活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因果3

2021年10月17日 | 法理

経に曰く

諸法皆是因縁生(しょほうかいぜいんねんしょう)

因縁生故無自性(いんねんしょうこむじしょう)

無去来故無所得(むこらいこむしょとく)

無所得故畢竟空(むしょとくこひっきょうくう)

是名般若波羅蜜(ぜみょうはんにゃはらみつ)

南無一切三宝(なむいっさいさんぼう)

無量広大(むりょうこうだい)

発阿耨多羅三藐三菩提(ほつあのくたらさんみゃくさんぼだい)

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それから多くの人は、「無」と言うと、「ない」と思い込んでしまうのです。

 

分別を去らせんが為に「無・空」の字を説くのです。

 

「無・空」は、異名(いみょう)にして同体なのです。

 

私達衆生(わたしたちしゅじょう)は、「夢」を見る習慣がついています。

 

ですからおシャカ様や歴代の覚者方は、その「夢」にしたがって、その人(道・法を求める人)に「夢」を与えてでも、一応「楽」にする「道、法」があると示すのです。

 

それを「応病与薬(おうびょうよやく)と言います。

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因果2

2021年10月15日 | 法理

経に曰く

諸法皆是因縁生(しょほうかいぜいんねんしょう)

因縁生故無自性(いんねんしょうこむじしょう)

無去来故無所得(むこらいこむしょとく)

無所得故畢竟空(むしょとくこひっきょうくう)

是名般若波羅蜜(ぜみょうはんにゃはらみつ)

南無一切三宝(なむいっさいさんぼう)

無量広大(むりょうこうだい)

発阿耨多羅三藐三菩提(ほつあのくたらさんみゃくさんぼだい)

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

この「もんごん」の中で最も注目すべきお言葉は「故(こ)」です。

 

「故」は、般若心経にある「是故」(ぜこ、このゆえに)」の略です。

 

「故の故に」とは、「此の人〈因縁生、空、無を了知した覚者〉」には、何にも認めるものがないという事です。

 

多くの人が思想的に、空とか、無とか言うと、「ない」と、決めてしまうものです。

 

ところが、無とか空とか言うものは、然う云うものではなくて、必然な自由性のものであるのです。

 

空と言うのは決まった場所がないから、どんなにでも自由に動ける、それが「空」なのです。

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因果1

2021年10月11日 | 法理

経に曰く

諸法皆是因縁生(しょほうかいぜいんねんしょう)

因縁生故無自性(いんねんしょうこむじしょう)

無去来故無所得(むこらいこむしょとく)

無所得故畢竟空(むしょとくこひっきょうくう)

是名般若波羅蜜(ぜみょうはんにゃはらみつ)

南無一切三宝(なむいっさいさんぼう)

無量広大(むりょうこうだい)

発阿耨多羅三藐三菩提(ほつあのくたらさんみゃくさんぼだい)

 

因縁生(いんねんしょう)のものは、すべて無自性(むじしょう)なのです。

 

中心がないのです。

 

全てのものがないままに「縁」になったり「因」になったりしているのです。

 

仏教は因果説、縁起説を方便として「法」を説いているのです。

 

因縁説は因や縁によって果を生じ、縁起説は、全てのものはどこからともなく集まって来て、集まって来るもの自体は、縁(無自性)によってそうなって来ているのです

 

ですから「実体がない」のです。

 

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教育について

2021年10月07日 | 随感

大人は、子供のひとつひとつの行為を否定的に見るのではなく、子供に内在する普遍意識の展開を絶対的に信頼して見守っていくことが何よりも大切な事です。

 

個人の人間としての表現は、それぞれ違っていますから、他人の得たものを、そのまま持ってきても使い物にならないし、それが可能であったとすれば地上に人間をたくさん創った意味はなかったことになってしまいます。

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神仏との絆を取り戻す

2021年10月04日 | 法理

・スピリチュアルと現実のバランスが大事です。

 

現実世界のことをしっかり踏まえながらスピリチュアルな世界とも通じていくことです。

 

 

・あらゆる分野で世代交代に直面しています。

 

世界中の宗教の根源はどこにあるかというと、それは古代ユダヤ教になるのです。

 

ユダヤ教は多神教であり、それに一番近いのが神道(しんとう)なのです。

 

十個の戒律「神と人間との約束」を決めたのは、当時の指導者たちです。

 

この戒律がおかしいのではないかと指摘したのが、イエス・キリストなのです。

 

イエス・キリストと云うお方は、キリスト教を始めた人ではなくて、あくまでもユダヤ教の信者であってユダヤ教のここの部分がおかしいと言った人なのです。

 

神さまはそんなことは願っていないし、神さまは本当はこういうふうに言っているんだよよと、説いた人なのです。

 

それを世の中に広めて行ったのが弟子たちで、それがキリスト教です。

 

キリストは神ではないし、それなら「元の神(ユダヤ教の時の神)」に戻りましょうと言ったのがマホメットなのです。

 

ここから始まったのがイスラム教です。

 

・宗教も原点回帰の時代に

宗派の争いというのは、神さまの教えとは関係のないところで、誰が指導者になるかということで争っているのです。

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一大事因縁6

2021年10月02日 | 法理

「自己の本来の面目」に相見(しょうけん)しなければ、例え経論(きょうろん)を究(きわ)めても他の宝を教え終わる人です。

自ら「実物」を見ずして見た如き観念を造る人です。

 

「一大事因縁」無くして人を導く事は、「一盲衆盲(いちもうしゅもう)を引く」で誠に恐るべきことです。

此れは仏経全体の「一大事」です。

 

「此(こ)の事(じ)」無くして法(道)を説いても響き無しです。

一度は命根(みょうこん)を絶せん事を要すのです

 

今人(こんじん)、故人も「四大(地、水、火、風)」は同じです。

 

何れの時代になっても志氣(しいき)が有(在)れば何人(なんびと)たりと云えども徹するものです。

 

「疑うことなかれ」です。

 

旧稿「信解行証入(しんげぎょうしょうにゅう)が大切な処です。

 

今や社会は「此の人」求めつつあります。

 

若し此れに当たる人が無ければ「仏教の生命無し」。

 

仏法(仏道)の生命を失えば人間の苦悩は永久に離れ事は出来ないと思います。

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一大事因縁5

2021年09月30日 | 法理

極めて肝要な事は一大事因縁」をはっきりさせて於いて頂きたいと思います

 

然うして決して人の力を借りる用は一つも無いと云う事です。

 

必ず自分自身が自分自身に於いて自分自身で其れが処理(解決)が出来るものである云う事です。

 

其処に「無師独悟」と云う事が有(在)るのです。

其れで必ず最後は「無師独悟」のものです。

 

其れは何故かと申します自身の事を他の人が知(識)る訳が無いからです。

 

其れで其れを知(識)ってみると(お互いに話し合うと)(指導者の悟りの点検を受ければ)本当にそうだと云う事が通じるのです。

 

其処におシャカ様や歴代の覚者が、代々其れを伝えておいでになったと云う理由が有(在)るのです。

 

道元禅師は此れを一歩進めて(自己と法「悟り」を対待(ついだい)せず自己は指導者と共に本証の全体であると云う「本証妙修(ほんしょうみょうしゅう)」から必ず指導者に参ずべきとしています。

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一大事因縁4

2021年09月28日 | 法理

此の一大事因縁としての、無自覚に生活を送り続けているのが、現在の私達衆生の在り方です。

 

其処に(事実)と云う事が、はっきりお互いの上に(今)行われている事実を皆捨てておいて、然うして其れ「今の事実のまんまに」知(識)らないなりに行っているのです。

 

此の物(自分自身)が或る縁(六境)に触れて然うして初めて此の今の事実に遭遇して、それも突然の為に此の物(自分自身)はびっくりするのです。

 

其れが「自覚」です。

 

此の「自覚」何方も自分で自分の事ですからはっきりするのが「必然」なのです。

其れ以外に法「道」が有(在)るのではないのです。

 

六境とは、六識の対称となる、「色(しき)・声(しょう)・香(こう)味(み)・触(そく)法」の総称です。

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一大事因縁3

2021年09月26日 | 法理

このもの(自分自身)の様子は、人間が知(識)ったから、宇宙が有(在)るのでもないし、人間が知(識)ったから人間が生まれたものでもありません。

 

不知不識生(ふちふしきしょう)なのです。

 

何も知(識)らない物が知(識)らないなりに、其れが「現実に今、此のところに居る」のです。

 

其れが今の事実です。

 

此の今の事実を私達衆生は無視していると思います。

此の事は人類全体の欠陥です。

 

此の人類の欠陥である迷いの根源は、こう云う処に有(在)るのです。

 

「此の物(自分自身)の真実」に対しては、然う云う処に有(在)るのです。

然う云う事を知識として知(識)って頂いて自分の考えと云うものは捨てていく修行に勤めて頂きたく思います。

 

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一大事因縁2

2021年09月24日 | 法理

私達衆生は必ず縁(目・耳・鼻・舌・身・心)に触れると、此方は知らないし向こうも識らないのですけれども、犬は犬であり、鳥は鳥であるのです。

 

不知不識(知らず識らず)なのです。

 

一切の物は間違いなくきちんと現れるようにできているのです。

 

然ういうような事を人間が後から捕らえて因縁と名称を付けたのです。

 

それですから此の因縁と云うものには,実体は無いのです.何故なら何も知らない(識らない)からです。

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