活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「道」について

2024年07月29日 | 法理

「道」と名の付くものはことごとく「自分を滅する」一つの方法として有(在)る訳です。

 

確かにそういう「道」に因って「自分を滅すること」は出来ると思います。

 

「道」とはそういうものですけれども、肝心の「指導者」が少ないと思います。

 

それが、私が「末法」を深く感じるところなのです。

 

その為に、「道」は有(在)ってもどのようにして「道」に到達するのかという「方法や手段」が教えられていないという、非常に寂しい事情が有(在)ります。

 

古人曰く、”人の不幸は早く人の師となるより甚だしきはなし” と。

 

自分が腑に落ちていないのに、それが自分のもののように、”真実であるかのように” 話すことは注意が必要です。

 

自分が実感していないことを知ったふりをしないことです。

 

知識が智慧に成っていない「無知の知」では駄目なのです。


日常生活

2024年07月12日 | 法理

私たち衆生の「日常生活」というものは、知る知らないに関係なく、又、そいういうものがない処で「日常生活」を営んでいるのです。

 

ただそのことに気が付かないだけなのです。

 

「花」は雨で散っても「花そのもの」は一向に悲しんでいません。

 

あるいは、咲いたからといって喜んでもいません。

 

時期が来れば「花」は咲きますし、散ります。

 

何かそこに隠されているものがあるでしょうか。

 

私たち衆生はやらなければならないことは、ちゃんとやれますし、やってはいけないことは、ちゃんとやらないでいられます。

 

これはもう本当にその通りの「日常生活」を営んでいる訳です。

 

考えれば実に「不思議(不可思議)」なことです。