勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

段差社会

2008-01-14 23:00:03 | Weblog
 暮れなずむ冬の空から夜の帳(とばり)が下りるころ、コートの襟を立て、自転車で仕事に出かけた。冬の夕ぐれは暗くなるのが早い。真夏ならまだ陽が射している時間である。

 自転車で歩道を走っていると、まばらに灯る街灯の向こうから、幼児の手を引いた母親が歩いてくる。走行を車道に変えて親子をやり過ごす。再び歩道に戻ろうとハンドルを切ったそのとき、自転車から投げ出された。
 起き上がってよく見ると、そこは車道と歩道の段差が10cm以上もあるところだった。白内障で視力が落ちている眼は、暗くなると更に見えにくくなる。幸い怪我もなく、人差し指の付け根が少し痛いだけですんだ。
 自転車で走っていると、世の中には段差が多いことに気が付く。歩道と車道の境目。横断歩道と歩道の境界にも段差がある。建物の敷地にも段差が設けられているところが多い。

 何故こんなに段差を付けなければいけないのだろうか。境界を表わすため?水はけをよくするため?視覚障害者のために車道と歩道の区別をわかりやすくするため?これらに段差をつける意味があるのだろうか?他に何か理由でも・・・?
 車椅子やお年寄りなど、わずかな段差にも不都合を感じる人もいる。買い物帰り、自転車で段差を越えるとき、前かごから野菜が飛び出すことも度々。卵が飛び出してわれたこともある。

 東京都生活文化局の、平成11年度12年度高齢者危害危険情報分析調査によると、道路の段差や障害物でつまずいたり、駅舎や百貨店の階段から転落するなどの事故が起き、高齢者が自由に外出し、安心してゆっくり歩けるような環境整備が求められています。

 東京都のHPには、このような記述もあるが、今回の我が転倒事故は、自分自身の不注意である。自転車による事故も多いと、先日取り上げたばかり。仕事柄、夜間に自転車に乗る機会が多い僕にとって、充分気をつけなければいけないことを、改めて感じた。