活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

生死とは1

2017年03月03日 | 法理

「生死(しょうじ)」とは一つの「公案」です。

「公案」とは「どんなにしても犯すことの出来ないもの」

というものです。

 

「生死、生死にあらず」という公案で悟った人がいます。

生死自ら生死と言わず、生死と一つに成るから「生死、

生死にあらず」という公案に透れるのです。

 

一つであれば生死とはいいません。

二つになるから「生死」なのです。

「生死」に実体がなければ「涅槃」です。

それをよく知(識)らなければなりません。

 

「田の草を 取りてそのまま 肥しかな」という道歌があります。

この通りです。

自分の妄想、思想が「生死」を認めるのです。

 

「生死」は「因縁和合」で出来るのです。

例えば「い」の字のようなものです。

「いの字」は偏にもなく旁にもありません。

 

因縁の外に実体はないのです。

実体があるものと思うのが「迷い」です。

 

「縁起」とは「空」です。

「空」とは絶大なものです。

「縁起」が分かれば煩悩はないのです。

 

何事も前世からの因縁であると、「観念する」

「諦める(明らめる)」のです。

 

思想というものは妄想です。

ただ「生死のまま」であればそれでよいのです。