活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

一大事因縁(仏教の生命)6

2017年03月16日 | 法理

「自己の本来の面目」に「相見(しょうけん)」しなければ

例え、経論を究めても他の宝を教え、終わる人です。

 

自ら「実物」を見ずして、見た如き「観念を造る人」です。


「一大事因縁」なくして人を導くことは「一盲衆盲を引く」

で、誠に恐るべきことです。

 

これは仏教全体の「一大事」です。

 

「此(箇)の事」なければ「法(道)」を説いても

響きなしです。

 

一度は「命根(みょうこん)を絶せん事」を要すのです。

 

今人、古人も「四大(地水火風)」は同じです。

何れの時代になっても「志気(しいき)」があれば何人たりと

いえども徹するものです。

 

「疑うことなかれ」です。

旧稿「信解行證乳入(しんげぎょうしょうにゅう)」が大切

なところです。

 

今や社会は「この人」を求めつつあり、若しこれに当たる人が

なければ「仏教の生命」なしです。

 

「仏法」生命を失えば人間(にんげん)の苦悩は永久に離する

ことは出来ないと思います。