、そしてここ数年、酉の市になっても暖かい日が多かった。

 今年の酉の市は、一の酉も二の酉の今日も、木枯らしの吹く寒い日になった。夏の猛暑の年は冬が寒いとも言う。寒さに弱い僕にとっては、厳しい冬になりそうだ。
 酉の市の開かれる、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)は我が家の目と鼻の先にある。我が住まいのある交差点の角まで屋台が出て賑わう。熊手は買わないまでも、お参りに行かない手はない。
 市の人ごみの中から、雰囲気の違う一団が歩いて来た。大きな熊手を持ったその人は、ひと目で石原慎太郎都知事とわかった。カメラを向けると、「俺にも写真をくれよ!」と、声をかけてきた。

 酉の市が終ると、今年もあと僅か、無事に一年が終ることを願う。

木枯らし

2007-11-22 21:04:21 | Weblog

◇ 小菊 ◇

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする

-星野富弘さん-


 冷たい風に咲く小さな花がある。その花の蜜を吸う小さい虫がいる。みんな生きている。寒くても、小さくても、弱くても、みんな一生懸命生きている。


 悲しみより喜びが多いほうがいい。弱いより強い方がいい。ふしあわせよりしあわせがいい。悲しみがあって喜びもある。弱さは心を強くしてくれる。ふしあわせが愛をより大きくすることもある。負があって正がある。人生、足したり引いたり。

 外は木枯らし、月が美しい。寒い冬のあとには、暖かい春が待っている。いつもしあわせとは限らないけど、いつも元気とは限らないけど、明日という字は明るい日と書く、と昔誰かが歌ってた。

百匁柿

2007-11-20 22:32:13 | Weblog
先日、姉からメールが届いた。


明日柿を送ります
渋抜きをしているので、一週間くらい開けないで、そのままにして下さい



ありがとう
保存は冷蔵庫がいいのかな?
 


たくさんあるので冷蔵庫は業務用をお勧めします(^^ゞ



業務用、買いに行かなくちゃ(笑)



買いに行くの大変だから常温で一週間開けないでね



了解!


次の日の夕方宅配便が届いた。


柿が届きました、ありがとう!
業務用冷蔵庫に入りきれないほどなので、箱のままがいいのかな?



そのままで一週間ね



了解!

 一週間後の昨日、箱から出した柿は、姉の家の庭になった「百匁柿」という種類で、その名の通り大きな柿である。

 早速食べてみた。渋が抜けて、ほどよく柔らかくなった柿は、口の中で甘みが広がり、昨日からの真冬の寒さを吹き飛ばしてくれそうだ。焼酎で渋が抜け、こんなに甘くなるのなら、僕も焼酎に浸かってみようか?

 「柿が赤くなると医者が青くなる」といわれる。柿にはビタミンCが豊富に含まれ、栄養価も高く、風邪も引かなくなるという。二日酔いにも効果があるらしい。

 毎日一個づつ食べても、今月いっぱいは充分に持ちそうだ。体調不良なんて言っていられないぞ♪

リトル・ターン

2007-11-19 08:48:08 | Weblog
 ブルック・ニューマン作、五木寛之訳の「リトル・ターン」という本がある。空を飛べなくなった一羽の鳥が、再び飛べるようになるまでの不思議な物語である。以前にも紹介したことがあるが・・・。
 飛行技術に優れた鳥、リトル・ターン(コアジサシ)は、その生涯の大半を空で過ごす。彼は、ある日突然、わけもなく空を飛ぶことができなくなってしまった。それは、彼にとって何もかもが消え去ったことを意味していた。


夢ははるか 青い空へ
いつの日 還る
つばさひろげ 海をこえて
飛びたい 遠く

あぁ その夢は
いまは消えて
ただ 砂に眠る



 地上に降りた彼は、海岸で暮し始める。そこで出会ったすべてが、彼にとっては不思議なものに思えた。夏の数ヶ月を過ごした彼は、ある日ユウレイガニと出会う。

 時間をかけて育んだ鳥と蟹との友情は、距離をおきながらもお互いを思いやり、透明な関係を作りあげる。その友情から、リトル・ターンは様々なことを学んでいく。 

 ある朝、彼は海岸の上に太陽が輝き始めると、自分の影に気が付いた。地上で暮らすことのないリトル・ターンにとって、それは大発見であった。飛んでいる鳥のそばに影はなく、着地したときだけ影の存在に気が付く。

 自分の影を見つめながら、存在しないように見えても何かが存在することを知った彼は、長い翼を風に向かって大きく広げると、自然に空を飛んでいた。

 空を飛べなくなってはじめて、自分の影を発見したリトル・ターンの、奇妙で孤独に感じられた体験は、地上に降り、足元を見ることによって、多くの新しい発見をしたのである。そして友達のユウレイガニが見守る中、再び大空に飛び立ったのだ。


あぁ いつの日か
高く 遠く
あの空に 還る



 全力で走っていると、足もとが見えにくい。足もとが見えないと、小さな石にもつまずく。時には立ち止まり、時にはゆっくりと歩き、足もとを見ることによって何かが見えてくる。休むことも必要だと、リトル・ターンが教えてくれた。

追記

 文中の詩は、カタルーニア地方の民謡に、五木寛之さんが歌詞をつけ、岩崎宏美さんが歌っています。すべての歌詞ではありませんが、渡部篤郎さんの語りによる、この物語のCDの中で、挿入歌として歌われている素敵な歌です。

つぶやき

2007-11-18 10:11:48 | Weblog

 かつてないほどの、記録的な猛暑となった夏の疲れが出たのだろうか、今月に入ってから体調が芳しくなかった。寝不足もあり、睡眠薬に頼ることもしばしば。体調が悪いと、気力もなくなる。仕事にも身が入らない。休みがちになる。普段でも悪い頭の働きが更に悪くなり、言葉が思い浮かばない。ブログも手抜きになる。そこで一度立ち止まってみた。

 無気力な日が続き、日がな一日ベッドで過ごす日が多くなった。PCの前に座る時間も極力少なくした。しかし一度緩んだ心の糸はなかなか元に戻らない。ブログを休んで一週間が過ぎてしまった。そろそろ歩き出してみようか、ゆっくりと。何かが変わるかもしれないから。

蜘蛛の糸

2007-11-11 23:07:59 | Weblog

 細く強く弾力のある蜘蛛の糸は、他に類を見ないほどの優れた自然界の素材だという。蜘蛛は棲息範囲をひろげるため、晩秋のあたたかい日に、尻から出した糸でいっせいに風にのって空にとびだすという。飛行蜘蛛といって数キロ先まで飛ぶそうだ。そんな蜘蛛の糸もプッツンするときがある。


 芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の中で、お釈迦様は、罪人カンダタが一度だけ蜘蛛を助けたことに報いるため、蜘蛛の糸を垂らし地獄から助けようとする。しかしカンダタが自分だけ助かろうと、あとから登って来る多くの罪人を振り落とそうとしたそのとき、糸はプツンと切れて、彼は再び地獄の底へ堕ちて行く。


 最近の僕には、張り詰めた糸が切れたように、緊張感が無い。どうもプッツンしているようだ。あの小沢一郎さんもプッツンしたとか。僕とは次元が違うが・・・。

 長い人生を生きてきた。中途半端が嫌い、立ち止まるのが嫌い、振り向くのが嫌い、ましてや後戻りなど。いつも全力で駆けて来た。伸ばしたままのゴムは、弾力が無くなる。伸びきった我が気力、緩んで弾力もない。たまには歩を止めて、ゆっくり歩いてみよう。 

 皆様のブログへのコメントや返信が遅れることをお許しください。

石蕗

2007-11-10 16:50:57 | Weblog
石蕗 (ツワブキ)


-ツワブキ-

悲しくて花を見れば
花はともに悲しみ
うれしくて花を見れば
花はともによろこび
こころ荒れた日
花を見れば
花は静かに咲く

-星野富弘さん-


 悲しい日もある、うれしい日もある、こころ荒れた日もある。それでも花は何も言わず、誰にも媚びず、見返りも求めず、見るものの心を癒し、黙って咲いている。口数の多い我が身には、花のように静かに咲く姿、見習おう。

 蕗(ふき)に比べ、石蕗(つわぶき)は葉に艶があり、その新芽の茎はキャラブキとして食用に、葉や根は生薬として利用されるという。

 花言葉は『謙譲』『困難に傷つけられない』とか。言葉で他人(ひと)を傷つけてしまう僕。もっと謙虚にならなければ。

ハナミズキ

2007-11-08 23:59:58 | Weblog
巡る季節は駆け足で過ぎてゆく。春を咲き、秋を彩り、初冬を飾るハナミズキ。

澄み渡った立冬の青空に、珊瑚かルビーか、真っ赤なハナミズキの実が眩しい。

 ポトマック河畔に咲く桜の返礼として、日本に贈られたというハナミズキ。その実は宝石よりも美しく、燃える炎より赤く、短い秋を惜しむように、紺碧の空を独り占め。

 『返礼』という花言葉。他にも『私の想いを受けてください』という意味もあるらしい。燃えるような赤い宝石、誰に贈ろうか。

サフラン

2007-11-07 23:25:00 | Weblog

◇ 悲しみの意味 ◇
-サフラン-

冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が
咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく

-星野富弘さん-


 喜びと悲しみ、出会いと別れ、好きと嫌い、いつも紙一重。昼と夜、晴れと曇りそして雨。ひとつの花が咲き、そしてしぼむ。喜びも、悲しみも、苦しみも、すべてがあって人生。長い人生を歩んできながら、僕が僕になれない未熟さ。だから僕なのか?

 サフランの三本の黄色い雌しべは、香料・染料・生薬など、利用価値が多いという。何の利用価値もない僕とは大違い。悲しみの意味、それはいくつになっても未熟な我が身。

サフランの花言葉は「歓喜」だというが・・・
 

秋色

2007-11-06 23:13:47 | Weblog
秋は夕暮れ
夕日のさして山のはいとちかうなりたるに
からすのねどころへ行くとて
みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり

-『枕草子』より-


各地から紅葉の便りが届く。秋は淋しくて美しい。美しいから淋しいのか?


秋の色

青く澄んだ高い空
空にひろがる白い雲
夕焼雲の燃える赤
花よりきれいに色づく葉
青・白・赤・黄
秋の色は美しい
美しい秋は
淋しい秋


冬桜

2007-11-05 23:15:12 | Weblog
晩秋の陽ざしにしては暖かい。ふと見上げた木の枝にひっそりと咲く白い花。
桜?

このあたりにお住まいかと思われる、通りすがりの年配の女性に聞いた。

「この桜、今の次期に咲くのですか?」 
「桜は4月です」
「・・・・・」
「あのぉ~、この桜ですけど・・・」
「あら、咲いてるのね」





桜 桜 冬桜
春に背いて咲くがいい
 

桜 桜 冬桜
歩いた道を恥じるなと


ただひそやかに
心にそっと ふりそそぐ

-詩・たきのえいじ さん-