勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

隅田川クルーズ

2006-07-31 23:58:26 | Weblog
 花火見物で一夜を明かした甥っ子Jr.2日目の日曜日は、隅田川めぐりを楽しむ船の旅。

 浅草と日の出桟橋との間にかかる12の個性豊かな橋のフォルムの美しさと、変貌する隅田川両岸の姿を川面から眺めながらのクルーズは、梅雨も明けた青空の下、また格別な趣がある。

新大橋


清洲橋 

 
中央大橋


勝鬨橋 

 
 日の出桟橋からさらにレインボーブリッジを抜けてお台場へ。


 そこでは真夏の太陽の下、浜辺の涼を楽しむ家族連れで賑っていた。
 
 
 2006.07.31

葛西臨海公園

2006-07-30 23:45:42 | Weblog
 花火を見に泊りがけで来た、小学2年生の甥の息子達のリクエストで、花火に先駆けて、昨日は葛西臨海公園に行った。
この公園は、駄洒落の王様「麻呂ちゃん」こと、ujimaroさん のフランチャイズである。この海岸での楽しい写真とユニークなコメントにはいつも笑わせられ、一度行ってみたいと思っていた。
 

 水族園を始め、観覧車、展望レストハウスなど、麻呂ちゃんのブログでおなじみの風景に、初めてとは思えない親しみを感じ、楽しい一日を過ごしてきました。
 
 

 大観覧車は地上117mの高さにもなり、ここからの眺望は、テーマパーク、レインボーブリッジ、アクアラインの海ほたる、都庁、東京タワー、房総半島から富士山に至るまで関東の有名観光名所を一望できるそうだ。この日は生憎の曇り空だったが、約17分の空中散歩は真下を見ると足がすくみ、9歳の子供にひやかされる始末。
 
 
 

 展望レストハウスを抜けて海岸に出ると、麻呂ちゃんのブログでお馴染みのあの海岸に出るのだ。初めてなのに見覚えのある光景は、懐かしさと親しみを感じ、どこからか顔も知らない麻呂ちゃんが、声をかけてくるような錯覚に陥った。
2006.07.30

百花繚乱

2006-07-29 23:49:21 | Weblog

 下町の夏の夜空を彩る「墨田川花火大会」は今年で29回目を迎えた。
桜橋下流の第一会場、駒形橋下流の第二会場の2箇所で、2万発の花火が打ち上げられた今宵の花火。我が家からも良く見え、毎年親戚の誰かが楽しみに来る。

 今年も甥の子供を含めた3人が、昨日から泊りがけで訪れ、この日のために開放された屋上で、心地よい風に吹かれながら、夜空に美しく咲き乱れる火の花は、梅雨明けの遅れた東京の鬱陶しさを吹き飛ばしてくれたのです。
 
 
 
 

 「夜空の万華鏡」と「菊花満開」と題された、第一、第二会場の見事なフィナーレで、あっという間の一時間半が過ぎて行きました。
2006.07.29

花が好き

2006-07-27 23:54:35 | Weblog


-山百合-

たちしょうべんを
しようとした人が
ちょっと場所をかえた
山百合の
咲く道

-星野富広さん-



-花は-

花は自分の美しさを
知らないから
美しいのだろうか
知っているから
美しく咲けるのだろうか

-星野富広さん-
  
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-花が好き-

花は人の心を優しくしてくれる
花は人の心を豊かにしてくれる
花は母の匂い
花は父の匂い
花は愛するあの人の匂い
花は別れたあの人の匂い
花は人を恋しくさせる
花は人を悲しくさせる
花は喜びを運んでくる
花は悲しみも運んでくる
どんな花も美しい
だから花が好き

-勿忘草-
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 2006.07.27

兄弟姉妹

2006-07-26 23:46:06 | Weblog
 女三人男四人の七人兄弟の五番目で次男の僕は、気楽なポジションで育った。 
30代になったあるとき、友人に言われた。「お前の兄弟は仲がいいね」
それまで兄弟の仲がいいなんて思ったこともなかった。

 世の中には、事件を起こすような仲の悪い兄弟がいることは知っていた。でもそれは特別なことで、我が兄弟のような関係は当たり前と思っていた。

 両親が健在のときは、春と秋の年二回、兄弟揃って両親を伴っての旅行が楽しみの一つになっていた。それは20年近く続いたのではないだろうか。

 両親が他界してから十余年、そんな楽しみもなくなり、兄弟が顔を揃えるのは冠婚葬祭などの行事がある時に限られてしまう。


 去る23日(日)には父の13回忌と兄の7回忌を兼ねた法事があり、久しぶりに兄弟とその連れ合いとが顔を揃え、故人を偲びながらも、楽しいひとときを過ごしてきた。
無口だった父とは正反対で、賑やかで笑わせることの好きな兄、僕は父に似て無口な人間になりました。(誰かウッソ~と言っているが)
その兄がある朝突然倒れて帰らぬ人となってから6年。僕もその歳に近くなり、人生の無常を感じる今日この頃。

 三人の姉はいつも連絡を取り合っているらしく、兄弟の誰かに何かが起きると、30分後には全員に伝わっている。特にある一人に伝わると伝達の速度は速い。
その話題のとき僕が言った「これは内緒だよ、といえばもっと早く伝わるよ」それには一同納得した様子。
そんな兄弟に囲まれての、時と共に悲しみの薄らいでいく法事は、団欒のひとときでもあった。
一人も子どもを育てることができなかった僕にとって、七人も育ててくれた父に、今は感謝しています。(写真の中に僕はいません)
2006.07.26  

旅立ち

2006-07-25 23:44:59 | Weblog
 別れは突然やって来る。それが予期した別れであったとしても、いざその時が来ると悲しいものだ。

 一昨日、いつもの様に朝起きて、ベランダへ出て子鳩の確認をすると姿が見えない。最近は暑さのためか、時々鉢の陰に身を隠したり、見えないところに異動している事も多い。しかしその日はそんな気配が全くない。くまなく探してみたがどこにもいない。どうやら知らぬ間に飛び立ったようだ。ちょっと寂しさが残る。しかし夜になって覗いてみると、いつもの場所にじっとうずくまっているではないか。何故かホッとする。

 昨日も昼間はその姿が見えなくなっていた。夜にはまた戻ってくるのだろうと安心していたが、夜になってもとうとうその姿を現さなかった。
いよいよ本格的に巣立っていったのだろうか。無性に寂しい。巣立つ瞬間を見ることができなかったのも残念である。

 しかし、今朝起きてみると、なんと向かいの電柱のテッペンに鳩がいる。それも親子揃って3羽。慌ててカメラを取りにいき、3羽が良く見える角度からカメラを構えたその瞬間、3羽が同時に羽ばたいて飛んでいった。
疲れが溜まっていたので、昼頃まで寝ていた僕の起きるのを待っていたかのように、その姿を僕に見せて飛んでいったのか。
その勇姿をカメラに収める事はできなかったが、残された1羽が無事に育って元気に飛び立つ姿を見ると感無量。

 今夜もいつもの場所にあの子はいない。
2006.07.25 

多忙その③ 親子対面

2006-07-24 20:18:51 | Weblog
 出会いとは不思議である。すべての出会いが必然であるならば、この出会いも出会うべくしての出会いであったのだろうか。

 ブログ上でのいい出会いにはいつも感謝しているが、同じ時期に同じ内容の記事を取り上げての、ブログ上ではよくある出会い。
それがオンラインだけでなく、実際に会うオフラインでの出会いをオフ会というそうだ。
昨年は禰里吉さん との二人だけのオフ会 を持ち、その後も交流は続いている。僕にとっては弟が一人増えた気分である。

 そして去る20日には、僕をおとうちゃんと呼んでくれる息子「おにぎり」が、遠い岐阜からわざわざ逢いに来てくれた。


 ブログ上での会話からも、その人間性はおおよそ推測できていた。こんな僕を慕ってくれる嬉しさと、現実には持ったことのない息子に会う期待に、胸を躍らせて会った彼は、期待通り。
礼儀正しく、明るく爽やかで聡明、都会づれしていない素朴さと、どんな事にも感動してくれる可愛い性格は好もしく、次の日の午後に別れるまでの二日間、思い切り甘えてくれた。

 深夜に岐阜を発ち、早朝5時前に着く夜行列車での旅の疲れに、一眠りを勧めたが、おしゃべりに花が咲き、寝不足のまま午前10時、我が仕事場のダンスホールへ案内した。そこでの出来事にも珍しさもあってか、4時間程の見学に飽きを感じなかったようで、いたく感動してくれた。

 それから我が家に戻り、睡眠をとってから夜の浅草の案内と、ビールを飲みながらの食事とおしゃべり。時間はあっという間に過ぎていく。ほろ酔い気分で帰り、横になってからもおしゃべりは続く。
若い彼にも、彼なりの悩みはあるようだ。そんな悩みを聞きながらも、楽しいおしゃべりは尽きない。眠りに就いたのは深夜になっていた。

 次の日も、刻々と迫る別れの時間を気にしながら、再度の浅草散策に、楽しい時が過ぎていくのは早い。2日間はアッという間に過ぎ、午後3時半の新幹線は発車時間が迫る。眼を赤くしたおにぎりは、人目も憚らず僕に抱きついてきた。男同士の熱い抱擁は、また会う約束をして車中の人となった我が息子の温もりを残してくれたのだ。

 多忙であったこの数日間、どうやら心を亡くさずに済んだようだ。
2006.07.24

多忙その② デビュー

2006-07-23 20:28:26 | Weblog

 我らがアイドル千春ちゃんが、7月21日(金)我がダンスホールでダンサーとしてデビューしました。
 学生時代に競技ダンスをやっていたことを知り、ある出来事をきっかけにダンスで働く事を打診すると、やってみたいという返事。しかし自信がないという。
それではと踊ってみると、さすがに競技ダンス経験者。リードさえしっかりすれば上級者の踊りをする。ただ、あまり踊れないお客様と踊ったことがないので、それに慣れるまでは時間がかかるだろう。それはダンサーとして働く上で大きな障害ではないが。

 そして僅かな日数のレッスンだが成果もあり、いよいよデビューの日が決まった。その日を目前にして彼女は不安で硬くなっている。
ダンサーになることを勧めた責任もあり、デビュー前にお店で踊ることに慣れるため、サブ営業の時間に踊ってみることにした。

 19日・20日の両日、初めて皆さんの前での踊りの披露である。練習のときには難なくこなしていたことも、肩に力が入りぎこちない。しかしそこは若さ故の対応の早さで大きく乱れることはない。

 2日目の練習には、ちょうどその日に我が家に遊びに来る事になっていた「おにぎり」に、早朝に着くように指示し、お店の見学も兼ね、僕と踊る千春ちゃんとの対面もプロデュースした。

 「おにぎり」は、千春ちゃんとの対面と、彼女の踊る姿に感激してくれたようで、僕としては大成功であった。

 そして21日には見事にデビューを果たした千春ちゃん。慣れるまでは、しばらく緊張の連続で、足が地に付かない日が続くだろう。
しかし、若さと美貌と、これからますます上手くなるであろうダンス技術は、なんの心配も要らない。

 この世界に引き込むきっかけを作った僕としては、微力ながらデビューまでのアシストをさせていただいたが、彼女の努力と才能で近い将来、売れっ子になることは間違いない。
女優という仕事と共に、ダンスでも見事に花開く事を願って、これからは一歩さがった処で見守っていこうと思っています。

 どうぞ皆さんも彼女の応援よろしくお願いします。
2006.07.23

多忙その① 団塊の世代

2006-07-22 21:54:48 | Weblog
 我が家のPCは時々機嫌が悪くなる。機嫌が良く、スムースに働いているときは、まことに快適である。ところが一度ご機嫌斜めになると始末が悪い。というより知識不足の僕にとって、手に負えなくなるのだ。
 そんな時、頼りにするのがPC教室を経営する弟の金髪である。そもそも、年齢的にPCを操れなくても何も困ることはないと思っていた僕を、PCの世界に引きずり込んだ張本人である。したがって、その責任はとってもらわなくては。

 そして去る18日、我がPCのメンテナンスを兼ねて、外付けハードディスクと予備としてのノートPCを購入し、その説明と無線ランの取り付けに来た。

 株式会社として2004年5月に設立したPC教室『ビサイト』には役員がいる。役員会を兼ねて東京に来るという。
「役員会って誰とやるの」
「兄貴に役員になってもらってるじゃない」
「そうだっけ、忘れてた」
都内でプログラマーをしている彼の息子と一緒に、役員になっていたのだった。

 役員会という名目の会食の席に招待され、久しぶりに会う甥とその連れ合い、そして4歳になる甥の息子とのひとときは楽しいものだったが、株式会社『ビサイト』の役員としては、何か役に立たなければいけない。
そこで厚かましくも、ここで宣伝を兼ねて、再度の紹介をさせていただくことにした。
群馬県という都内からはちょっと離れた場所にあるため、皆さんには知っていただくだけでもと思い、群馬の地方新聞に載った記事を紹介します。
 
 
 存在感を増すため髪の毛を金色に染めた。「金髪先生」として、相手に残す印象を強めるためだ。と記事で言っている。

 団塊の世代に生まれ、常に競争率の激しい中で育った金髪。ご存知の方も多いと思いますがビサイトICT博物館というブログも開設していますので、変な兄貴の、更に変な弟ですが、どうぞよろしく。
2006.07.22

生きてます

2006-07-21 23:56:16 | Weblog
 今週は多忙な日が続き、ブログの更新が滞ってしまいましたが、僕は元気です。
忙しさで心を亡くすといけないので、ブログを犠牲にしました。皆様への訪問と、我がブログへいただいたコメントへの返事も儘ならず、失礼しております。

多忙・その①

 火曜日には、弟の金髪が、時々機嫌を損ねる我が家のPCのメンテナンスに来てくれました。
補助としてノートPCも購入し、外付けハードディスクと無線LANの取り付け、etc。
その後の金髪の息子一家3人を交えた5人での会食で、一日が終わってしまいました。

多忙・その②

 我がブログでもご存知、千春ちゃんの人生を左右するかも知れない出来事のアシストに、微力ながらお手伝いをさせていただきました。
その詳細は彼女からも話していただけると思いますが、ここでも後日披露させていただこうと思っています。

多忙・その③

 ブログでの皆様とのいい出会いに感謝し、その出会いの一人に「おにぎり」がいます。
彼とは、ブログ上のバーチャルな世界で親子のような会話を楽しませていただいていましたが、その彼が遠い岐阜から突然、逢いに来てくれました。
昨日の早朝に我が家を訪れ、今日の午後に帰るまでの僅かな時間を、少しでも楽しんでもらおうと、浅草の案内、我が職場のダンスホールの見学、そして、飲んで、食べて、寝る間を惜しんでのおしゃべりと、時間の経つ早さを恨みながら、今に至ってしまいました。


 今朝も金髪から電話があり、ブログの更新もなく、皆さんが心配しているけど生きてるか、という確認がありました。ご心配くださった皆様、ありがとうございます。

 この3つの多忙の報告は、後日させていただきますので、どうぞお許しください。

 皆様へ感謝を込めて、数日のご無礼をお詫びいたします。
2006.07.21

生活保護

2006-07-18 11:19:40 | Weblog
 北九州市門司区の市営団地で5月、独り暮らしの身体障害者の男性(当時56)が、ミイラ化した遺体で見つかる事件があった。この事件で、北九州市が、男性が脱水症状で衰弱していたのを、昨年9月に把握しながら給水停止を続け、病院に入院させるなどの措置を取っていなかったことが分かった。男性が生活保護を申請しようとしたのに対しても、相談段階で断っていた。

-朝日新聞7月17日の記事から-

 家賃滞納が続いたために、市住宅供給公社の職員が訪問したときにも、部屋を這って出てきた男性は、公園で水を汲んでいる姿も目撃されているという。
男性は区役所の保護課も訪問し「身体も弱っており、保護をお願いしたい」と頼んだがそれも断られている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 何年も前、身寄りのない友人が不治の病に侵され入院した。知人に勧められて生活保護の申請に区役所を訪れたことがある。
福祉課の女性に、その階の隅に設けられた小さな部屋に案内され、面接の手続きをとるための窓口に行く。そこで受けた係りの視線にまず驚いた。僕の顔を一瞥したその眼は、明らかに軽蔑の眼差しであった。対応も横柄そのもの、不親切極まりない。

 友のためと我慢して手続きを済ませ、面接を受ける。そこでまた面接の職員の眼は同じような蔑みの眼。ここに至るまでの説明にも横柄な態度は前の職員と同じ、口調も軽蔑に満ち溢れている。
 
 余りの腹立たしさに、話の途中で「生活保護なんかいらない!」そう言って席を立った。友の面倒は僕が見る、2度とここには来るものかと思った。

 その友はこの事は知らないが、何度も「ありがとう」を言ってこの世を去った。

 かなり前のこと、マスコミでも取り上げられたことがあるが、都内のある区役所で、生活保護の申請用紙のサンプルの名前の記入欄に書かれた名前が「大場嘉門(おおばかもん)・大場佳代(おおばかよ)」とあったという報道を思い出した。
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 男性は5月23日、布団の中でミイラ化している状態で見つかり、司法解剖の結果1月下旬に死亡したと見られるという。

 弱者には冷たく、無駄遣いの多い我が国の行政。「ゆりかごから墓場まで」は望むべくもない。
2006.07.18

頼り

2006-07-16 22:03:45 | Weblog
 我が子を橋の上から投げ落とす親がいる。子供にとって親はもっとも信頼し、頼りになる存在であるはずなのに。
 
 少し前の新聞記事から

 少年は埼玉県上尾市の児童相談所の玄関先にうずくまっていた。以前少年がこの相談所に一時保護されていたのを職員は覚えていた。
「どうしたの?」
「お父さんにたたかれた」
気温約10度と肌寒かったこの日、少年はTシャツにジャンパー、素足にサンダルばきだった。
眼の周りに青いあざがあった。右手の人差し指のつけ根を骨折していた。背中と太ももには殴打痕、足裏の刺し傷は数十箇所に及んでいた。

 昼ごろ、小学4年の少年は同県川口市の自宅で父親(45)から鉄の棒のようなもので殴られ、足の裏を画びょうで刺されたという。
 午後2時ごろ、少年は家を出た。約600メートル離れたJR川口駅で切符を買い、京浜東北線の電車に乗った。八つ目の大宮駅で高崎線に乗り換えた。二つ目の上尾駅で降りてバスに乗る。四つ目のバス停で降り、相談所に付いたのは午後4時過ぎだったとみられる。ポケットには100円ほどしかなかった。

 少年が乗ったバスの運転手が少年のことを覚えていた。
「顔面に擦り傷とあざがあり、派手に喧嘩したのかなと思った」
降りるときに「いくらですか」と小さな声で聞いてきた。おびえたような感じだったという。

 「このまま家にいると大変になると思った」少年はそう話したという。
翌日逮捕された父親は「反抗的な態度をとったから」と供述した。昨年までは勤務医だったと話しているという。母親は1ヶ月ほど前に家を出ていき、少年は父親と2人で暮らしていた。
近所の夫婦は、少年について「元気にあいさつする人なつこい子だ」と言った。
話をする時に手をギュッと握ってくるのが印象的だった。「人が恋しかったのでしょうか」
 
 2時間の道のりを9歳の少年はどんな思いで過ごしたのだろう・・・・・・。
 

 この記事を読みながら、途中で文字が見えなくなった。
母親に突き落とされ、父親から虐待され、子供たちは何を頼りに生きればいいのか。
2006.07.16

メモルを集う

2006-07-15 23:53:25 | Weblog
 「私たちが在宅ホスピスケアーに取り組み始めた1990年代はじめには「ホスピスケア」「ターミナルケア」「終末ケア」という言葉が頻繁に使われるようになっていました。
死に逝く人のケアにあたるとき、病院での医学モデルにそった、治すための医療の考え方には限界があり、新しい形のケアが模索されていました。そして、様々な活動が実を結び、ホスピスが創設され、緩和ケア病棟として承認されました。
しかし、緩和ケアは医療機関で行われるケアとして位置づけられ、普通の暮らしをしながら最期の時を自分の家で過ごしたい、と家を選んだ人々を支援するには至りませんでした」


 『家で生きることの意味』という本の前書きでの川越 厚医師の奥様であり、在宅ホスピス協会会長でもある川越博美さんの言葉です。


 「ホームケアクリニック・川越」の代表者でもある川越 厚先生は、そんな人々のために「在宅ホスピス」という新しい分野で活躍され、僕もお世話になった医師でもあります。


 そのホスピス「パリアン」でお世話になった方々の遺族の集いが毎年行われ、僕も楽しみの一つになっています。


 昨年に引き続き、今日もメモルの集いに参加し、先生とお会いし、また皆さんとの歓談に癒された一日を過ごしてきました。
 この集いはボランティアの方々で支えられ、皆さんの志の高さにも励まされます。
2006.07.15

熱帯夜

2006-07-14 23:56:12 | Weblog

 東京は昨日に続き今日も気温30℃を超え、真夏日となった。今夜の最低気温も28℃の熱帯夜だという。
こんな日の仕事は、冷房の効いた中とはいえ、踊った後は額から汗が流れ落ちる。
着替えに行く途中で声をかけられる言葉は「すごい汗!」
そんな時、僕は答える「山も木がなくなってはげ山になると、洪水をおこします」
みんな黙って「にっこり♪」と納得しています。
何故だぁ~。

 間もなく夜中の12時、風もなく、窓の外には月が美しく輝いています。クールビズの会員番号8281を持つ僕は、今年の夏、エアコンはまだ一度も使っていません。

お待たせしました

2006-07-13 21:13:15 | Weblog
 
 前から依頼を受けていたcoroさん の愛犬「コロちゃん」の絵が出来上がりました。
coroさんにはブログ開設間もなくからお世話になり、お忙しい中を必ずコメントをいただき感謝しております。
お絵かきで、楽しく遊ばせていただきましたが、こんな絵でよろしかったらどうぞお持帰りください。

 コロちゃんはコーギーという種類で、もともとは牧畜犬だったそうですね。
家畜の牛のかかとにかみついて追い込むという方法で働いていたため、足が短く、体高が低く、攻撃的な性格ですが、とても賢い犬だそうです。

 コーギーはもともとしっぽがあるのですが、牧畜犬時代の名残で、牛にしっぽを踏まれないように断尾したそうです。
 英国王室でも飼われ、現在もエリザベス女王が飼っていると聞きました。
2006.07.13