初一念4
2017年03月27日 | 禅
「暁の鐘声に応じて天地開く」
というお言葉があります。
即ち、暁の声に応じて天地が鐘の声に成ってしまった
ということです。
分からなかった天地が皆分かって来たということです。
その暁の鐘を聞くという一念の天地です。
そこです、何処までいってもその時の世界です。
思うのは一念です。
自分の心です。
「心鏡」です。
心鏡が出て来ているのです。
何処までも何処までもそれが「今の一念の相続」です。
初一念が好ければ第二念は悪いのでしょうか。
これはどちらも間違っているのです。
念のままで自己はないのです。
主人公はいないのです。
二念三念も同じく前後を認めずに
「一々(いちいち)脱落」していくのが修行の要訣です。