勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

江戸天下祭

2005-10-30 23:42:56 | Weblog
 江戸時代、日枝神社の山王祭と、神田明神の神田祭の祭礼行列が、1年交代で江戸城へ入城しました。
それを将軍も見たことから「天下祭」と呼ばれ、それを現代に甦らせたイベントが今日、丸の内周辺で行われ、日比谷公園から皇居前広場まで、江戸木遣り、手古舞などの先導で、神輿9基、山車12基による江戸絵巻さながらの巡行が繰り広げられました。
       
       
 お祭り騒ぎが大好きな僕だが、今日ここに行った最大の目的は、ブログを通して親しくなり、二人だけのオフ会で更にその明るさと誠実さに触れ、その人柄に惚れ込んでのお付き合いをさせていただいている「禰里吉(ねりきち)」さん。そのお祭り好きの禰里吉さんのところの山車も、静岡県の遠州横須賀・三熊野神社から参加するというので、ぜひそれに触れてみたいとの思いから出かけたのです。

 残念ながら、彼は都合により参加できず、再会はなりませんでしたが、その禰里(ねり)と呼ばれる山車の魅力は充分に堪能できました。

 お囃子の屋台や人形などを飾り、江戸型と呼ばれた豪華な山車の多くは、明治以降、紛失したり地方へ売られたのですが、その伝統を守った作品は、地元町会や関東近県に保存されており、今回それらが集結したのだそうです。
 
 現代に甦ったその絵巻の一部を紹介します。少しでもその雰囲気を味わっていただけたら幸いです。(すべての画像が大きくなります)
        
        
        
       
          これは女性だけのお神輿です

        
        
       
        
       
 最後の2枚が禰里吉さんの住む、静岡県、遠州横須賀・三熊野神社から参加の2基の山車です。

 画像からお分かりいただけると思いますが、この2基の禰里には、参加した中では最も多くの曳き手が参加し、法被腹掛、足袋裸足といった江戸火消装束の粋な若衆が、三社囃子の名調子に乗って「シタッ、シタッ」の掛け声を掛けながら、笑顔で禰里を曳き廻す。
それは、まさに囃子・禰里・曳き手の三者が、三位一体となって独特の名調子をかもし出しているのでした。

 事前にこのことは禰里吉さんから伺ってはいたのですが、今日、実際にこの眼で見て、改めてその三者が一体となっての禰里は、他のどこよりも楽しげで、迫力のあることを知りました。

 こんなところに禰里吉さんの思い入れがあるのかなと感じ、その明るさの源でもあるのだと確信したのです。

 甦った“江戸の華”勇壮な山車や神輿による江戸文化に触れた一日でした。
2005.10.30

中間報告

2005-10-29 21:02:01 | Weblog
 先日お伝えした、届かない手紙についてのお話です。
今月11日、郵便局に連絡して半月以上が経ちました。その間一度も連絡はありません。

 途中で一度どうなっているかを問い合わせたところ「調べています」との短い返事。それも担当者にこちらの名前を言っても何のことか覚えていない。初めから全部説明しての答えである。
必ず結果を知らせてくれるのでしょうね、と念を押したのだが、一向になしのつぶて。

 昨日もう一度問い合わせると、担当者不在。僕の強い抗議により、再び別の人から連絡があり、一人一人の記憶をたどっての調査なのでもう少し待ってほしいとのこと。結果は明白。

 僕は間違いを責めるつもりはない、間違いは誰にでもあるから。しかし当然届くと思っていたものが届いていないのは、困ることでもある。
それを防ぐためにもきちんとした調査と、結果の報告はしてほしいのだ。

 前の時にもお話したが、我が家に他人の手紙が誤配されたことが過去に2度あった。マンション名も、宛名も全然違う、同じなのは部屋番号だけ。つまり誤配は頻繁に起こっていることと認識するべきか?

 起こってしまったことでもあり、結果をとやかく言うつもりはサラサラない。誠意ある回答を願うのみである。

 「過ちて改めざる これを過ちという」我が身にも言い聞かせながら。
2005.10.29

広く・深く

2005-10-28 21:26:13 | Weblog
       
 月に一度の墓参り、お寺で見つけた言葉です。
長い人生の中で出逢いも別れもたくさんあった。いい出逢いに喜び、悲しい別れに泣いた。その度に人間としての広がりや深みが増したかどうかは分からない。しかし人生に広がりや深みが増したことは確かだろう。
 
 悲しい別れはなるべく避けたいが、いい出逢いは大切にしたい。月に一度の墓参りは出逢いと別れを思い出させてくれる。

 軽い気持ちで始めたこのブログにもたくさんの出逢いがあり、多くの方から励まされ、勇気づけられている。
これからも皆さんとの出逢いを大切にして、広がりのある人生を生きたいものです。できれば深みのある人生も。但し別れによってではなくて・・・。
2005.10.28

変わり者

2005-10-27 17:09:44 | Weblog
              
 ペットは飼い主に似ると言うけれど、植木も育てた人に似るのだろうか。
昨年手に入れたこの植木、名前は知らないが、葉がきれいなのと環境を選ばないというので買ったが、手入れを怠った。
春先に新しい芽を出したが葉に色がない、光が足りないのだろうと陽に当たるところに置いてひと夏を過ごしたが、一向に色がつかない。植木までが僕に似て変わり者になってしまったようだ。
       
 このように確かに同じ幹から出た芽なのだが、全く違うもののようになってしまったのはやはり育てた僕のせいなのか?
この植木に関して言えば、変わり者のよさもありそうだが、この植物の名前も含めてどなたかご存知の方いたら教えてください。
2005.10.27

携帯電話

2005-10-26 20:58:19 | Weblog
 職場に自転車で通っている僕にとって、電車に乗る機会は少ない。
今日は郊外まで行き、久しぶりの電車。あまり混んでいない電車に乗り込んできた女性、いきなり静寂を破る大きな声(と感じたが実はそうでもなかったかも知れない)「今電車に乗ったの」と、長話ではなかったが喋るトーンは変らない。多くの視線が彼女を見る。次の駅で降りると、今度は向かいに座った男性が、かかってきた携帯で遠慮がちに小声で喋っている。隣に座った女性が非難めいた横目で彼を見た。

 僕にとって最初の女性の声は耳障りであった、しかし男性の遠慮がちの電話は気にならない。遠慮がちというところが許しているのだろうか。

 いつも不思議に思うことがある。車内での人と人との会話はそれほど気にならない、しかし同じくらいの大きさか、それより小さくても電話の声は耳障りである。何故だろう。
もしも電話の相手がすぐそばにいての会話だったらどうだろう、やはり耳障りなのだろうか?かえって面白くなってしまいそうだ。
電車内では必ず「携帯での電話はご遠慮ください」と放送される。だからどんな小さな声でも非難の目で見られる。

 今の時代、携帯で話している声はどこでも耳にする。公共の場所での携帯電話は遠慮願いたい。だが許されている場所での話し声は多少の耳障りではあっても、心のどこかで許している。この差が不思議でならないのだ。
きっと誰もが不愉快だから車内での電話は遠慮願っているのだろう。しかし人と人との会話と何が違うのだろうか?一方通行だからなのか。

 若い女性の電車内での化粧、これも愉快ではない。でもそれで誰かが迷惑しているのかな。迷惑ではないからいいというものでもないが、彼らはそういうかも知れない。

 同じことでも感じ方によって不愉快になったり、許してしまったり、人の心は不思議で面白い。
2005.10.26

秋は夕暮れ

2005-10-25 22:34:51 | Weblog
 日に日に秋めいてゆく今日この頃、秋は何故か感傷的になる、特に夕暮れ時は。
        
     昨日の黄昏時、夕陽に染まった街並と雲も秋色でした。      

 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。《枕草子より》


      ◆ 三夕(さんせき)の歌 ◆
 
        さびしさはその色としもなかりけり
                まき立つ山の秋の夕暮れ
                             寂蓮法師

        心なき身にもあはれは知られけり
                鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮れ
                             西行法師

        見わたせば花も紅葉もなかりけり
                浦のとまやの秋の夕暮れ
                             藤原定家


 今日も東京は暖かで穏やかな秋晴れの一日でした。
2005.10.25

秋晴れ

2005-10-23 23:58:14 | Weblog
 今日の東京は雲ひとつない爽やかな秋晴れの一日でした。
真っ青な空、澄んだ空気、そんな清々しい一日は明け烏の一声から始まったのです。朝の5時に目が覚めて、ひんやりとした朝、刻々と移り変わる早朝の空。美しい日の出が今日の秋晴れを予感させてくました。(画像大きくなります)
       
        
        
        
        
 こうして一日が始まり、夜になると澄みきった東の空には美しい月が顔を出していました。
       
            いい夢を見て、Good night.
2005.10.23

語録

2005-10-22 22:46:09 | Weblog
 日本の植民地時代、韓国の小鹿島に隔離されたハンセン病患者の話。
17歳で発病し、ここに連れてこられてから、ふるさとには一度も帰っていない。両親、妹、弟の消息は不明のまま。植民地時代に断種手術を受け身内は妻だけ。
「対岸とを隔てる海ほどの涙を流し、小鹿島に吹く風と同じくらいのためいきをついた。家族との再会は、もうあきらめた」 現在88歳。

 JR福知山線の脱線事故で助けられたが、両足切断の青年。
「何故助かってしまったのか、『がんばれよ』『生きていればいいこともある』こんな言葉は何の慰めにもならない」 
今、車椅子の彼は「このような取材ではなく、スポーツなどで活躍しての取材を受けるようになりたい」とも言っていた。

 察して余りある、しかし彼らの本当の苦しみは本人にしか分からない。
2005.10.22

スローライフ

2005-10-21 22:42:07 | Weblog
 最近「スローライフ」という言葉をよく耳にする。
のんびりとしたスローな暮らしと思っていた。ところがどうも違うらしい。
本来の意味は、土地に根ざした手作りの暮らし、というような意味なのだそうだ。

 他人の手に頼らず、あらゆることを自分でやることを「スローライフ」といい、畑仕事も台所仕事もすべて自分でこなす。これは結構忙しそう。田舎暮らしという意味も含まれているのだろうか。

 スーパーやコンビニで出来合いのお惣菜を買って来て済ます。お弁当は外食、休日はファミレス、余った時間はのんびり過ごす。これは単なる怠慢か。

 しかし、「スローライフ」という本来の意味を知った上で、怠慢によるスローでのんびりとした時間を持つのもまたいいのではないだろうか。
世の中の進歩は目覚しい、昨日できなかったことが今日はできるようになっている。
そんなめまぐるしい世の中で、のんびりと生きることは難しい。だからこそ敢えてスローに生きることも必要なのかもしれない。
と、この頃思うのである。

 若い頃はがむしゃらに生きてきた、幾つもの失敗も繰り返し挫折もした。今の歳になって思うには、見えてきた終着駅、急ぐと早く着いてしまいそう。だから、背伸びせず身の丈の生き方、このほうが楽である。「楽で怠慢」  時にはこれもいい。
但し、若い方は怠慢にならず、世の中の歩調に合わせて歩いていただきたい、我が歳になったから自分に甘く「楽で怠慢」を許そうと思う。

 以前、鎌田 實氏の「がんばらない」という本の紹介をした。
頑張っているからこそ、偶には頑張らないことも必要。一生懸命急いでいるからゆっくり歩くことも必要。そんな風に思うのです。
2005.10.21

ショルダーバッグ

2005-10-20 20:18:51 | Weblog
 いつも持ち歩くお気に入りのショルダーバッグがある。
この中には、財布はもとより、カード入れ、携帯電話、デジカメ etc. 出かけるときの必需品がすべて入っている。

 仕事の後、喫茶店でお茶を飲んだ。
ショルダーバッグの他に着替えなどの入った手提げ袋も持ち歩くことが多い。
帰ろうとエレベーターに乗って気が付いた。手提げ袋は持っているが、ショルダーバッグがない、席に忘れてきたのだ。
慌てて取りに戻ると無事その席に鎮座ましましていた。
先日もお話したが、この頃の僕は注意力の衰えが目にみえて感じられるのである。

 このショルダーバッグ、数年前スリにあったことがある。
それまで自分がスリに遇うなんて考えもしなかった。自分の持ち物に他人が触ったら絶対分かる、なんていう自惚れがあったから。

 しかしである、このバッグの中の財布が見事に掏(す)られたのだ。
その日に限っていつもと違う場所に財布を入れた。いつもの場所にあれば掏(す)るのはちょっと難しい。

 その日は雨、そしてデパートで買い物をし、両手一杯の荷物に傘、バッグは肩に掛け背中に。
地下鉄に乗るベくホームで待ち、来た電車に乗ろうとドアに行くと、一足先に乗った背広姿のサラリーマン風の男が乗り口で何か落としたらしく、屈んで拾っている。よく見えないが、たいしたものでもなさそうなのにぐずぐずしているので立ち止まって待った。
立ち上がったので急いで乗ると、一度乗り込んだ彼は、踵を返して出て行ってしまった。
なんなんだこいつは、と思いつつも何事もなく帰ったが、友人の病気見舞いに行くための買い物だったので、タクシーに乗って先にお金を出しておこうとバッグを見て気が付いた、ファスナーが開いている。
財布がない、慌ててタクシーを降り、どこを探してもないので考えた。
そうか、あのときのあいつが誰かとグルでやったのか。

 その日の財布には、僕にとっては大金の10万円をはるかに超すお金が入っていた。幸いカード類は別にしてあるので、煩わしい事はなかったのだが、この僕が、という自惚れが悔しさを増したのだった。

 悔しさを抑えるのに苦労はしたが、「命を落とした訳じゃないんだから、まァ~いいか」と、やせ我慢をしたものだ。

 それからしばらくして、同じ様な手口のスリグループがいるというニュースをテレビで見た。
どんなに自信があっても、複数で狙われたら太刀打ちできそうもない、ましてや注意力の衰えた今日この頃ではなおさらのこと。
皆さんもお気をつけ下さい。
2005.10.20

金龍の舞

2005-10-18 23:58:22 | Weblog
 今日の東京は台風の影響もあってか、朝から冷たい雨。そんな中、浅草寺では「金龍の舞」の奉納の演技が行われた。
       
 浅草寺の山号を金龍山と言い「金龍の舞」は、後世に永く伝える記念行事として創始奉納されたものだそうだ。
長さ5m、重さ80kgの金龍の舞の奉演は、3月18日のご本尊示現会と、10月18日の菊供養の佳日に行われている。
        
       
 雨天ということもあって、午前中の奉演は中止となったが、午後には仲見世通りをはじめとし、屋根のある商店街を金龍が舞い、その勇壮な姿を見せてくれた。

 この金龍の舞は、ステンドグラスの壁画となって、今夏開通し、このブログでも紹介した『つくばエクスプレス』浅草駅の改札に飾られています。
       
          壁画の大きな画像になります
2005.10.18

手引書

2005-10-17 14:32:56 | Weblog
 ある手引書から
「背筋を伸ばし、アゴを引いて、まっすぐに相手の眼を見る」 「常に笑顔で丁寧な言葉遣いで、かつ『低姿勢』で」 「語尾をのばしたり、あいまいに発音しない」 「絶対ムキにならず、不機嫌な表情は見せない」 《朝日新聞『天声人語』から》


 何の手引書だと思いますか?
アルバイトの店員用ではありません、自民党が総選挙で初当選した83人の新人衆院議員に配った「マスコミ取材への心構えについて」だそうだ。

 お客様商売の我が手引書にもしたいと思いながらも、国会議員の手引書とは少しばかりの驚きでもある。
社会生活に慣れていない学生のアルバイトならともかく、国民を代表する国会議員である。
そういえば、最年少当選を果たした何某(なにがし)の言動が話題にもなった。
あまり利口とは思わないが、ユニークさは特筆もの、それが若さの特権か。お偉いさんたちは苦言を呈しているが、彼を公認したのはどこの誰だっけ。

 この手引書は更に続く。「オフレコはありえない(口から出た言葉はすべてニュースになる)」と。

 『天声人語』はこうも言っている。
新聞記事にされた途端に発言を撤回した先輩よりも、「記憶にない」を多用するベテランを見習えと読めなくもない。


 我が思うには、最後の文言はそういう彼らにこそ手引きにしてもらいたい。

 郵政民営化法案に反対した自民党議員の多くは賛成にまわった。
彼らには「次の選挙を生き残るためのマニュアル」でも配られたのだろうか?
2005.10.17

菊花展

2005-10-15 20:31:30 | Weblog
 浅草・浅草寺境内では今日15日から11月15日まで菊花展が開かれている。
       
       
 まだ始まったばかりで、花の咲いているものは殆ど無いが、蕾を膨らませ、これから咲こうと準備を整えた鉢が並べられていた。

 自社を60歳で身を引き、それから始めて20年以上という方が、手入れに余念がないその手を休めずに話してくれた。
       
       「この花いつ頃咲くのですか?」
       「11月5日です」
       「エッ、日にちまで分かるんですか」
       そばで聞いていた人たちの中から笑いが起きた。
       「11月5日が審査の日なんです」
       「どうやって調整するのですか?」
       「水やりや、温度管理で調整します」
 
 そうして大事に育てて咲かせた花は、さぞかし可愛いものだろう。

 菊の時期になると思い出すことがある。
花の好きな、今は亡き父が健在の頃、菊の栽培をしていた。3本仕立てというのだろうか、3本に分かれた枝から大輪の花を咲かせるのである。自慢の鉢を幾つも庭に並べて蕾の出るのを心待ちにしていた。

 子どもの頃から生意気で可愛気のない僕は、或る日、原因は忘れたがひどく親父に叱られた。
頭にきた僕はその鉢の菊の芽を摘んでしまった。すべての鉢かどうかは忘れたが、手塩にかけて育てた菊を台無しにしてしまったのだ。

 でもその悪戯を誰も知らないのも面白くない、こっそり母にだけは告げておいた。
母は黙って聞いてくれ、父にも内緒にしてくれていた。
その後、どうなったかは覚えていない。ちょっとだけ、ほろ苦い思い出である。

       
      浅草寺境内は、土曜の午後とあって賑っていた。
2005.10.15

ステップアップ

2005-10-14 22:51:02 | Weblog
 “ステップアップ” いい言葉である。前に前に進み向上していくのであるから。
ところがである、我が行動は認知症に向けてステップアップしているのである。

 風呂に二度入ったこともあり、洗いながら風呂場が濡れているので気がついた。
また、洗う順序が決まっているのに、途中で頭を洗ったのを忘れている。濡れているから多分洗ったのだろう。
ものを取りに行って何をとりに来たのか分からないなんていうことは度々である。
 
 先日はブログでも紹介したように “さつまっ子” 事件もあった。
要するに注意力や集中力が極端に衰えている。
数日前にも買い物に行った。シャンプーが切れてしまったのだ。
昨夜中身を詰め替えよとして気がついた。リンスを買ってきてしまった。
          
 いずれ使うからいいというものではない、無駄なのである。
何故かというと、残り少なくなった我が髪はリンスなど必要ない。
髪がなくなることに未練はないが、辛うじて残った髪はシャンプーだけはしている。

 またもや注意力のない自分を認めざるを得なくなったのだ。つまり認知症へのステップアップの認知である。

 皆さん、このブログ、おかしいことを言うようになったらお見舞いに来てください。どなたか分からなくなっているかも知れませんが。

 エッ!もうおかしいですか?
2005.10.14

配達情報

2005-10-13 23:42:48 | Weblog
 昨日は、投函した手紙が届かなかったことを取り上げましたが、いよいよ郵政民営化法案は14日の参院本会議で可決、成立する見通しとなり、国会では同法案の質疑応答が行われている。

 今の郵便制度では、郵便物が確実に届く保障は何もなく、誤配されたものがそのままになってしまったらどうすることもできない。
過去には、アルバイトの配達員が配達するのが嫌でまとめて捨てたという事件もあった。

 そんな中、ヤマト運輸は、配達した荷物の情報を携帯やパソコンに電子メールで知らせるサービスを11月1日から始めると発表した。
 配達先や送り主にも電子メールで通知し、外出先でも荷物の到着が分かり、家に帰らなくてもその場ですぐにパソコンや携帯から再配達の以来や日時の指定ができるようになるという。
 自宅に荷物が到着したときのメール連絡は、同社のHPに事前登録をしておけば、その人宛のすべての荷物についてメールが届く。
 このサービス、11日から受付を開始したそうだ。
来年度には、メールを受け取った人が直接ドライバーと再配達時間などについて、やりとりができるようになるという。


 他の業者にもそのようなサービスをやっているところがあると聞いたことがある。

 僕は郵政の民営化には基本的に賛成であった。
配送業者によるサービス向上が進む中、郵便制度も民営化され、このようなサービスが郵便物にも取り入れられ、確実に配達されるようになることを願う。
はがきや封筒の配達に、いちいちメールでの連絡が必要とは思わない。しかし集配されたものが、どこからどのようにして配達先に届いたかの記録を録ることは、容易にできるのではないだろうか。

 JRやNTTが民営化され、新しいサービスにより前より便利になったことは確かである。郵便事業もそうであって欲しい。

 昨日の届かない手紙の調査結果はまだ報告がない。
2005.10.13