「この私というものの体(色身)」においては、悟ることやものと一つに成ることは
出来ません。
「法身」が分かれば自分の他に何も無いということが分かります。
即ち悟るべきも迷うべきも何もないということです。
しかし、どんな人にも「わかった」というものが残るということはよくあることです。
ですから、「分かったという病」を取っていかなければならないのです。
分かってみれば分かったということが「不要な病」であったということにも気が付く
訳です。
「今の事実、今の自分の様子」以外に「道(法)」はないということです。
「道(法)」というものは必ずある訳です。
「娑婆世界」のことですから、自分の思うようにいかないことは当たり前のことです。
当たり前のことですけれども、その中で「道(法)を求めていかなければならない
訳です。