「自己の本来の面目」に「相見(しょうけん)」しなければ
例え、経論を究めても他の宝を教え、終わる人です。
自ら「実物」を見ずして、見た如き「観念を造る人」です。
「一大事因縁」なくして人を導くことは「一盲衆盲を引く」
で、誠に恐るべきことです。
これは仏教全体の「一大事」です。
「此(箇)の事」なければ「法(道)」を説いても
響きなしです。
一度は「命根(みょうこん)を絶せん事」を要すのです。
今人、古人も「四大(地水火風)」は同じです。
何れの時代になっても「志気(しいき)」があれば何人たりと
いえども徹するものです。
「疑うことなかれ」です。
旧稿「信解行證乳入(しんげぎょうしょうにゅう)」が大切
なところです。
今や社会は「この人」を求めつつあり、若しこれに当たる人が
なければ「仏教の生命」なしです。
「仏法」生命を失えば人間(にんげん)の苦悩は永久に離する
ことは出来ないと思います。