勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

考える人

2011-01-31 18:32:49 | Weblog
 新しい年が明けて早一ヶ月が過ぎた。暦の上では春はすぐそこ、しかし各地で大雪の便りも聞かれ、まだまだ寒さは続くようだ。寒さに強い花、パンジーが冬の花壇を彩ってくれる。我が家のベランダに咲くパンジーも、冬の陽に照らされて、うつむき加減にもの思うが如く、咲いては散り散ってはまた花開く。


 実はパンジーという花はあまり好きではなかった。人の顔に似たその花が咲き揃うと、一斉にこちらを見ているようで不気味でさえあった。そこで顔には見えない花を選んだのだが、咲かせてみればどんな花も愛おしい。咲き終わった花柄(かへい)を摘もうと顔を近づけると甘い香りが漂う。パンジーにはこんな香りがあったのか。だが、紫色の花には匂いを感じられない。黄色い花だけが匂っているようでもある。これは何故?


 パンジーはその姿から、フランス語の『パンセ(pensée)』(想い・思索)からとった名前で、花言葉もそのまま「もの思い」「思慮深い」なのだそうだ。思慮も浅く、加齢臭の僕にとって、パンジーの香りと思慮深さにあやかって、考える人『Le Penseur』(思索にふける人)になりたいものだが、何をしようとしたのか考えることのほうが多くなっている。。。

ダンスパフォーマンス

2011-01-28 18:30:36 | Weblog
 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら・・・と歌われるのは阿波踊りだが、社交ダンスは踊って楽しく見て楽しい。そもそも社交ダンス(Social Dance)とは、Ballroom Danceのことをいうが、社交ダンスといわれるものには、競技ダンス(competition style)とボールルームダンス(social style)とに分かれ、スタンダード部門とラテンアメリカ部門がある。

 我がホール新世紀では、一昨日、競技ダンスに於ける日本のトッププロによるデモンストレーションが行われた。スタンダード部門の安海陽一・的場未来組、ラテンアメリカン部門の佐久間遼・片山麗伽組の華麗なダンスパフォーマンスをご覧いただいて、暫しダンスの世界に浸っていただけたら幸いです。

スタンダード部門






ラテンアメリカン部門





ラニーニャ現象

2011-01-27 03:24:04 | Weblog
 


小憎くん 帽子とマフラーがあったかそうだねぇ

 
うん これはね ボランティアのおねぇちゃんたちの手編みだよ



そっか よくお似合いだよ^^


おじちゃんは寒いのに弱いって言ってたけど インフルエンザが流行っているらしいから気をつけてね


おじちゃんは インフルエンザの予防接種をしたばかりだから大丈夫だよ


でも今年の冬は寒いね おじちゃん


今日も日本列島は冬型の気圧配置で 日本海側は大雪 太平洋側は晴れて乾燥する日が続くらしいよ

 


これはね 今年の冬の特徴で 観測史上最大のラニーニャ現象のせいなんだって


おじちゃん ラニーニャ現象って ナニーニャ?


ナ・ナニーニャ? って・・・ギャグ言ってる場合じゃないよ もっと寒くなるから・・・

ラニーニャはスペイン語で「女の子」という意味だけど 南米沖の海面水温が低くなることをラニーニャ現象というらしいよ


ふ~ん じゃぁ男の子はなんていうの


男の子のことは「エルニーニョ」といって「神の子」という意味もあるんだって


じゃぁ ボクは「エルニーニョ」だね


でもね エルニーニョ現象もラニーニャ現象も異常気象を起こすので気をつけないといけないんだ


ボクは 異常気性なんかじゃないよ


いや 異常気性じゃなくて異常気象 小憎くんは可愛いエルニーニョ(神の子)だよ


おじちゃん ありがとう でもおじちゃんは 髪のヘル(減る)ニーニョ(髪のない子)だね (^_-)-☆


オ~イ ( ̄□ ̄;)

初花

2011-01-24 20:32:59 | Weblog
 今年も新型インフルエンザが流行っているらしい。寒さと風邪に弱いくせに、今までインフルエンザの予防接種を受けたことがない。昨年はワクチン不足が騒がれたが、結局余ってしまったと聞く。ワクチンだけで100%インフルエンザを防ぐことができるわけでもなく、稀に副反応もあるといい、ワクチン接種にあまり興味がなかった。しかし、もう若くない僕、罹ったら重症化する恐れもあるという。そこで、先日予約をしたインフルエンザの予防接種を受けてきた。僕にとって初めてのインフルエンザ予防接種である。


 その季節になって最初に咲く花、また、その草木に初めて咲く花を初花というそうだ。我が家の冬を20年近くも彩ってくれている椿が、いつもの年より少し遅れて咲いた。今年の初花である。ここに住む前から大切にしてきた鉢植えであり、我が家のベランダで年が明けて最初に咲く花でもある。


 先日はマクドナルドでの食事の初体験をした。インフルエンザワクチンの初体験もそうだが、僕の初体験は何事も晩生(おくて)のようだ。赤い椿の花ことばは「控えめな愛」「謙虚」だとか。。。晩生と謙虚とは違うようだが、春の花、椿を愛でながら、風邪でもひかぬよう近づく春を待つとしようか。


犬たちをおくる日

2011-01-22 19:58:16 | Weblog
 我が家にはいくつかの癒しグッズがある。自分の意志に関わらず、いつの間にか多くの動物たちが部屋にあふれてしまった。犬も、猫も、熊も、ゴリラも、羊や、鹿や、リスや、像までもが部屋の隅や、棚に居並んで、僕の行動を監視しているのだ。それらはぬいぐるみであったり、焼き物であったり、木彫りであったり、毛皮を纏ったりしているが、みなそれぞれに可愛い癒しのアイテム。


 昨日の朝日新聞の夕刊の記事「犬たちをおくる日」という本を紹介している。年間30万匹近い犬や猫が、飼い主に捨てられるなどで殺処分されるそうだが、この本には、愛媛県動物愛護センターの職員の、一匹でも多くの命を救おうとする姿が描かれているそうだ。身勝手な飼い主の犠牲になった犬たちの叫びをサブタイトルにした「この命、灰になるために生まれてきたんじゃない」は、本の主人公滝本伸生さん自身の言葉だという。


 晴れあがった冬の午後の公園を、我が家のク~ちゃんの兄弟のような、ゼンマイ仕掛けのぬいぐるみではないかと思われるほどかわいい子犬が、幸せそうに走り回っていた。




 その昔、犬も猫も飼ったことがある。特に大人になってから飼った猫は、家の前に捨てられていた生まれて間もない猫だった。ブログを始めた頃に紹介したので、ここでは省略するが、ペットの可愛さは知っているつもりである。ペットは自分で飼い主を選べない。飼うなら最後まで責任を持ちたいものである。

転ばぬ先の杖

2011-01-20 23:51:14 | Weblog
 ダンスはバランス感覚が求められる。常に片足に体重を乗せ、その体重移動で美しい姿勢が保たれなければならない。そのダンスを生業にしている僕にとって、片足で立つことは当たり前のことだった。靴下を履くときも、片足で立って履くことが僕のステータスだった。しかし、そのステータスを捨てて久しい。いつからか、靴下は座って履くものになっていた。そして今、玄関で立ったままで靴を履く時にバランスを崩すことが度重なるようになった。特に靴ひもを結ぶ時にふらつくことが多い。僕のささやかなステータスは、音を立てて崩れ始めている。そこで転ばぬ先の杖、ネット通販で買った玄関ベンチを置くことにした。


 あまり広くはない玄関が更に狭くなるが、一人暮らしの僕にとって、広さよりもベンチがあることのほうがメリットがありそうだ。今日からは玄関で靴を履いたり脱いだりするときにふらついて転ぶこともないだろう。足は第二の心臓といわれ、老化は足からともいう。老化を思い知らされる日々だが、用心に怪我なしである。毛が(怪我)ない僕ではあるが。。。

大寒

2011-01-19 22:21:48 | Weblog
 明日(20日)は大寒だそうだが、その15日後の2月4日は立春となり、大寒は冬の最後の二十四節気でもあるらしい。このところ日本列島は寒い日が続き、これからがいちばん寒さの厳しい季節でもある。


 梅一輪いちりんほどの暖かさ というが、寒さが少し和らいだ今日、隅田公園の梅林には百花の魁(さきがけ) といわれる梅の花がほころび始めた。


 まだほとんどが蕾のままだが、才能のある人や大成する人は、幼い頃からその片鱗が現れるという意味で、梅は蕾より香あり と例えられるように、甘い香りに包まれた園内を散策する人も、花よりも香りを楽しんでいるようだ。


 園の向こうに見える東京スカイツリーは、既に559メートルに達し、咲き始めたばかりの梅の花を見下ろすように真っ青な空に聳えている。


 梅干しと友達は古い程良い というそうだが、古い街・下町の新しいシンボルは日々成長し、今日も寒空にその雄姿を誇っていた。雨の降らない東京は乾燥注意報も出たとか。まだまだ寒い日が続くようだが、インフルエンザもはやっているらしい。遅ればせながら、今日予防接種の予約をした。24日(月曜日)が接種の日になる。馬鹿は風邪をひかないというが、うそです。僕も風邪をひくから。。。春よ来い、早く来い。

再利用

2011-01-18 01:13:23 | Weblog
 捨てる神あれば拾う神ありというが、僕にとって、捨てられることはあっても、拾われることなど皆無といっていい。色っぽい話はさておいて、捨てることの下手な僕、きれいな紙袋や、形のいい空き箱などは溜まる一方である。もったいない精神といえば聞こえはいいが、未練がましい性格のなせる技なのか。

 昨年の夏の暑さに、冷たい飲み物は冷蔵庫に欠かせず、空になったペットボトルが連日ゴミとなって消えていった。ペットボトルはリサイクルとして再利用されるので、それはそれで納得しよう。


 しかし、ささやかではあるが、我が家ではその空きペットボトルをこんな再利用に使っている。料理に使うお酒の入った紙パックを切って漏斗代わりにし、お米を入れて冷蔵庫で保管する。この紙パックの口がペットボトルの口にピタリと嵌るのだ。スパゲティーを入れると、その口からはちょうど一回分の量が出てくる。また、小さいペットボトルには、冬の鍋料理に欠かせない、使い残しのマロニーを入れてある。

 数日間家を留守にする時の植木の水遣りに、市販のキャップを付けて逆さにして使う方法もある。一昨年、白内障の手術での一週間の入院時には、この方法で植木を枯らさずに済んだ。捨てられる運命のペットボトルの再利用、他にもアイデアがあったらお教え願いたい。捨てられ癖の付いた僕の再利用はないだろうか。。。???

京の夢大阪の夢

2011-01-16 00:06:42 | Weblog
 年が明けて既に半月が過ぎた。今年の初夢はなんだったろう?今年になって夢をみた覚えがない。歳のせいで忘れてしまうのだろうか。人は一晩に複数の夢をみるというが、眠りが浅いときの夢は覚えていても、深い眠りのときの夢は記憶に残らないそうだ。

 ナポレオンの睡眠時間が3時間だったというのは有名な話だが、人は概ね1日8時間の睡眠をとるといわれている。睡眠はとり過ぎても、不足しても長生きをしないらしい。1日の睡眠時間を8時間とすると、人生の1/3は眠っていることになる。最近、僕の睡眠時間はナポレオン並みとはいわないまでも、平均より少なくなっている。夜更かしが多いためだが、歳と共に眠る機能も衰えるのだそうだ。

 そこで、友人の強い勧めもあり、良い睡眠をとるためにと、通販で紹介されているトゥルー・スリーパーなる寝具を買った。昨年の12月25日に届いたその寝具で寝てみると、程良い硬さと、身体を包み込むような柔らかさが、なんとも心地よい。枕も今までの低反発枕とは比較にならないくらい頭にフィットする。


 驚いたことに次の日の朝、起き上がろうとすると慢性の腰痛が感じられなくなっている。そんなに早く効果が現れることに半信半疑だったが、それから20日が経った今、腰痛が改善されたことはいうまでもなく、この寝具なしでは眠れないと思われるくらいに満足している。これで良い睡眠をとって長生きができるといいのだが、友人曰く「眠り心地がいいからといって眠ったままにならないように。。。」と宣う。

 起きてみる夢も、寝てみる夢も、夢は夢、京の夢大阪の夢である。フォスターの名曲「夢路より(夢見る人)」を聴きながら、心地よい目覚めのための眠りに就こうか。遅い初夢でもみながら。。。

Beautiful Dreamer

◇夢路より◇

夢路よりかえりて 
星の光仰げや
さわがしき真昼の
業も今は終わりぬ
夢見るはわが君
聞かずやわが調べを
生活(なりわい)のうれいも
跡もなく消えゆけば
夢路よりかえりこよ

- 訳詩 津川圭一さん -


Good night

寝る5秒前(p.-) 4(ρ.-) 3(p.-) 2(ρ.-) 1…(ToT)/~~~ おやすみなさ~ぃ♪

九里よりうまい十三里

2011-01-15 02:37:25 | Weblog
 14日の朝の関東地方は、今冬一番の冷え込みになったという。週末には、冬型の気圧配置が強まり、各地で大雪や強風など荒れた天候になる模様だとか。
子供の頃、冬の寒い日の落ち葉焚きが妙に楽しかった。不思議なことに焚火を囲むと、何故か煙を避けても避けても自分の方にばかり来るような気がしたものだ。


 切り絵作家の滝平二郎氏の絵のような焚火をする光景を、都会では見られなくなったが、焚火で焼いた焼芋が妙に美味かったことも、今は遠い昔の思い出となってしまった。そこで、先日上野公園の陶器市で買った陶板直火皿で焼芋を焼いてみた。僕にもあったであろう、無邪気な少年の頃を思い出しながら食べる焼芋が、こんな寒い日の心と身体を温めてくれる。


 ところで、さつまいものことを「九里(栗)より(四里)美味い十三里」というそうだ。九里+四里=十三里というわけだが、さつまいもと云えば川越、そのさつまいもの産地として知られる川越は、江戸から十三里の距離にあったことに由来するという。寒い日は、焼芋で温まるのもいいが、そのあとはくれぐれも臭いに気を付けましょう。∑(; ̄□ ̄A アセアセ
 

サクラサク

2011-01-14 01:46:21 | Weblog
  今年の冬がいつもの冬より寒く感じるのは、昨年の夏のあの暑さのせいか。更に景気も政治も寒く、日本中が震えている。そんな世の中の寒さにめげもせず、青空に向かって咲く桜がある。


 この桜を初めて見たのは3年前の1月だった。それから毎年、晩秋から咲き始め、年が明けるころに満開になるこの御会式桜。折りに触れて紹介してきたが、年を経る毎に枝は伸び、その枝に咲かせるのは桃色吐息。きれいと云われる時は短いというが、この桜は息が長い。これから春先まで、この道を通る僕を楽しませてくれるだろう。ここ数日は吐く息も白くなるような寒い日だったが。。。


くじけないで

2011-01-12 23:32:47 | Weblog
 昨日もその一編を紹介したが、1911(明治44)年生まれで、今年100歳を迎える柴田トヨさんの詩集『くじけないで』が話題になっている。92歳から始めたという彼女の詩には、温もりと生きる希望が満ち溢れている。


 裕福な米穀商に生まれたが、十代の頃に家が傾き、奉公に出て苦労も経験し、死のうと思ったこともあったという彼女の詩は、悲しみや辛さをすべて包み込んでくれるやさしさがある。

 

◇先生に◇

私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい

「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ

-柴田トヨさん-
 

僕も、まだまだボケてなんかいられないぞ。

ウィルススキャン

2011-01-11 23:37:23 | Weblog
 年明け早々PCの不具合に悩まされていた。我が家には、古いPC本体と新しくしたディスプレイの不適合による反応の遅さから、ほとんど使わなくなったXP搭載のデスクトップ型PC、同じくXP搭載のノートPC、そしてようやく使い慣れてきたウィンドウズ7搭載のデスクトップ型の3台のPCがあるが、常時使うのはウィンドウズ7である。そのウィンドウズ7がブログに限り、表示も画像も記事の作成もすべてに不具合が起きていた。特に全く覚えのない画像に置き換えられていたブログは、ウィンドウズ7に限っていた。その不気味さはウィルス感染を疑い、弟の金髪に助けを求めていた。

 以前から金髪が独自に開発した「美才人(ビサイト)アプリ」なる、フリーソフトを組み込んだ超小型USBメモリーを貰っていたのだが、僕にとっては宝の持ち腐れ状態だった。今回金髪に促され、そのUSBメモリーに組み込まれたソフトによるウィルススキャンを行った結果、無事不具合から解放されたのだ。


 宣伝めいて恐縮だが、群馬県太田で開業している金髪のPC教室『ビサイト』 に通いたいが、ちょっと遠い。数年前からPCに挑戦している姉は、金髪の説明は横文字が多くて難しいから、横文字を使わないで欲しいと言った。横文字なしでPCを説明するほうが難しいと思うのだが。。。


 PC用語を覚えるだけでも大変、次から次へと覚えることばかり、覚えてもすぐ忘れる僕だが、これからもくじけないで努力しようか。悔いを残したくないから。。。
間もなく百歳を迎える柴田トヨさんの白寿の処女詩集「くじけないで」には、こんな詩がある。

◇あなたに◇

出来ないからって
いじけてはダメ
私だって 九十六年間
出来なかった事は
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習いごと

でも 努力はしたのよ
精いっぱい
ねぇ それが
大事じゃないかしら

さあ 立ちあがって
何かをつかむのよ
悔いを
残さないために

初体験

2011-01-10 22:24:19 | Weblog
 人生を長く生きているが、誰もが経験していると思われることでも、この歳になって未だに未経験のことも多い。もしかして、以前にも経験しているかも知れないが、物忘れの激しい今日この頃、はっきりと覚えていないので、僕にとっては初体験と同じである。そのことにドキドキする程ウブでもなく、それが体力を必要とするほどのことでもないが、その場所は僕と同年代の人は少なく、若い人たちがほとんどである。

 僕よりは少し若い友人と出かけた量販店での買い物帰り、偶々目にしたマクドナルドの看板に腹の虫が鳴いた。ひとりでは立ち寄る勇気がなかったが、年頃の息子を持ち、そのような場所には慣れている筈の友人を誘ってみた。彼は、僕がハンバーガーショップで食べるのは初めてだというと、半ばあきれ顔で言った。「ここは65歳以上は入れないよ」と。。。∑(; ̄□ ̄A


 そんな言葉を無視してすべてを友人に任せ、テーブルに運ばれてきたハンバーガーのセット。周りの雰囲気に溶け込んでいたかどうかはわからないが、普段でも大きい口を更に大きく開け、マクドナルドの店内で食べるのは初体験のハンバーガーの味は、気分だけでも若者にさせてくれた。


幸せってなんだっけ?

2011-01-08 22:17:41 | Weblog
 北海道北見市では「年末ジャンボ宝くじ」で、ほど近い二つの売り場から総額6億円の高額当選が出たという。また、アメリカの宝くじでは3億8000万ドル(約316億円)を的中させた2組の当選者がいるとか。

 分不相応な大金を持つと、人生が変わってしまうとはよく言われる言葉である。知人の知り合いに、ロト6で一千万円を当てた人がいたという話を聞いた。暴走族だった若い彼は、一念発起して仕事にも就き、真面目な社会生活を送りはじめた時に一千万円を当てた。それを頭金にしてマンションも買ったが、仕事は辞めてしまい、間もなくマンションは売り払い、文無しになり、以前よりも乱れた生活になり、やがて姿を消してしまったという。

 『高い年収で満足は買えるが、幸せは買えない』 と、ノーベル経済学賞の受賞者である、プリンストン大のカーネマン名誉教授の言葉を、朝日新聞「天声人語」で紹介している。

 人生が変わってもいいから、大金を当てたいと思うが、まだ宝くじを買ったことがない。もしかすると一度くらいは買ったことがあるかもしれないが、覚えていない。でも当ったらどうしよう、他人には口外はしないぞ、などと捕らぬ狸の皮算用をする愚かな僕である。

 ところで、宝くじの一等当選の確率は、1000万本のうち1本が当選となり、その確率は0.0000001。ある試算によると、人間が交通事故に合う確率が0.000045、宝くじの一等当選の確率はそれよりはるかに小さく、ほとんどゼロに近いそうだ。しかし、買わなければ全くのゼロである。宝くじは夢を買うものらしいが、夢も希望もなく、幸せも寄りつかない僕、欲張らず窓辺の小さな幸せで我慢しながら、身も心も、そして懐も寒いこんな夜は、ポン酢醤油でひとり鍋でもつつこうか。。。