活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相違について 2

2015年02月28日 | 法理
キリスト教、イスラム教、仏教を世界三大宗教ということは、よく知られている。

今までキリスト教、イスラム教文化の中で育ってきた人は、「神」という「絶対」のものがあって、それから離れられない。

どんなにしても「神の存在」、「神の領域」というものが重くある。


「絶対」というものがある以上、「絶対は人がつくったものだ」ということに気が付かない。

それは「人の考えでつくった絶対」ということだ。


是非とも「善悪のない世界がある」ということを理解してもらいたいと思う。

「善悪のない世界」というのは、「今の事実」であり「今の自己の様子」、「今」ということだ。


自分でこれが「善」だとか「悪」だとか、判断する以前の世界ということだ。


相違について 1

2015年02月27日 | 法理
活かして生きる “道” と、いわゆる “道” を求める人の “道” とは、大いに相違がある。

活かして生きる “道” とは、「今が いちいちの結果」であるという、結果を求めない “道” のことだ。



いわゆる普通の “道” を求めている人の “道” とは、自己の満足する結果が求められる “道” のことだ。

自己の満足「基準」と同時に「目的」にして、それが「道」だと自分で決めてしまう傾向にある 。


活かして生きる “道” とは、「今の事実」「今の自己の様子」「今」が結果であるということだ。

理屈ではわかるけれど、何事においても結果であるということで、安易に自己満足の状態で終わってしまうことが多い。


歴代の方々が、最初に活かして生きる “道” を、必ずしもはっきりとは示していなかった。

その為、いわゆる人の考えの中でつくった “道” を “道” と勘違いすることが生じたし、活かして生きる “道” というのが一般的に全然理解されていない。




今の事実 5

2015年02月26日 | 法理
「過去」と「未来」の実在を証明しようとしても「今」あなたが証明したつもりで見せたものは「過去」でも「未来」でもない。

そのどれもが「今、ここ」に存在している「記録」や「記憶」だ。


それは単なる “説明” で あって、“証明” ではない。

ほとんどの人は 「現実世界」「今の事実」を置き忘れている。

それは「頭の中の世界」「判断後の世界」 によって書き換えられた「歪められた世界」、「仮想の人生劇場」なのだ。


「今の事実」はそうであるけれども「人」としてはなかなか、うけがえるものではない。

「今の事実」に手をつけて自分で自分を縛っているのだ。


「体感」で「言葉」を作ることが出来ても、「言葉」で「体感」は作り出せない。

「真の証明」は「真の体感」が 【不可欠】である。



今の事実 4

2015年02月25日 | 法理
「今の事実」、「今」は体感の次元であるが「過去、未来」は体感のしようがない。

「過去、未来」は思考する(思い出す、想像する) ことが出来るが、「今の事実」「今」は思考することは出来ない。


概念的に「今の事実」「今」をつかもうとしても、それはすぐに過ぎ去ってしまう。


「活かして生きる道」を体感出来れば人は過去と未来(断片的に切り取った事象に対する意味付け意義付け) にとらわれることがなくなる。

「活かして生きる道」とは「真面目に生きる」「勤勉に生きる」「誠実に生きる」ということではない。

自分の考えによって固められた世界から脱して 「あるがままの世界」に生きることである。

今の事実 3

2015年02月24日 | 法理
「今の事実」は現実世界にあるから「経験」することはできる。

しかし「未来」と「過去」は「判断後の世界」「実在しない世界」であるから、「経験すること」も「存在すること」も出来ない。


つまり「今の事実」、「今」と「過去と未来」は存在する次元が違う。

異なる次元のものを一つの流れの中で解決しようとするところに誤解が生じてしまう。


「未来」があるのではなく「希望」や「予測」「恐れ、不安」が “いま存在している”。

「過去」があるのではなく「記憶」や「記録」が “いま存在している”のである。


つまり言葉は「指し示すもの」であって決してその「今の事実」、「本質にあたるもの」ではない。

今の事実 2

2015年02月23日 | 法理
「今の事実」「今の自分の様子」 これはすでに結果である。

この結果は、必ず過去においてかく成るべき原因をつくっているということだ。

「一秒前も過去」である。


「今」という結果は 即、将来の原因になっている。

将来は、今の延長である。


「今の自分の様子」が 自分にとってあまり好ましくない状態であるならば、その〈原因〉を早く好ましい状態に変える努力をしなければならない。

もし、変える努力をしなければ、自分の将来の様子はきちんとわかる。

明日も明後日もまったく「今の様子」と変わりがないということだ。


現在の混乱している状態は、偶然こういう状態になったというのではない。

必ず「過去に原因がある」ということである。

今の事実 1

2015年02月22日 | 法理
1、たとえあなたが悪いと思うことも今の事実である

2、今の事実に善悪はない

3、今あるもの今生きているものは、極悪に見えるかもしれない。
しかしそれは許されているのであるから、又、今の事実なのだから他を排してはいけない

4、今の自分の環境がどんなであろうと、それは今の事実

〈 拙文--(道について)より 〉



今の事実は起こるべくして起こっている、だから一切今の事実に手を加えないことが「活かして生きる道」の最善の方法である。

「生・老・病・死」を自分の事実として素直に沿っていくことだ。


何故ならば、「自分とは一切関係なく」生じては滅し、生じては滅し......それで終わっているからだ。

「生・老・病・死」という因縁より生ずる世界を「苦しみだ、解決だ」と問題を起こすところに問題が生じるのだ。

自分の考えで物事を測る “クセ” を無くさなければならない。

道について 9

2015年02月21日 | 道のこと
信念だけでは行き詰まる。

何事に向かっても、まず感謝せよ。


見えぬものは掴(つか) まなければならない。

そこから正さねば、外側からばかりでは何にもならない。


動いて和すなり。和すから栄えるなり。

和せば一つなり。

善は悪と、陰は陽と和すべし。


道とは法則なり。秩序なり。

出足の港は夫婦の道から。

道について 8

2015年02月20日 | 道のこと
人は迷うことなく自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち着く。


統一ないところに力は生まれない。

想念は形式をもって始めて力が出る。


何処で何をしていても、道さえ踏んで居れば栄える。

宿命と運命は同じものではない。


学(がく) 出すから、我(が) 出すから 行き詰まる。

凸凹があるから力が現れる。


悪は悪にのみ働きかけ得る。善に向かって働きかけても、善はビクともしない。

ビクつくのは、悪に引き込まれるのは、己に悪があるから。



道について 7

2015年02月18日 | 道のこと
悪あればこそ、善は善として使命し、醜あればこそ美は美として生命する。


天国を動かす力は地獄であり、光明を輝かす力は暗黒である。

地獄は天国あるが故であり、暗黒は光明あるが故である。


大いなる平衡が保たれている故に、呼が強くなれば 吸も 強くなり、吸が長くなれば 呼もまた長くなる。


地獄なきところに天国はない。

天国を思念するところに地獄が生ずる。善を思念するところに悪を生み出す。


悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かす。


喜びより離れたる信仰はなく、真理はなく、生命はない。

喜びは行為となる。行為せざる喜びは、真実の喜びではない。