活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

六道輪廻2

2023年12月27日 | 法理

この「六道輪廻」を固定した考えで認めてしまうと、「前世には地獄界に居たが、今世は人間界に生まれてきた」とか、「今世は人間界に居るが、来世は悪業に因って地獄界に堕ちるだろう」とか考えている人がいるかもしれません。

 

しかし、「六道輪廻」というものはそういうものではありません。

 

おシャカ様が説く「六道輪廻」とは、此の物の変化の様子、即ち「無常」ということです。

 

ですから、「一念」が「消滅」することを「死」と言い、又次の「一念」が生じる事を「生」というのです。

 

ですから、私たち衆生は何時でも「生死」を繰り返し続けているのです。


六道輪廻1

2023年12月25日 | 法理

私たちは今日一日の間でも六つの世界を留まることなく廻っています。

 

現実に私たちは、この六つの世界の何処かに留まっているという事です。

 

人間界の衆生に成っても、わずかの間に「縁」に応じて色々な事を考えます。

 

考えるたびに「地獄・餓鬼・畜生・修羅界」を絶えず輪廻していく訳です。

 

何故そのように一か所に留まっていられないのかというと「無常」だからです。

 

「六道輪廻に実体がない」からです。

 

おシャカ様の教えは「運命論」とか「宿命論」とは全く異なったものです。


迷いの世界を離れた世界 3

2023年12月22日 | 法理

衆生は「縁」に因って何にでも成れると説明しました。

 

しかし、普通の人間の求めているのは「十界(じっかい)の内の天上界」です。

 

しかし、「天上界」は「果報が尽きる」ということが有(在)るのです。

 

ですから、私たちは「善い縁」に会って修行しなければならない道理が有(在)るのです。

 

本来「仏に成るべき性質」を持っていながら「善い縁」に会わなければ「修羅、畜生、餓鬼、地獄」に低迷しなければならないのです。

 

これを「因縁説」といっています。


迷いの世界を離れた世界 2

2023年12月20日 | 法理

先般、迷いを離れた四つの世界が有(在)ることを説明しました。

 

「仏界、菩薩界、縁覚界、声聞(しょうもん)界」です。

 

1.仏界---仏の世界です

2.菩薩界ーーー仏の教えを行ずる世界です

3.縁覚界ーーー縁起の法を信じている世界です

4.声聞界ーーー自分の利益だけを考えている世界です

 

1.2.に属する衆生は信じる度合いが強いため迷いの世界には堕ちません。

 

3.に属する衆生は人々の救済のみに生涯を過ごす衆生です。

しかしこれも「人々の救済」という未だそこに助けなければならない「相手が有(在)る」状態です。

 

4.の世界は、一切手を下すことがない世界です。

「仏」とは「ものの本質」をいいます。即ち「仏界」とは「本質だけの世界」」です。


迷いの世界を離れた世界 1

2023年12月18日 | 法理

「迷いの世界を離れた世界」が有(在)ります。

 

「仏界、菩薩界、声聞(しょうもん)界、縁覚(えんがく)界です。

 

四つの階級が有(在)るわけではありません。

 

何故ならば、ものは何時でも同じ状態にはあり得ないからです。

 

私たちは修行に因って「仏界、菩薩界」にも入ることが出来るのです。

 

「善因善果」といって善い縁に触れれば「仏界菩薩界」に入ることが出来ますが、「悪因悪果」といって悪い縁に触れれば「地獄、餓鬼、畜生、修羅」という状態に堕ちなければなりません。

 

ですから、出来る限り善い縁に会うように努めなければいけないということです。

 

 


迷いの世界2

2023年12月13日 | 法理

私たち衆生の一日を振り返っても、何時も同じ状態では有り得ません。

 

「縁」に因って天上界から地獄界までを輪廻転生(りんねてんしょう)しているということです。

 

私たち衆生は「自分の認めたもの」に因って様々な考えを起こしながら、その考えを自分自身では処理(解決)することが出来ません。

 

何故ならば、「他からの縁」に因って自分が苦しめられているという考えから離れることが出来ないからです。


迷いの世界1

2023年12月10日 | 法理

「迷いの世界」を六道(りくどう)といい、その六道をぐるぐる廻っていることを「六道輪廻(りくどうりんね)」といいます。

 

六道輪廻とは、

①天上界・・・幸せだけあって苦しみのない世界、地獄界の反対です。

②人間界・・・悩んだり、安心したり、悲しんだり、喜んだりの生活を繰り返している世界

③修羅界・・・争い(怒り)の世界、戦争は修羅の世界といえます。

④畜生界・・・ものの道理の理解できない自分本位の世界

⑤餓鬼界・・・満足ということがない世界

⑥地獄界・・・苦しいということだけの世界

 

多くの人は「六道輪廻」を死後の世界のように想像していますが実際は現実の私たち衆生の「今の世界そのもの」をいっているのです。

 

私たちの目の前にある一切が「縁」に因って成り立っているものですから、修行することに因って「覚者」にも成れれば、「地獄・餓鬼・畜生」にも堕してしまうこともあるということです。

 

ですから「活かして生きる(道)」という「縁」に会うことに因って「道の人」に成るベく、務めて精進していけば「迷いの世界(六道輪廻)」から離れることが出来る道理なのです。


「真の自分」とは2

2023年12月08日 | 法理

私たち衆生は「修行(今の事実に徹すること)」に因って「自らが道(法)その物である」ということを知(識)らない限りは、平等とか差別(しゃべつ)という言葉は知(識)っていても決して自分のものにはなりません。

 

ですから、これは「万、止むを得ない」ことですがしばらくの間はおシャカ様や歴代の覚者の教えに従って修行し、精進していかなければならない訳です。

 

「道(法)」が自分のものになるまで務めて精進していくのです。

 

そうした時に「自分の道(法)」に目醒め、「仏法(仏道)」というものがなくなるのです。

 

おシャカ様や歴代の覚者の教えが支えになっていては、本当に独立した「真の自分」には成ることは出来ないのです。

 

 


「真の自分」とは1

2023年12月06日 | 法理

人類は現在八十億人いるといわれています。

 

私たち一人一人は確かに八十億分の一人です。

 

本来みんな一つのものなのに、「因縁」が違っているためにそれぞれ異なったものであるのです。

 

平等の面から見れば「みんな一つのもの」であり「差別(しゃべつ)」の面から見れば「それぞれみんな独立」しています。

 

ですから「融和」している事になる訳です。


人間(にんげん)の構造4

2023年12月01日 | 法理

つまり人間(此の物)は「色・受・想・行・識」という五つの集まりから成り立っているのです。

 

ですから、肉体である「色(しき)」という「四大の働き(地水火風)」が無いと「精神の作用(受・想・行・識)も起こらないのです。

 

そこで、「肉体と精神」は離して考えることは出来ません。

 

肉体が先か精神が先かといえば、これは「同時」に起こるものなのです。

 

何故ならば肉体には六根が備わっており、この六根を通して外部のもの(外境)を受け込んでいます。

 

そして受け込むと「同時」に精神の作用(受・想・行・識)に因って色々な状態が出て来るという事なのです。

 

全てのものは一つでは成り立っていません。