私たち衆生は「空」だから、一つひとつのものがそれで
終わっているのです。
ですから、次から次へとものを考えても、あるいはものを見ても
心に留まっているとか、眼に留まっているということは、何一つ
ありません。
「過去」のものが積み重なっていくということは、何にもありません。
これは「空」だからそうなのです。
ですから、思えば思っただけのもの、考えれば考えただけのもので、
全部始末がついているのです。
それが、「差別(しゃべつ)のまま、空(平等)である」ということです。
「遺教経」にも「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重(そんぢゅう)し、
珍敬(ちんぎょう)すべし 闇(あん)に明(みょう)に遇い、
貧人(びんにん)の宝を得(う)るが如し」と、示されています。
もともと執すべき何物もないということを、或る覚者は
「初説有空人盡執(はじめにくうをとくに ひとことごとく しゅうす)」
と、お示しになって居られます。
※波羅提木叉については旧稿を参照していただければ幸いです
2015/9/29 波羅提木叉