勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

六月の雨

2008-06-30 00:06:51 | Weblog
一日中降り続いた雨は、時に強く、時にはやさしく、道行く人に語りかける。
 六月の雨には六月の花がよく似合う。そして、雨に濡れた紫陽花の花には、小椋佳さんの歌う六月の雨 がよく似合う。やわらかな歌声に耳を傾けるとき、終わろうとする六月に季節の移ろいの速さを感じる。

◇ 六月の雨 ◇


六月の雨には 六月の花咲く
花のすがたは 変わるけれど
変わらぬ心を 誓いながら
いくつ春を数えても
いくつ秋を数えても
二人でいたい

六月の雨にはドラマがある。

♪♪
そよ風は見えない 
幸せも見えない 
愛のすがたも 見えないけれど
見えない何かを信じながら 
いくつ春を数えても
いくつ秋を数えても
二人でいたい

 今年も半年が過ぎ、明日はもう七月。僕の好きな夏が来る。あといくつ夏を数えることができるだろう。雨の日は、なぜかセンチメンタルになる。今宵は小椋佳さんのアルバムでも聞きながら寝よう。見えない何かを信じながら・・・♪

おかえり

2008-06-29 00:00:36 | Weblog
7月は“社会を明るくする運動”の強調月間だそうである。
 今年で58回目を迎える法務省主唱の“社会を明るくする運動”は、犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪のない明るい社会を築こうとする運動だという。

『おかえり』と題した法務省のホームページには


人は、変わることができる
そう信じることから更生保護はスタートします
あやまちをくり返すことのないように
犯罪や非行からの立ち直りを
社会の一人ひとりが支えていく
更生への希望は
あなたの「おかえり」から生まれます


とある

-過ちて改めざる 是を過ちというー
 僕が小学一年生になったある日、学校から帰ると、一番上の姉が「おかえり」といってにっこりと迎えてくれた。次の日から僕は学校から帰ると大きな声で「ただいま~♪」と、言うようになった。
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 社会を明るくすることに貢献するのは難しいが、せめて、髪が薄くなった頭で明るくしようと、おしっこの出なくなった小便小憎君と並んでみた。(マウスオンでどうぞ)☆ かえって暗くなったみたいだなぁ♪

コンビニ爺

2008-06-28 00:36:14 | Weblog
 仕事柄、帰宅が午後10時過ぎになることが多く、夕食が深夜になることは度々。外食を良しとしない僕だが、冷蔵庫に何もない時には、コンビニのお世話になることも多い。

 幸いコンビニが我が家のすぐ隣にあるので、風邪で寝込んだときなどは、その名の通りコンビニエンスである。味も贅沢を云わなければまずまず。ひとりの食事はかえって安上がりかもしれない。

 しかし、味には飽きが来る。そこでもうひとつの方法は、帰り道にある、閉店間際のお持ち帰り専門店『さぼてん』のとんかつが食卓に乗る。


 焚きたてご飯と、手づくりの漬物を添え、インスタントみそ汁にも手を加えることで、自称ハッタリ料理学園長としての自分自身に言い訳をし、手抜きの夕食を済ます。

 ハッタリ料理学園長の名に恥じぬよう、はたまたコンビニ爺にならぬよう、明日は手づくり料理で、健康管理でもしようか。 

美しきもの、汝の名は・・・

2008-06-27 01:23:11 | Weblog
 蔓が針金のように細くて丈夫であることから、その名が付いたというテッセン(鉄線)。別名クレマチスは、「精神的な美しさ」「高潔」などの美をあらわす花言葉を持つという。

◇ てっせん ◇

花は自分の美しさを
知らないから
美しいのだろうか
知っているから
美しく咲けるのだろうか

ー星野富弘さん-


詩人のサトーハチローさんは、「麗人草の唄」の2番の歌詞で、女の怖さを歌っている。

♪♪
悩みと嘆きと ため息を
さらりと捨てて すまし顔
きめた復讐(しかえし) その手段
女は弱くて 強きもの
知ってしまえば それまでよ
知らないうちが 花なのよ


シェークスピアの戯曲から

・弱き者よ、汝の名は女なり・
―「ハムレット」―

・女は娘のうちは五月の花の時のようだが
亭主持ちになるとたちまち空模様が変わる・
―「お気に召すまま」―

・男が誓うと女は裏切るものだ・
―「アントニオとクレオパトラ」―



知ってしまえばそれまでよ 知らないうちが 花なのよ

クレマチスには「企み」という花言葉もあるらしい。怖きもの、汝の名は・・・

六月の蚊

2008-06-25 11:02:25 | Weblog
 睡眠を優先することで、体調管理につとめている。できれば12時前にはベッドに入りたいが、仕事柄それもままならず、少なくとも1時までには寝ることを心がけている。そのために睡眠導入剤に世話になることも度々ある。

 昨夜も寝たのは午前1時頃。朝方、悪夢に目が覚めた。再び眠りに就いた頃、耳元でブ~ンという蚊の羽音。不愉快極まりない音に目が覚めると、もう眠れない。

 5月の蝿を五月蠅い(ウルサイ)というが、虫偏にブ~ン(文)と書く6月の蚊は5月の蝿よりも更にウルサイ。僕のおしゃべりといい勝負である。今は懐かしい蚊取り線香だが、勿忘草の口封じ線香などを焚かれないように気をつけよう。

 小さい眼が更に小さくなった寝不足の眼をこすりながら、これから高齢者ホームへの出張レッスン。今日は静かなレッスンになりそうだ。

天使の罠

2008-06-22 23:54:36 | Weblog
 梅雨空の下、ひときわ華やかに咲く花がある。うつむいて咲くその花の下で耳を澄ますと、トランペットの響きが聞こえてきそうな気がする。
 花の名はエンジェルストランペット。つばさを広げ、空から舞い降りた神の使者、天使が演奏するトランペットのようである。

 様々な花の色があり、夜になると芳香を放つこの花は、名前とはうらはらに毒をもつという。汁液がついた手で目などに触れると、瞳孔が開いたり、また幻覚症状が出るそうだ。


◇ 麗人の唄 ◇

ぬれた瞳と ささやきに
ついだまされた 恋ごころ
きれいな薔薇には とげがある
きれいな男にゃ 罠がある
知ってしまえば それまでよ
知らないうちが 花なのよ

-作詞・サトーハチローさん-

 とかく美しい花には棘も毒もある。サトーハチローさんはいう。きれいな男にゃ罠がある、と。口に少々の毒がある僕だが、残念ながら罠はありません。

言の葉

2008-06-21 23:42:44 | Weblog
 枝を離れた木の葉は、風に舞い、水に漂い、自分の意思に背いて一人歩きをする。言葉も口を離れた瞬間から、一人歩きをすることがある。ましてや言葉を文字にしたときには、ニュアンスが変わり、思わぬ誤解を招くことがある。

◇ 言葉のダシのとりかた ◇

かつおぶしじゃない
まず言葉をえらぶ
太くてよく乾いた言葉をえらぶ
はじめに言葉の表面の
カビをたわしでさっぱりと落す
血合いの黒い部分から
言葉を正しく削ってゆく
つぎに意味をえらぶ




-長田弘詩集から-

 鳩山法相を「死に神」と非難した、朝日新聞夕刊のコラム・素粒子は、昨日取り上げたばかりだが、今日(21日)の夕刊で、筆者がコメントした。コメントには少しばかり無理があるように思われるが、言葉の難しさを浮き彫りにしている。ましてや風刺となれば。。。

 長田弘さんは、詩の中で云う。『言葉を水に沈め火にかけて、アクをすくって言葉を濾しとるのだ、そうすると言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう』と。

 口数の多い僕は、時々、いや、しばしば言葉で失敗をする。話を面白くしようとするあまり、他人を傷つけることは数知れず、奥行きのある澄んだ言葉は難しい。

言葉は きめの細かな 単純な言葉がいい
古い言い方や日用品のようによくなじんだ言葉
すっきり筋のとおったものの言いあらわしかた
言いたいことを 目に見えるように書くのだ

-長田弘詩集「ファーブルさん」より-

 皆様への我がコメント、失礼の数々をお許しください。表現の方法や技量をもっと磨かねば・・・♪

死神

2008-06-20 23:59:48 | Weblog
 日本には八百万(やおよろず)の神がいる。しかし、神と名が付いても付き合いたくない神様もいる。

 落語「死神」では、働かず女房に愛想を付かされた男が死神と出会う。死神は彼に病人を治すおまじないを授けるが、それは、死神が病人の足元にいる時にだけ効果を発揮する。

 枕元に死神がいる大金持ちを治すように頼まれた男は、死神が居眠りをしている隙に、病人の布団の枕元と足元を入れ替えてしまう。

 病人は生き返り、男は大金を貰うが、自分の命と引き替えだったことに気が付く。

(画像はWikipediaから拝借した、著作権の発生しない死神です)
 朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』は、世相を切る辛口の風刺で、時には溜飲を下げてくれる。
 18日の夕刊に載った記事で、度重なる死刑執行に、死に神と呼ばれた鳩山法相が噛み付いた。

 その言動の軽さから、あまり好きになれない鳩山さんだが、この件に関しては彼にエールを送りたい。

 死刑については異論もあるようだが、今の日本の法律では死刑制度がある。裁判で死刑が確定したのだから、それを執行して何が悪いのか?執行した人を非難するのなら、裁いた裁判官を何故非難しない。

 人が人を裁くことの不条理はあるかもしれないが、それ以前に罪のない人が犯人の手によって命を絶たれているという事実がある。

 罪のない人間の命を奪った者が、それと引き替えに己の命を奪われたとしても、それは当然の報いなのではないだろうか?

ホタルの宿

2008-06-19 23:35:16 | Weblog
 子供たちが夜道を歩いていると、ホタルが飛んでいる。1人は2匹、次の子は1匹、その次の子は0匹、その次の次の子は3匹捕まえた。籠を持ち合わせていなかったので、かたわらに咲いていたホタルブクロの花を摘み、その中にホタルを入れた。
 ホタルブクロの花の名の由来を説明した野草図鑑。現実味は乏しいようだが、夢がある。

 子供のころ、僕の育った農村には、当たり前にホタルがいた。蚊帳の中に入れて遊んだホタルの光が、夢の世界に誘ってくれた夏の夜は、遠い昔のノスタルジー。
 そんな蚊帳が今また静かなブームだという。ブログで知り合い、何度かお会いしては友情を温めている弟のような友がいる。静岡にお住まいの彼は祭好き。笛の稽古に励み、その真面目さと、仕事熱心さと、幅広い交友関係を持つ彼は地域のリーダーシップも発揮している。

 蒲団屋(山昇)さんを営む彼(眠りの達人)のお店では、通販でも蚊帳をはじめ、質の良い寝具を求めることができ、全国からネットでの注文も引き受けてくれる、安心の蒲団屋さんである。
 釣鐘を思わせる花、ホタルブクロの中で光るホタルの光は、想像するだけでも涼しげだ。

◇ 蛍 ◇

ほたるのやどは  川ばたやなぎ
やなぎおぼろに  夕やみよせて
川のめだかが   ゆめ見るころは
ほ・ほ・ほたるが 灯をともす

 我が家には益々輝きを増す逆さボタルがいるが、その光と姿はちょっと暑苦しい。

負けるが勝ち

2008-06-16 23:25:33 | Weblog
☆雨ニモマケテ☆

雨ニモ負ケテ 風ニモ負ケテ
夏ノ暑サニモ負ケテ
東二病気ノ人ガイテモ
西ニ困ッテイル人ガイテモ
ナニモシナイ
丈夫ナ身体ニナリタクテ
健康食品ニ気ヲクバリ
ウマイモノガ好キデ
マズイモノガ嫌イ
オカネモホシイ
着物モホシイ
ソンナ私ガ仰向ケニネテイル

-星野富弘さん-
 

 精神科医の斎藤茂太さんはいう。「100%なんてものは、世の中にないんです。80%くらいで満足しなくちゃいけない。私の歳になりますと、もう60~50%で満足しております」。 

 世の中はとかく勝ち負けにこだわる。スポーツは勝ち負けがあるから面白いが、人生は勝ち負けではない。全力疾走は疲れるだけ、腹だって満腹より八分目がいい。ちょっと歩を弛めよう、長い距離を走ってきたんだもの。追い越されたっていい、ゴールに着くのが他人(ひと)より遅くたっていい、50%の力で走る人生もまた楽しからずや・・・♪

 昨日は賢治流、今日は富弘流、どちらもあるがままを生きよう、といっているではないか。雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケテ。己に負けてはいけないが・・・♪

反省

2008-06-15 12:30:21 | Weblog
 熱も下がり、昨夜、一週間ぶりに入った風呂のなんと爽快なことか。寝汗を掻いて何度も取り替えた下着とパジャマ、それらが洗濯機に溢れている。

 暑い夏が好きな僕にとって、真夏のような天気の数日間、恨めしくさえあった。4回に分けて洗いあげた洗濯物が、夏の陽射しと風に揺れる心地よさは久しぶりに味わう快感。

 日頃の不節制と自分の身体への過信、それらを思い知らされた今回の発熱。回復力は年齢とともに衰え、ダメージも大きい。若いころは一日寝れば治った風邪も、一週間では治らなくなった。熱が下がったとはいえ、油断は禁物、無理が利かない身体であることを自覚し、節制に心がけよう。


雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい

-雨ニモ負ケズ-
◇宮沢賢治◇

 欲は限りない。病気になって始めて知る健康であることの有難さ。何度も経験しながら学習不足、反省である。欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている賢治に学ぼう。

 皆様のところへの訪問が、しばし遅れることをご容赦ください。

処方箋

2008-06-13 17:17:27 | Weblog
 発熱から6日目、回復傾向にあるものの微熱が続く。個人的な用事も含め、詰まっていた予定はすべてキャンセル。無念な思いで今日は近所の病院へ行く。

 「どうしましたか?」 「喉の痛みと微熱が続き、寝汗を掻いて身体がしんどいのですけど」 かすれた声に医師は聴いた。「その声は普段のご自分の声ですか」 「いいえ、普段はもっといい声です」 「・・・???」

 喉と胸の診察の後、「咳は出ませんか」 「はい出ません」 「風邪のようですね。今流行っています」 「インフルエンザですか?」 「いいえ、一週間ぐらい経ってから咳が出ますが・・・」 「そんなに長い風邪ですか?」 「まだ軽いようです。お薬を4日分出しておきます、治ったら飲まなくていいですよ」 「どんな種類の薬ですか?」 「熱と痛みをとる薬と、炎症を抑える薬です」


 会計を済ませ、院外の薬局に行く。医師の説明では2種類と思っていた薬は3種類。薬剤師の説明によると抗生物質が含まれている。「抗生物質は飲む必要があるのですか?」 「一応細菌の感染予防です」 「抗生物質は菌に感染して初めて効くのであって、予防にはならないと聴きますが・・・」 「先生によっては風邪薬とセットで出す場合があります」 「抗生物質の乱用で耐性菌ができるといわれるようですが」 「はい、もし要らなければ先生にそう言っていただければ出しませんが、患者さんによっては、抗生物質を出さないと納得しない患者さんもいますので・・・」(そういう問題か?)

 過去にも我がブログで抗生物質については取り上げたことがあるが、医療費の問題は患者だけの問題ではない。無駄な薬を処方する医師、製薬会社との利害関係を重んじる病院、その他諸々の医療制度を見直さずして、後期高齢者医療精度なるもので年寄りを厄介者扱いする国政は許せない。

あぁ~、また具合が悪くなりそ~!

天国と地獄

2008-06-11 22:28:02 | Weblog
 オッフェンバック作曲の喜歌劇「天国と地獄」は、ギリシャ神話の「オルフェスとユーリディス」をモチーフにしている。毒蛇に咬まれ命を落とした妻、ユーリディスを、命がけで黄泉(よみ)の国から取り戻したオルフェスは、「家に着くまでは絶対に振り返らない」という約束を破ったため、妻は再び黄泉の国に戻されてしまう。


 誰にも気兼ねない気ままな一人暮らしは、我が儘な僕にとって天国でもあるが、時には地獄にもなる。

 好きな時間に寝て、好きな時間に起きる不規則な生活は、夜更かしも多くなる。それは、年齢(とし)とともに身体への負担も大きくなり、不摂生によるつけは定期的に廻ってくる。

 数日前から感じていた節々の痛みは、疲れによるものと思い、睡眠も摂るように心かけた。しかし、喉の痛みも伴いそして発熱。ベッドから起き上がれない。冷蔵庫からは食料も消えていた。天国から一気に地獄へと滑り落ちてしまった。

 そんなこととは知らない友人から一通のメール。「雷雨がひどかったけど大丈夫?」「大丈夫じゃない、雷にやられて、熱が出た。死にそぉー」「薬飲んだの?」「解熱剤の座薬使った。座薬だから正座して飲もうと思ったけど、飲みづらそうだからお尻に入れた」「アホ!大丈夫そうだね^^」

 その友人が次の日、お弁当と果物を提げて、見舞いに来てくれた。作ってくれたうどんは、食事として3日ぶりに食べる温かい天国の味。ちょっと元気がでた。

 遠い昔の若さを振り返って懐かしむより、今の己を見つめ、節制を心がけねばと思うのは、床に伏せているときだけ。喉元過ぎれば忘れる熱さ、いつものことだ。死にそぉー、といった言葉に、黄泉の国から引き戻しに来てくれた友人の優しさと、夜更かしを咎められての約束は、破らないようにしよう。もう少し天国を味わいたいから。いずれは地獄に行かなければならないし・・・♪

男の涙

2008-06-08 12:46:41 | Weblog
 筋書きのないドラマといわれるスポーツ。作り物のドラマは、時間がないこともあって、ほとんど見ない僕。しかし、予想も付かない展開が刺激的なスポーツのテレビ観戦は、時間が許す限り欠かさない。

 16年ぶりのオリンピック出場を決めた男子バレー。初戦のイタリア戦は7点差をつけてマッチポイントを握りながら、考えられないような敗戦を喫した。しかし、それをいい教訓としたのか、昨夜のアルゼンチン戦は、手に汗握る接戦の末オリンピック出場権を獲得した。
 その瞬間の植田監督の喜びようと、抱き合って喜ぶ選手達の涙に思わず目頭が熱くなった。

 涙にもいろいろある。悲しみの涙にも、喜びの涙にも、様々な想いがあるだろう。そんな涙の中でもスポーツで流す勝利の涙は美しい。昨夜見た涙は、爽やかな男達の涙だった。

善意

2008-06-07 11:14:37 | Weblog
 鶯谷駅南口を出て長い階段を降りると、我が仕事場のダンスホールがあり、その先が言問通りである。その階段を掃除する、女性を含めた若い集団を度々見かける。
 「あぁ~、今日もいいことしたぞ~♪」と彼らのひとりが笑いながら言った。「君たちはどこの人なの?」と声を掛けてみた。「そこの生徒で~す」。にこやかな彼が答えた。

 ホールの隣にある華学園は専門学校として、栄養・調理・服飾・ビジネスなどのコースがあり、近所のコンビニは昼時には行列ができる。
 カメラを向けるとにこやかに応えてくれた。訳を話すと皆それぞれが自分の名前をアピールする。そばにいた年配の先生までが、担任の○○で~す、とおどける。ここを卒業した生徒達、いい専門職の職人さんになるだろう。あまり注意をして見なかった華学園と生徒さんたち。今度彼らを見たら、ご苦労様と声をかけよう。