ほんの少しの「隔たり(距離)」があっても、ものと一体には
成れません。
そのものの「真の姿」というものは、本当にものと一体に成らなければ
分からないのです。
私たち衆生は、普通、「見聞覚知(けんもんかくち)する働き」を
認めて「生きている」といいます。
それは「生きているということの説明」に過ぎません。
「自己の正体」を見極めないと、すべての働きと自己との間に
「隔たり(距離)」が出来るので、「自己の正体それ自体」は
どんなにしても分かりません。
したがって、思慮分別し手探りの状態で、「自己の正体」を探すように
なるのです。
憶測とか妄想で安らかになれず、いつも不安定な状態でいなければ
ならなくなる訳です。