活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

理屈5

2018年07月31日 | 法理

「いつも天地一枚」なのです。

「理(理屈、平等)」は「事(事実、差別)」によって證明され

「事(事実、差別)」ばかりが独り立つものではないのです。


「理即事」「事即理」ということをわからなければ世の中は治まりません。

凡ての現象は水の上の波の様なものです。


水を離れて波はありません。

「本体は同じ」なのです。


「本体」はいつも「無事」でなくてはなりません。


理屈4

2018年07月30日 | 法理

いやしくも「事(差別)」というものが存すれば必ず「理(平等)」という

ものが伴うものなのです。


例えば、「地」が在れば「天」がこれを蓋うし、「天」が在れば「地」が

これを載せるのです。


「道」はわずかの間も離れることはありません。

「離れるべきは道にあらず」なのです。


理屈3

2018年07月29日 | 法理

「事柄、物柄」というお言葉があります。


「事柄」とは、物にはことごとく「差別(しゃべつ)」があるのです。

それを「事(じ)」といいます。


いろいろ様々に「因縁」が異なっているので一つとして同じものはありません。

皆、異なって相まって世の中に活動し、進化していくことが出来るのです。





理屈1

2018年07月27日 | 法理

「元来ひとつのもの」なのです。

いろいろな因縁によっていろいろ異なっているばかりなのです。


「一朝成る程と合点がいった時」、何事も愛せざるを得ないのです。

わざわざ愛するというのではありません。


全く一つのものの別れですので「自然(じねん)に」愛せざるを得ないのです。


 


物の軽重2

2018年07月26日 | 法理

しかしながら、悪いことを勧めるのではありません。

勧めるのではないですが、そういうことはしないように何処までも

「生き如来」にならなければならないのです。


「生き如来」の有難いのはどういうことかというと、「精神が清らか」なのです。


精神さえ立派ならそれで人にも信用され、世の中に長い生命を保って、

天に恥じず地に恥じず、悠々たる生涯を送ることが出来るのです。


物の軽重1

2018年07月25日 | 法理

世の中は事柄によっては「物の軽重」ということがあって、重きを採って

軽きは捨てるのです。


人を使うもそうです。

人に長所の採る所が有ったらそれを取り、悪い短い所は捨てて採らないことです。

そうしないと、人は悪い方から採るというと使う者がなくなってしまいます。


この癖がある、彼の癖があるといっていたら、もう、人というものは癖の無い者は

ないのです。

「無くて七癖」といいますから、その良い方を取るのが宜しいのです。


孔子の教えに「人の一善を見て百非を見ず」というお言葉があります。


人の百非を見ずというのは、人には百の難があるのです。

百の悪いことがあっても一つの善いことを見れば、その百の悪いことは

構わない、孔子はそうでした。


人にどういう悪いことがあっても、一つの善いことがあればそれで沢山だと

いっているのです。


「聖人(せいじん)」は皆そうです。


混沌描眉2

2018年07月24日 | 法理

これを混沌の持っている本質を他の人の考えに因って、余分な手を加えた

為にすべてのものを壊してしまったという、非常に良い譬え話です。


「本質、そのもの、本来のもの」ということは、全く他のものの手伝いとか

手助け、あるいは支えということを必要としないものです。


自ら目醒めて誇るべき何ものもなく、又、混沌とした状態にあっても

憂うべきものは何もないということです。


「混沌のまま」に秩序が保たれていなければならないということが

「混沌描眉」の深意です。



混沌描眉1

2018年07月23日 | 法理

中国の書物の中に「混沌描眉(こんとんがび)――〈混沌に眉を描く〉」

という話があります。


「混沌」というのは、人の名前です。


「混沌」は卵のような顔の人で、目も鼻も口も無く、人(にんげん)にあるべき

「七つの穴」がありませんでした。


その「混沌」に大変世話になった二人の人がいました。


その二人は「何を以って混沌に返礼をしたら良いか」と相談した結果、

「混沌には七つの穴が無いから、混沌を人間のような顔にしてあげよう

と、いうことになりました。


そこで毎日一つずつ穴をあけて、一週間目に七つの穴を作った訳です。


数日経って、その二人の友人が「混沌はさぞかし人間のような顔になって

ものがよく見え、よく聞こえ、よく味わえ、さぞかし喜んでくれているだろう」

と混沌の家を訪ねると、全くその期待とは正反対で混沌はみじめにも死んでいた

という話です。



白紙2

2018年07月22日 | 法理

問題は明確な言葉で「納得のいく説明を加える」ということであり、

あたかも「問題の本質が分かったかのような錯覚を持つ」ことです。


「言葉の説明」を「今の事実」と取り違えないようにしたいものです。


指導者はよく「白紙でありなさい」と指導されます。


その深意は「今の事実に一切手を加えなければそのままで白紙たりうる」

ということです。