勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

シャルウィダンス?

2006-04-30 01:28:28 | Weblog
 芸能人による社交ダンス大会が、毎週土曜日に日本テレビで放送されている。
テレビで活躍するタレントさんたちが、ダンスのトッププロにレッスンを受け、その先生方と組んで踊り、勝敗を競うのである。

 昨夜放送された敗者復活戦では、踊り終わった彼らがみな一様に涙している。
短期間のレッスンであれだけ踊れるようになるには、相当の努力が必要であることは容易に察しが付く。
その苦しいレッスンの過程も見せてくれるのだが、そんなレッスンに耐えて、見事に踊り終わった後には、清々しい達成感があるのだろう。みな口をそろえてダンスの魅力を語り、涙涙のフィナーレである。

 この番組はまだまだ続くそうだが、5月20日(土)に決勝戦の放送があるとのこと。興味のある方は是非ご覧いただきたい。ダンスの魅力を少しでも分かっていただけると思います。

 
 我がホールでも去る4月17・18日の両日、お客様のデモンストレーションが行われ、二日間で32組の方が華麗なダンスを披露してくれた。

 スポットライトに照らされて踊る3分間、だれもがヒーローになりヒロインになれるのである。
踊った後の快感は、どなたも2度3度と出演する事からもお解りいただけると思う。

 我がお客様も、理解あるご主人の声援を受け、にこやかな笑顔で踊ってくれた。
 
 

 あなたもダンスに目覚めてみませんか。
2006.04.30 

一期一会

2006-04-29 12:22:58 | Weblog
 「一期一会」とは、茶の湯の心から来ているそうだが、あらゆる出会いを生涯にただ一度と考え、大切にする心がけを表わす言葉だそうだ。

 いよいよ今日からGWの大型連休に入る。
残念ながら、遊び事をなりわいにしている我が身は、仕事優先になるが、これもまた楽しからずやである。

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-ポピー-

花と咲く日は
今日一日かぎり
今日は雨が降るかも
しれなかった
大風かも知れなかった

-星野富広さん-
 
 「江戸しぐさ」の語りべ、越川禮子さんがこんな事を言っている。
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 観光シーズンの今、旅行や観劇など、見知ぬ人とすれ違ったり相席になったり、ただ一度の「おちかづき」が頻発します。
ぶつかったり、切符を買うのにてまどり次の人を待たせたりした時、「束の間のつき合い」の心が場を和ませます。

 何年か前に初めて名古屋に行ったときのこと、駅構内でうろうろしていた私に、「何かお探しですか」と声をかけてくれた上品な女性がいました。ホッとしてホテルへの行き方をたずねると、「それは西の方へ出られて、そこからタクシーにお乗りになるといいですよ」と、実際に指をさして教えてくれたのです。
西も東も分からなかったのでそのしぐさはとてもありがたく、お礼を言って何歩か歩いて振り返ると、その女性は心配そうにこちらを見守っているではありませんか。

 思いがけず名古屋で出会った「江戸しぐさ」に、一日中にこにこしていたい気分で、名古屋がすっかり好きになって帰ってきました。

-江戸しぐさ語りべの会主宰・越川禮子さん-

朝日新聞から抜粋
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 若い頃、一人旅が好きで行った度々の九州旅行で、観光バスやタクシーの運転手さんの優しさに何度も触れたのが、僕の九州が好きな理由のひとつかもしれません。
2006.04.29

足跡

2006-04-27 23:53:18 | Weblog
 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」といいます。
勿忘草は死して棘を残しますが、上野動物園の動物たちは足跡を残していくようです。


 JR上野駅の公園口にある公園通りには、上野動物園の動物の足型を描いたブロックが、去る24日に埋め込まれた。
30センチ四方のブロックに描かれた足型は、上野動物園の小宮園長が長年にわたって集めた拓本を基に、親しまれている動物を選んだという。

  
  

 上野の森を出て右に折れると、最初に人の足型と人気者のゴリラのケンタ、他にもジャイアントパンダのリンリンなど12種類の動物と恐竜の、実物大の足型が坂を下って商店街へと向かっている。
死んでしまったが足型だけは残しておきたい、と採った動物も含まれているという。
前後の脚の長さが違うカンガルーは両方の脚が描かれているが、動物たちの足型は今後も増やし、街を楽しく演出する計画を続けていくそうだ。


 花見で賑った上野公園は、新緑が美しい穏やかな公園に戻っていました。
2006.04.27

おざなり ・ なおざり

2006-04-26 23:42:40 | Weblog
 このところちょっと忙しくて、すべてがおざなりになっている。
やらなければならないことがたくさんありながら、ついつい後回し。
ブログに時間をかけていると、他の事をなおざりにしてしまうことも度々。ブログは楽しいから、それはそれでよしとするのだが・・・。

 ところで、このおざなりと、なおざり どう違うかよくわからない。
辞書で調べてみた。

おざなり
(お座なり・お座成り・御座なり)

その場逃れにいいかげんなことを言ったり、したりすること。




なおざり
(等閑)

真剣でないこと。おろそかにすること。


これでもよくわからない。

次は、北原保雄 編「問題な日本語」を見た。

おざなり

いい加減にではあるが
<一応はすることはする>




なおざり

無視してほうっておくことで
<必要なことをしない>
 
 正しく使いたいと思うが、わかったような、わからないような、自信がない。
2006.04.26

見えない傷

2006-04-25 21:35:20 | Weblog
 若者に絶大な人気のある女性歌手のコンサートの会場。熱狂的なファンで埋め尽くされている。
フィナーレでの事、全員が立ち上がってペンライトを振って盛り上がっている。
前列の目立つところにいる一人の女の子、座ったままだ。
女性歌手はそれを見ていったそうだ。
「みんな折角盛り上がっているのに、立ってくれない人もいます」

 その女の子、足が悪くてひとりでは立てない。どれ程傷ついた事だろう。
         
☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 我がホールでの出来事。
顔を出すことが少ないが、ひさしぶりに踊りに来た男性。
脳梗塞の後遺症で、手に痺れが残っている。
その日の入場料は1,000円、ズボンのポケットから財布を出そうとするが、上手く出せない。
それを見た受付の女性、
「なに、たったの1,000円を出し惜しみしてるの」
この男性、
「カネが嫌がってるよ!」
そう冗談で交わしたが、傷ついたそうだ。


<
-だれもが刺(とげ)を-

だれもが
刺を持っています
外に向いているか
内に向いているか
それだけのちがいです

-星野富広さん-




花は「ワルナスビ」という刺のある野草です




僕のことではありません♪
   
 どちらも言った本人は、相手が傷ついた事は知らないだろう。
知らず知らずのうちに相手を傷つける言葉を言ってしまうことがある。
多分、ぼくも気づかずに、多くの人を傷つけているに違いない。
自戒を込めて、言葉の難しさを感じ、気をつけなければと思うのです。
そして相手への思いやりが大切だと知りました。刺は内に向けて・・。

 ただし、このブログへのコメントに関しては、そんな心配はご無用です。皆さんの楽しく、エスプリの効いたコメント大歓迎です。
どうぞ遠慮なく、ブラックジョークを寄せてください。
胸とおでこを拡げて待ってます。

2006.04.25

バランス

2006-04-24 23:09:17 | Weblog
 眼科に行ってきた。左目は緑内障、右目は網膜剥離で4年前に手術をした。
目の大切さを思い知らされている。そのことは過去に記事にしました。時間があったらお読みください。

    病院の入り口に咲いていた赤いハナミズキです

 眼科の診察で必ず言われることがある。
「眼を大きく開けてください」
精一杯大きく開けているのにである。
何度も言われ、最後は先生が手で僕の眼を開ける。
いつものことである。

 高校生の時であった。縁日で綿菓子を食べていた。
そばに来た小さな女の子、僕の顔をしみじみと見ながら言った。
「おじちゃん、お口大きいね」高校生の僕にである。
自覚がなかった僕は、家に帰って鏡を見た。
鏡の前で口を開けたり閉じたり、よ~く見て納得した。

 大人になってから歯医者での事。
歯型をとりに来た看護士、僕の口に歯型をとる為の器具を入れようとして一言、「あら、小さいわ」
そう言って、取り替えに行った。黙って行ってくれ。

 この顔と半世紀以上も付き合ってきた。大きいのと、小さいのとで、ちょうどバランスが取れているのだ。何事もバランスが大事である。
2006.04.24

ちいさいから

2006-04-22 23:49:39 | Weblog
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-ちいさいから-

ちいさいから踏まれるのさ
弱いから折れないのさ
たおれても
その時 もし
ひまだったら
しばらく
空をながめ
また起きあがるのさ

-星野富弘さん-

 病院に運ばれて何日か後、だれかが廊下で、小さな声で話しているのがきこえます。
「今日か明日が峠らしいよ」
それをきいていた人が「わぁ~」と泣きだしました。

 わたしは、天井をを見つめながら「死にやしないよ」と、心のなかでつぶやきました。でもどういうわけか、つぎからつぎへと涙があふれてきました。
涙を母や姉たちに見られるのははずかしいと思いましたが、涙をふく手がどこにあるのかさえわかりません。
天井の大きな電球が、涙でシャンデリアのようにかがやき、まぶしくてしかたがありませんでした。

               ☆ 

 ここに、スケッチブックが七冊あります。
どれもが角がおれて、紙もうす茶色になってしまった、古いスケッチブックです。
1972年12月、私はこのスケッチブックの最初のページに、ひとつの文字を書きました。
              
 かたかなで「ア」と書いたのが最初でした。
文字の大きさは、3センチくらい。書いたときは考えてもみなかったのですが、この「ア」が、わたしを新しい世界へとみちびいてくれたのです。

 そしていま、たまにひらいてみるスケッチブックのその文字を見るたびに、わたしの心は“きりっ”とひきしまるのです。

-星野富弘著・「かぎりなくやさしい花々」より抜粋ー
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
-冬に咲く花-

夏に咲く花があり
冬に咲く花がある
どちらがしあわせ
などと
誰にも言えない
走る人がいる
自転車の人がいる
車椅子の人がいる



-雨-

じゃがいも畑の横の道を
その子は後をつけてきた
麦畑をすぎ
墓場の角をまがっても
桃色のスカートを揺らせ
心配そうについてきた

「ありがとう」
家のそばで 私がいうと
その子は黙って
帰って行った

くるま椅子で
雨に降られた日のこと

-星野富弘さん-
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2006.04.22

生きているから・・・

2006-04-21 23:43:16 | Weblog
-生きているから-

痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今かなり生きてるぞ

-星野富弘さん-
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 体育の先生になって、二ヶ月がたちました。
1970年6月17日。その日は、梅雨にはめずらしく青空がでて、さわやかな初夏の風がふいていました。
 放課後、体育館にいくと、ひさしぶりによくなった天気のせいでしょうか、いつもより、からだがかるくなっているような気もちでした。そんな日は同じ宙がえりでも、からだが自然にうきあがるのです。
 
 生徒たちにつづいて、何度めの宙がえりをしたときでしょうか。
どうしたことか、マットに頭からおちてしまったのです。でも、いままで何十回とやってきた失敗のひとつだと、べつに気にもせず、ひっくりかえっていました。

 しかし、ひっくりかえったまま、どうしても、起き上がることができないのです。
そういえば、おちた瞬間、耳の奥のほうで大きな音がしたような気がしました。ひたいには、つめたい汗をかいているようでしたし、どうもいつもとようすがちがいます。

 手をうごかそうとしましたが、ふしぎなことに、どこに力をいれてよいのかわかりません。
足はふらふらと空中をただよっているようで、首から下が、どこかにいってしまったのではないかと思いました。

 生徒たちも、いつもとちがうようすに気づきはじめ、三人、四人と、心配そうにわたしのまわりをとりかこみはじめました。
・・・・・腕があるんだろうか・・・・・?
横にきた一年生の男の子に、おそるおそるきいてみました。
「手をもちあげてくれないか?」
その子は、ふしぎそうな顔をして、わたしの横から何かもちあげました。
「もうすこし高く」
男の子がもちあげたのは、まぎれもないわたしのふとい腕でした。

 しかし、その子がにぎっている感覚もなければ、もちあげられた感じもありません。
「腕はあった」と思った一瞬のよろこびも、いきなり、おそろしいやみのなかへ、つきおとされた感じでした。
「たいへんなけがをしてしまったぞ・・・」
からだの奥のほうから、そんな声がしてきました。
あおざめた母の顔が、すーっとまぶたにうかびました。
年とった父の顔も、うかんできました。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 こうして星野富弘さんは、首から下の運動機能を失った身体で、口に筆を咥え、美しい絵と詩 を描くまでの苦悩が始まったのです。

 先日、星野富弘さんの記事をアップしたときに、コメントをくださったおにぎりさん との出会いがありました。
彼も頚椎骨折の経験をなさったとかで、そんなハンディにもめげず、一生懸命に生きている姿がブログからも感じられます。
彼には5歳になる、耳に障害を持つ男の子がいるそうですが、そのことも明るく語っておられます。でも、ちょっとウルウルです。

 一生懸命に生きる姿は感動を与えてくれます。皆さんにも応援していただこうと思ってこの記事を取り上げました。
同時に、お暇なときにこちら も見ていただけると嬉しいのですが。
2006.04.21

それ、褒めことば?

2006-04-20 23:32:49 | Weblog
 的確な言葉で人を褒めるのは結構難しい。

 結婚式のスピーチで、
「今日の新婦は本当に美しい、ドレスも素敵、馬子にも衣装ですね」
ちっとも褒めてない。

 上司が参加してくれたイベントで、
「今日はありがとうございました、お陰さまで枯れ木も山の賑わいになりました」
次の移動で左遷されるに違いない。

 力を借りようとお願いに行って、
藁にもすがる思いでお願いに来ました」
きっと断られるだろう。

 優秀な子供を褒めようと親に向かって、
鳶が鷹を産みましたね」
といったら、
カエルの子はカエルですなぁ」
などと報復されかねない。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
  
 先日、我が師と仰ぐバンドリーダーのお話をした。
氏がまだお店に出演していた頃の話です。

 2バンドが30分交代で出演するので、休憩時間には声を掛けると、お客様のテーブルに来て話をしてくれる。
氏は落語を勉強した事もあり、話が面白く、また人柄もいいので人気者。いつも引っ張り凧である。

 或る日の事、他のホールから移ってきたばかりの、僕より年配の教師も呼んで、氏と共にお客様との談笑中、その教師が言った。
「○○さんのバンドは踊りやすいですね」
氏は「いや~」と照れながら「ありがとうございます」
するとその教師、続けて言った。
「演奏の順番が決まっているから・・・」

 僕は思わず椅子から転げ落ちた。
しかし彼は何事もなかったように話を続けたのである。

 僕が今の仕事をしていて一番嬉しかった褒め言葉は、「石鹸の香りのするような人ね」と言われたことである。若い頃であったが・・・。
今はきっと「尿漏れの匂いがするわね」なんて言われかねない。
あ~ぁ!
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蛇足を承知で付け加えておきます

馬子にも衣装
☆ 
馬子は馬方で最下級の労働者とされたが
それでもよい衣装を着せれば立派に見えるものであることから
どんな人でも外面を飾れば立派な人間に見えることをいう

枯れ木も山の賑わい

枯れ木でも
山に趣を添えるという意味から
つまらないものでも
ないよりはましだということ

藁にもすがる

窮地に陥ったときは
藁のような頼りないものにもすがりたい
という意味

鳶が鷹を産む

鳶は普通の鳥
鷹は優れた鳥の見立てから
平凡な親が優秀な子供を生むこと
子が親より優れていること

カエルの子はカエル

おたまじゃくしも
やがて親と同じ蛙になることから
凡人の子は
どのみち凡人だ
子は親に似るものだということ


ことわざ辞典から引用
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2006.04.20

「萌え!結婚」 再び

2006-04-19 23:26:59 | Weblog
 ブログ仲間であり、女優の永野千春 演ずる花嫁の「萌え!結婚」の演劇ライブの再演に行ってきました。
いただいた案内のはがきを見て、夜の部9時開演。
ん?ちょっと遅い時間だな、この前は確か7時だったような、と思いながらも、食事をしてからゆっくり楽しむ習慣の欧米では、9時・10時の開演は当たり前のことと聞く。
そうか日本も欧米並みなんだな。そう思い込んでいた。

 そろそろ時間だからと出かける準備をしながら、もう一度案内のはがきを見ると、なんとそこには19時開演とある。
しまった、今の時間は7時10分前、間に合わない。これから1時間はかかる。
そうか、ここは日本だった。思い込みの激しい僕の早合点だったのだ。
それから急いで家を出る。ライブハウスに到着したのは8時10分前。
舞台は千春ちゃんの熱演で盛り上がっている。以前見ているので筋書きはわかっている。客席の反応を楽しみながら見ることができた。
 
 終演後、見送りに来た千春ちゃんと話している女性を紹介された。
なんとブログ仲間のあのchocotoro さんである。
主婦でありながら、今年から再び大学に通い始めた向学心に燃えている彼女。
学校からの帰りだという彼女に千春ちゃんも初対面。「お芝居ではこんなに泣けないのに」と言いながら感激して泣いている。

chocotoroさんにもたれかかりながら泣いている千春ちゃん

 またひとり、ブログを通じた仲間との出会いに感謝しながら、帰路に就いた電車の中での会話に、彼女の前向きな生き方にも感動した有意義な一夜でした。
2006.04.19 

札束

2006-04-18 15:42:06 | Weblog
 我がホールでは、月に一度の割合で何らかのイベントがある。
そのひとつに、お客様の日頃の練習の成果を披露するデモンストレーションが、春と秋の二回行われる。 

 そのデモが、17日・18日の二日にわたって行われ、我がお客様は初日に出演し、何とか無事に踊る事ができ、ホッとしている。
その報告は写真が出来たときにでもさせていただこうと思っています。
<
 デモ当日は、たくさんの花束やお祝いをいただくのですが、数年前の或る日、デモに出演することになった時、あるお客様から質問を受けた。
「花束がたくさんあっても仕方ないでしょうから、花束とお祝いとどちらにしましょうか?」
このお客様大変ジョークの解る方で、愉快な方である。
「花束より、札束がいいな」
そう答えたが、当日そのことは忘れていた。
いただいたお祝いの熨斗袋、開けてびっくり玉手箱。
一万円札2枚に手製の帯が捲いてある。
なんとその帯には「札束」と書かれていた。僕は思わず大笑いしてしまった。

 その方には関係者でなければ入れない、皇居で行われた雅楽の演奏会にも招待され、貴重な体験もさせていただいた。

 残念ながら数年前、癌でこの世を去ったが、それから数週間経った或る日、電話のベルが鳴った。
ナンバーディスプレイの名前を見てびっくり仰天、彼女からではないか。
恐る恐る電話に出ると、ご主人からで、名簿の中にどなたか分からない名前があるので、知らないかという問い合わせの電話であった。
あの世からの電話でなくて良かったような、残念だったような・・・。

 いい人は早死にするというけれど、僕も心配。
2006.04.18

生前葬

2006-04-14 23:49:21 | Weblog
 ダンスは健康にいいと言われます。その理由の一つに普段使わない筋肉を使うことがあげられます。
ダンスには、特に後退の動作が多くありますが、これは普段の生活の中ではほとんど行われない動作です。
この動作が脳への刺激にもなると聞いたことがあります。

 僕のお客様の中に、今年6月に傘寿(80歳)を迎える方がいます。
足も腰もお達者クラブ、特に達者なのは口。
若い頃から国会議員の秘書をしていたそうで、毒舌家を自認する僕も適わない。
足腰よりも口のほうが疲れるのではないかと思えるほど、踊っている間もほとんど喋り通し、僕は相槌を打って返事をしているだけでいい。

 週一度は健康のためにと踊りに来る彼女、或る日、帰ろうと外に出ると、彼女とばったり遇った。
帰りかけたが、戻って来て、
「お茶でも飲みませんか」と誘われたのだが、その日は用事があり、早く帰らなければならなかった。
「家でゴキブリが待っているから今日は帰ります」
そう言って、お断りすると素直に帰って行った。

 一週間後踊りに来た彼女曰く
「この間は振られっちゃったわ!」
そう言ってふくれている。
「振ったわけじゃないですよ、用事があったんだからしょうがないでしょ!」 
「わたしが誘っても、ゴフジンが待っているからって帰っちゃったじゃない」 
「エ~ッ!そんな事言わないでしょう」
ゴキブリをご婦人に変えてしまっている。 
「言ったわよ、若くて綺麗なご婦人が待っていたんでしょ!」
本気で怒っている。 
「そうですよ!毎日違う、きれいなご婦人が来て待ってますよ!」 

 そんな彼女が3年前、我がホールの行事の一つ、お客様と教師によるデモンストレーションに出演した。
考え方のユニークな彼女、人生最初で最後というそのデモは、彼女の喜寿のお祝いを兼ねた生前葬として、多くのお友達を招待し、レッスンの成果を見せてくれた。
マウスオンして下さい

 そんな彼女が我がHPのデモのギャラリーに寄せてくださったコメントです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

-人生に御褒美-
     
 老・みんなが通る道、どうする?こんな事考えても仕方ない歳で、デモンストレーションをしたいなんて何夢見てんの、阿呆じゃない。
 ○○年前、初めて教室の門を叩いた時、歩けるうちは踊れるんだから基本はしっかりやりなさい。・・・大昔の話。“ヨーシこれだ”
 昨年梅雨寒の頃、先生にそれとなく「デモしたいんですけど」と話を向けたら“エッ”ひと呼吸おいて、いいでしょうと受けてくれました。
何しろ還暦どころか喜寿ですから当惑するのも当然です。
そして'03.9.21 当日までは特訓、叱咤の毎日でした。
 ダンスはワルツに始まりワルツに終わると言われてますから、生バンドの松井先生にお願いした“エーデルワイス”の流れに乗ってどうにかラストまで漕ぎつけました。
友人、知人の応援してくれたお蔭でしょう。
沢山の花束を頂き、
“ただ一度、たった一夜を華やぎて、紅水引の生前葬”
にピリオドを打ちました。
私にとってこの喜びは何にも勝る御褒美です。
今もリハビリのつもりで歩けるうちは踊れるものと、無理のない程度にダンス三昧です。 ありがとうございました。

-是谷 光-
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 このデモから2年後には、三回忌のデモをやろうと話していたが、それはまだ実現していない。
画像とコメントは、本人の許可をいただきました。
2006.04.14

追憶

2006-04-13 23:21:16 | Weblog
-前ページからのつづき-

 そのクマさん、なかなか肝の据わった楽しい人である。

 或るとき、見知らぬ男性からお茶に誘われたという。
「わたし、お腹が空いているから、お茶よりお寿司を食べたい」
そう言って、行きつけのお寿司屋さんに連れて行った。
黙って付いてきたその男性、さすがに寿司屋の中には入いれず、入り口でスゴスゴと帰って行ったそうだ。

 ご主人が海外に出かけることが多く、そんな時にはいつもゆっくり遊んでいく。
その日もラストまで遊んで、帰りは夜中、家に帰って寛いでいる僕に彼女から電話があった。
「もしもし、わたし。帰ってきたら家がないの」
落ち着いた声である。
「えっ!どういうこと?」
意味のわからない僕の頭の中は混乱している。
「家が火事で焼けて、ないの」
「・・・・・???」

 遊びに出掛けている留守に、家が火事で焼けてしまったというのだ。
あまり動揺もしていない様子。騒いでも返ってこないというのだ。
近くに住む息子さんのところで一時をしのいだが、それからも度々遊びには来てくれた。

 或る日ラストまで踊った後、彼女の希望でナイトクラブに行った。
ほの暗い照明に生バンドの演奏、キャンドルの炎にゆれるテーブルには少しのお酒と料理。
そんな中でチークを踊っていると、突然彼女が僕の胸に顔を埋めて泣き出した。
「どうしたの?」
「わたし、このようなところで、こんな風に踊れるとは夢にも思っていなかった」
「・・・」
「ダンスを習ったお陰で、たくさんの想い出ができた。年を取って動けなくなっても、楽しい想い出があるから平気」
そう言って僕との出会いを喜んでくれた。雰囲気にも酔ったのだろう、僕でなくてもできることなのだが。

 そんな純で可愛い性格の彼女が、楽しい思い出と、多くのエピソードを残してこの世を去って十数年が経った。
あのスカートの広がった真っ赤なドレスを着た、楽しそうな姿が目に浮かぶ。
2006.04.13

おしゃれ

2006-04-12 22:43:22 | Weblog
 ダンスをする女性にとって、おしゃれは最大の関心事であるようだ。
特に社交場としてのダンスホールは、ドレスや装身具で身を飾る絶好の場でもある。
おしゃれをして華麗?に舞い、楽しみながら健康にも役立つわけで、一石二鳥。
おしゃれ心を大いに持って、若さを保って欲しいものだ。

 我がホールは、毎日午前10時から開いているので、昼間からダンスを楽しむ人も多い。

 最近は芸能人の社交ダンスブームもあり、ますますその傾向は強くなっているようだ。


 結成したばかりの女性主体のバンド 「サンドラとクイーンズ」

 僕がこのお店に入店して間もなくの正月、かなり年配のお客様に付いた。
帰り際、社交辞令として「明日も待ってますね」と言って送った。
次の日そのお客様がみえた。その日も同じように送った。次の日もみえた。
そうして一週間毎日来てくれたのである。
一週間目、「明日は主人が海外旅行から帰ってくるので、しばらく来られない」と言う。毎日来てくれたのはそういう理由があったのか。
それから、そのお客様との長いお付き合いが始まった。

 彼女がよく言っていた言葉、
「病院でお金を使うことを考えれば、ダンスで健康を保てるのなら、同じお金でも楽しく使ったほうが価値がある」 
それは彼女の哲学でもあったようだ。

 小柄で、ちょっと、いや、だいぶ小太りであるが(だいぶは小太りと言わないかも知れないが・・・)お客様としては、我儘を言うわけでもなく、可愛い性格で、愛すべき人柄である。容貌には触れないでおこう。
僕の友人は彼女の事を「クマさん」とニックネームを付けた。(我が家には縫いぐるみの可愛いクマさんがいるが)
そんな彼女を僕はとてもいとおしく思っていた。

 楽しいことへの労力を惜しまない彼女から、東京で行われたダンスの世界選手権大会の、前夜祭のディナーパーティーを含む競技会への三夜連続の招待を受けた。

 ホテルでの前夜祭は、ディナーと共に各国の一流選手と過ごす稀な機会でもある。
ホテルに着いて、着替えをして更衣室から出てきた彼女を見て一瞬たじろいだ。
着替えてきた真っ赤なドレスは、スカートがこれ以上は広がらないというほどに大きく広がった、往年の歌手・松山恵子さんを思わせる、フランス人形が着るようなドレス。
一世一代のお洒落をしてきた彼女との前夜祭のパーティは、楽しくもあり、可愛らしくもあったが、ちょっとだけ気恥ずかしい一夜だった。

 ある年のお店でのクリスマスパーティの日、彼女が言った。
「あのドレスを着ようと思ったら、太ってしまい着られなかった」
その言葉を聞いて「ホッ!」としたと同時に、このまま痩せないでくれ、と思った僕は罪人(つみびと)?

-つづく-
2006.04.12