勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

槿花一朝の夢

2011-07-30 20:40:23 | Weblog
 ベランダに咲いた一輪の真っ白な槿(むくげ)の花、何か変。槿には八重咲きなど種類は多いが、一重の槿は5弁のはずだ。


 次の日に咲いた白一重はやはり5弁だった。白い十字に意味はあるのか。そんな大それたことの筈もなく、たまたま4弁になっただけ。 


 その槿は一日花のはかない命といわれ、「槿花(きんか)一朝の夢」などと、はかないことのたとえにも使われる。しかし我が家の白十字の槿は、次の日も咲いていた。

 これは不思議なことではないらしい。白楽天の詩にある「槿花一日自(おのず)から栄を為(な)す」を、一日の栄華と誤って解釈されたことから、一日花と思われているらしい。しかしこの花も、2日目の夜にははかなくしおれて散っていった。槿花ははかない花であることには違いない。

 儚(はかな)いとは、人が夢をみると書く。「槿花一朝の夢」の人生、それでも槿のように一日自ずから栄を為す如く、一朝の夢をみるのもいいだろう。今宵は涼しい夜になりそうだ。いい夢でもみるとしよう。

 
 

動機づけ

2011-07-28 23:03:59 | Weblog


あれっ 小僧君 夏向きスタイルだねぇ


うん でも あの大雨を降らせた台風6号が去ったあと 猛暑もどこかに行っちゃたみたいだよ


太陽も顔を見せないので おじちゃんとしてはちょっと寂しいね


ところでおじちゃん 今月も遅かったね


このところ夜更かしが続いて 寝不足になってね ちょっとモチベーションが下がっちゃったんだよ


モチベーションってやる気のこと?


そうそう 日本語では「動機づけ」とも訳されるけど 寝不足もそのやる気が起きない動機づけになるらしいよ


ボクなんか 夏向き前向きで いつもやる気満々だよ


小僧君に会うと おじちゃんも動機づけができてやる気も起きるよ 



よかった おじちゃんが元気じゃないと ボクのおしっこも元気がなくなっちゃうよ


あはっ おじちゃんはね 昨日一日中寝たり起きたりして睡眠不足を解消したからもう元気だよ


おじちゃん そんなに寝ると 目が覚めなくなっちゃうよ~


お~い

( ̄◇ ̄;)
 

六菖十菊

2011-07-24 23:24:53 | Weblog
 時期遅れで役に立たないことを「六日の菖蒲(あやめ)十日の菊」という。お盆といえば、本来7月15日を中心に行われるが、今やお盆は8月15日を中心に行われる月遅れのお盆を指すことのほうが多い。ところがである、我が実家の埼玉県鶴ヶ島市では、本来のお盆である7月15日から10日遅れの7月25日を中心に行われる。理由は定かではないが、養蚕が盛んだった時代、7月15日前後は忙しい時期だったからといわれている。したがって、10日遅れの盆はそれなりの意味があり、今となっては時期遅れの中途半端な感も否めないが、当時は大いに役立つ方法だったに違いない。 


 そんな10日遅れのお盆に実家に集まった我が兄弟、11年前に64歳でこの世を去った長兄を除いて全員が集合した。傘寿を過ぎた長姉をはじめ、末弟も還暦を迎えるといい、それはあたかも敬老会のようでもある。地元の料理屋さんでの会食に話も弾み、両親や兄とのエピソードなど、笑いに包まれる遠慮のない会話は終わりがない。会食が済むと改めて実家に戻り、また話の続きが始まる。そうして過ぎた夏の一日は、兄弟の元気な姿を確認する一日でもあった。

障碍

2011-07-21 23:42:49 | Weblog
 嘗てハンディキャップを持つ人のことを「障害者」と表記した。しかし「害」はマイナスイメージが強いという理由から、「碍」 の字を使い「障碍者」あるいは「障がい者」と表記するようになった。「碍」は、大きな岩を前に人が思案し悩む様を示し、困難に直面していることを表す文字なのだそうだ。

 世の中にはハンディを持ちながらも立派に生きる人が大勢いる。我がブログでもその詩を時々引用させていただく星野富弘さんは、体育教師として赴任して2ヶ月足らずのクラブ活動指導中に頚椎損傷を負い、首から下の機能をすべて失う。


 絶望の淵から這い上がり、口に咥えた筆で描いた詩画集は、時には勇気を、時にはやさしさを届けてくれる。彼は「神様がたった一度だけこの腕を動かして下さるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう」という。


 全盲で生まれた辻井伸行さんは、天才ピアニストとして世界で活躍している。彼は「1日だけ目が見えたら両親の顔が見たい」という。


 今日、全盲のお客様と踊った。仲間の教師のお客様なのだが都合で休まなくてはならず、代わりに僕が担当したわけだが、彼女と踊るのは今日が2度目である。彼女は5年前に目が不自由になり、今は全く見えないという。しかしそんなことは微塵も感じさせない明るさと熱心さ、そしてダンスへ取り組むひたむきさは、誰が見ても目が不自由とは思わないだろう。ダンスはすべて男性のリードで踊るため、女性にとって目が不自由であることは不利とはいえないが。。。

 彼女は言う「こんなことなら目が見えるとき、もっと一生懸命レッスンすればよかった、でもそのときは気が付かなかったのよね」。網膜剥離と白内障の手術を経験した僕、彼女にダンスは教えたが、教えられることのほうが多かった。

夏バテ解消

2011-07-19 22:58:34 | Weblog
 茨城の農家からお米を送っていただいているが、同時にその時期の旬の野菜もお願いしている。前回は放射能汚染の心配もあったのか、葉物野菜は入っていなかった。丹精込めて育てた野菜が廃棄処分になるのは忍びないと、今回は葉物も入れてくれるようお願いしていた。届いた箱を開けてみると、たくさんの野菜の中に、珍しく葉唐辛子とモロヘイヤが入っていた。どちらもスーパーでは買ったことがない。そこでネットで調べて作った初めての料理。


 葉唐辛子はカロチンやビタミンCが豊富、辛味成分は食欲増進や血行促進の効果もあり、夏バテ防止にもなるらしい。小さな白い花が可愛いので、一輪挿しにも活けてみた。


 硬い茎を取り除き、水洗いした葉を熱湯で灰汁抜きをし、出し汁に使った昆布とジャコと白ゴマを加えて煮込んだ葉唐辛子の佃煮風。常備菜としての箸休めや、食欲のないときのお茶漬けにも良さそうだ。


 アラビア語で「王様の食べる野菜」という意味のモロヘイヤは、クレオパトラも好んで食べたらしい。その昔重い病気に罹った王様は、どんな薬を飲んでも治らなかったが、モロヘイヤ入りのスープを飲んで快復したという話から、モロヘイヤ(王様の野菜)といわれるようになったとか。。。


 さっと茹でると粘り気が出る栄養価の高いモロヘイヤには、同じ粘り気のある健康食品の納豆と相性がいいらしい。お互いの個性を主張し合いながらも、その粘り気は、なでしこジャパンの粘りにも似ている。昨年の猛暑より更に暑い今年の夏は、葉唐辛子とモロヘイヤで乗り切ることにしよう。

落書き、それとも芸術?

2011-07-16 02:05:36 | Weblog
 江戸の風情を残す下町・浅草の仲見世通りは店じまいが早い。しかし、閉店後の仲見世通りは、400メートルに亘り、シャッター壁画の「浅草絵巻」が繰り広げられ、仲見世通りの優雅な夜の顔が楽しめる。


 我が家の近くの公園のそばには、シャッターが閉まったままのお宅があり、そのシャッターには、色とりどりのペンキを撒き散らしたのではないかと思われる、落書きと思しき模様が描かれている。


 そのシャッターが開かれたところを見たこともなく、その模様を特に気に留めるでもなく、毎日のようにその側を通り過ぎていた。ある日のこと、近くに寄ってそのカラフルな模様を見て驚いた。


 そこに描かれていたのは、ただの模様ではない。驚くことに、浅草の行事などの風物詩が細かなタッチで、丁寧に描かれているではないか。仲見世通りのシャッター壁画のような華やかさはないが、一枚のシャッターに繰り広げられる浅草絵巻は隠れた芸術か。その絵は、今年は大震災により中止になった三社祭、浅草界隈を走る一方向の100円バス・めぐりん、隅田川の水上バス、完成間近のスカイツリーなどなど、見る者を飽きさせない。

◇以下は、マクロレンズで撮った、下町のとある街角の隠れた芸術のほんの一部です◇









こんな遊び心に感動しながらも、どんな人が、何の目的で、どれくらいの日時で描いたのか、知りたい気もする。
  

牛の首

2011-07-13 23:56:05 | Weblog
 考古学者や民俗学者が集まり、怖い話を披露しあう席で、ある学者が「牛の首」に勝るものはないと言った。一同は賛同したが、一人だけその話を知らない学者がいた。しかし、誰に聞いても曖昧な返事をするだけ。執拗に聞くその学者に根負けしたある学者が、研究室に来れば教えてやると言った。約束の日、研究室を尋ねると、旅行に行って留守だという。「牛の首」の話を知らない学者は気づいた。この話は誰も知らないのだと。。。


 原発事故以来、毎日のように関係者をはじめとする、物知り顔の輩が原発についての薀蓄を語っている。しかし、原発の本当の姿を知る者がいるのだろうか。誰も知らない話をなぜ安全だと言えるのか。核の本当の怖さを知っている筈の日本なのに、安全神話を信じる愚かさは、牛の首の話に賛同する学者と似てはいないか。 

 報道ステーションでは「原発わたしはこう思う」と題し、各界の著名人の原発への考え方を紹介している。文化人の多くは脱原発を叫んでいるが、原発推進に携わった面々は、様々な理由をつけて原発の必要性を説く。 

報道ステーション 「原発わたしは こう思う」 与謝野馨 経済財政担当大臣

 その理由のほとんどが、「日本の経済の維持ができない、代替エネルギーでは今の電力を補えない」というが、その根拠も示さず、言葉上の脅しに過ぎない。報道によると、原発がなくとも各企業の埋蔵電力で充分補えるともいう。毎日発表される電気予報も、節電の結果とはいえ、消費電力より供給電力が常にぎりぎりで上回っている。これも数字のマジックか。

 原発事故の隠蔽工作についても、パニックを理由にするが、何を根拠にパニックになるというのか。これも言い訳でしかない。実体のないことを、言葉の上だけでいかにもあるかの如く言いくるめ、原発を推し進めた責任も認めず、この事故が起きたことへの反省の言葉すらないことのほうが驚きである。

報道ステーション 「原発わたしは こう思う」 小出裕章助教

 誰も知らない、経験したことのない現実を、誰が論じることができるのだろうか。これから起こり得る未知との遭遇を誰が予測できよう。「牛の首」よりもっと怖い話である。

牛歩

2011-07-12 22:54:58 | Weblog
 福島県に伝わるこんな話がある。昔々のその昔のある年の暮れ、神様が動物たちにお触れを出した。「元日の朝の新年の挨拶に、一番早く来た者から順に、一年間動物の大将にしてやろう」。歩みの遅い牛はどの動物より早く出かけた。一番早く神様の元に着いた牛は、門が開くと同時に入ろうとすると、こっそりと牛の背中に乗って来たねずみに先を越されてしまい、2番目の干支になってしまったという。

 BSEによる狂牛病から始まり、O-111による焼肉店の食中毒、そして福島県南相馬市の肉牛の放射能汚染と、牛にとっては受難が続く。畜産農家をはじめ、牛肉を扱う業者の嘆きは、ねずみに先を越された牛の比ではないだろう。店頭に並ぶ牛肉は売れ残りが続出しているらしい。

 我が家では高級な牛肉など滅多にお目にかかれないが、連日の猛暑と熱帯夜に体力も衰えがち。こんなときこそ値引きされた牛肉を食べるチャンスと捉え、ちょっと贅沢をしてみた。


 震災の復興も原発事故の対応も、牛歩の如く遅々として進まない日本の現状に、神様は誰を大将にするのか迷っているのだろうか。神様のところに挨拶に行く日を忘れた猫に、一日遅れの日を教え、牛の背中に乗って一番乗りを果たしたねずみのような、悪賢いリーダーにはなって欲しくないが。。。

2011-07-10 23:52:03 | Weblog
例年より早い梅雨が明けた。僕にとっては待ちに待った夏がやってきた。



夏の空に太陽を求め、夏の海に涼を求め、海を渡る風に夏を求めた猛暑日の一日。



海も、空も、風も、太陽も、人類より歴史は長い。美しい自然は地球の宝。
人類の手で汚すことなく、このままで久遠に残すのが人類の役目。

再利用

2011-07-08 01:23:00 | Weblog
 スーパーで買い物をすると、肉や魚や野菜など、食品のほとんどは発泡スチロール・トレイに入っている。これは資源ごみとして回収されているが、スーパーで袋詰めをする時に、品物をトレイから出して、トレイは捨ててくる人も見かける。こんなトレイ、皆さんはどうしてますか?


 一度限りで捨てられる運命のトレイだが、形も大きさも様々でしっかりとしたものが多く、捨てるには忍びない。そこで我が家では手ごろな大きさのトレイは保存し、再利用をしている。
料理をするときの具材をトレイに並べると、何度も冷蔵庫を開け閉めせず、無駄な労力も省け、手順もスムーズに運ぶ。軽さも魅力のひとつ、料理バットの代わりにもなり、汚れたら捨てればいい。

◇以下は我が家のある日のトレイの姿である◇





シンクのそばに置けば、スポンジ受けにもなり、色違いにすれば、食品を入れるトレイと間違えることもない。


発泡トレイだけでなく、蓋付きのプラスティック容器も再利用している。



余った具材などを入れての保存は、冷蔵庫への収まりもよく、中身が見えるので、使い忘れも防げる。


 プラスティック容器の中には工夫を凝らしたものもあり、さくらんぼが入っていた容器は、蓋を合わせるとき、中央にある上下の凹凸をずらせてから真ん中に引くと、ぴたりと閉まる工夫がされている。(言葉での説明は解りにくいと思うが)



知恵を絞って作られている発泡トレイやプラスティック容器。そのまま捨てずに再利用することで、その知恵も更に役立つと思うのだが。。。

 

ロンドン生まれ

2011-07-06 23:15:59 | Weblog
 3ヶ月ほど前だったろうか、新し物好きな僕、スーパーで見つけ躊躇しながら買った、今までの既成概念を打ち破るロンドン生まれのこの製品、何に使うものかお解りだろうか。


 一部には小さな穴が開き、折り曲げるための線がある。豊富なカラーバリエーションの中から、清潔さに重きを置き白を選んだ。汚れても漂白剤で間単に元の白さに戻る。素材はポリプロピレンとサーマルプラスティックラバーだそうだが、線に沿って折り曲げ、組み立てると下の画像のような形になる。使い勝手の良さと作業効率の良さ、更に清潔さを保つことができる優れものである。


 賢い主婦の皆さんはすでにご存知かもしれないが、ロンドンの双子の兄弟、アントニーとリチャード・ジョセフによるテーブルウェア・Joseph Joseph(ジョゼフ ジョゼフ)のまな板である。


 使い始めたときには、包丁の刃とまな板との接触に違和感はあったものの、それも慣れれば問題ない。折り曲げるための線も全く気にならない。

 
 カットしたものは、まな板を組み立てそのまま洗って水切りもできる。直接鍋やフライパンなどの調理器に移すことができ、盛り付けも簡単。料理の効率もよく、余分な器の使用も省ける。外食があまり好きではない独り者の僕にとっては、暑い夏を乗り切る手段が、このまな板を使った効率のよい手抜き料理なのである。

渋み

2011-07-04 22:14:26 | Weblog
 先日、加齢臭対策として購入した柿渋石鹸・渋の泡のお話をしたばかり。連日の猛暑に、渋の泡石鹸は入浴時には欠かせないアイテムになっている。そんな折に届いた一通の封書。


 何事かと開けてみると、渋の泡石鹸をリニューアルしたので、今までの渋の泡石鹸を返品交換するという。説明によると、他社製品で配合原料によるアレルギー症状を誘発したと考えられる事例が報告され、その会社ではその原料を含む製品が回収されているという。
 

 渋の泡石鹸も同様の配合成分(加水分解コムギ末)であるため、成分をコメ発酵液に代えた新製品を開発し、希望する人には返品交換回収の措置をとるとのことである。この石鹸を使用した後に、小麦製品含有食品(うどん、パンなど)を摂取し、その後運動した際にアレルギー症状を起こしたと考えられるという。僕には難しいことはわからないし、アレルギー症状もないが、より安全のために、返品交換に応じることとした。使いかけのものも、どんなに小さくても交換するとのこと、使い切り間近のものも含めて交換を依頼した。


 そして届いた6個の渋の泡石鹸、返品交換は宅配業者にその場で手渡すことで、手間ひまはかからずに済ませることができた。男の渋みとは縁のない僕だが、リニューアルした新・渋の泡石鹸で、加齢臭のない爽やかな夏にしたいものだ。

左うちわ

2011-07-02 22:20:28 | Weblog
 2005年に始まったクールビズも、今年は過去に例のない電力不足を補う目的で、日常の様々な工夫で、簡単に、かっこよく、楽しく過ごす、をコンセプトとして、スーパークールビズが推奨されている。クールビズが始まった2005年には、僕も「チーム・マイナス 6%」 の会員になり、会員番号8281をもらっている。

 僕にとっては歓迎の猛暑が予想される今年の夏だが、そんなときに活躍する昔ながらのアイテムがある。扇風機は売り場から姿を消しているらしいが、日本には古くから水うちわと名づけられた、岐阜名産のうちわがあると聞く。

水うちわ

 竹の骨に雁皮紙(がんぴし)と呼ばれる薄い紙を貼り合わせ、ニスを塗って防水機能を持たせ、水をつけて、その気化熱で涼しい風を送ることもできるそうだ。雁皮紙の流通がなくなり、昭和40年代には廃れたらしいが。。。


 透き通って、見た目にも涼しく美しい水うちわの復活も期待されるところだが、我が家には、いつの間にかプラスティック製の、見た目にも美しくないうちわが溢れている。2本しかない手で、こんなにたくさんのうちわは必要ないが、左うちわで悠々自適の夏を過ごしてみたいものだ。それは真夏の夜の夢であるが。。。

王子の狐

2011-07-01 23:14:28 | Weblog
 美女に化けた狐と、狐と知りながら美女を誘った男の、化かし合いの噺として有名な「王子の狐」という落語がある。その舞台となった場所が、北区王子に江戸時代から続く料亭扇屋。


 その噺に登場するのが扇屋の玉子焼。江戸時代に観光地として賑わっていた王子のお土産として、この玉子焼は人気があったという。料亭は閉まったが、扇屋自慢の玉子焼きは今も屋台で買うことができる。


 この屋台には、玉子焼と親子焼がある。親子焼とは鶏の挽肉と三つ葉を加えて焼き上げたものだそうだが、とりあえず、昔ながらのオーソドックスな厚焼玉子を買ってみた。
 

 上げ底でも額縁でもない、折箱いっぱいに詰まった厚焼玉子は、甘めの味付けでふわふわの食感、口一杯に広がるジューシーな味わいは、狐につままれたかと思うほど。ご飯のおかずは勿論のこと、おやつにも最適。次の機会には、狐に化かされたと思って、必ずや親子焼を賞味してみよう。