初一念3
2017年03月26日 | 禅
「念」は作り出したものです。
その「無始無終」が一念となって来ているのです。
禅語に、
「一念普く観ず無量劫、無量劫の時即如今(にょこん)」
とあります。
時間があれば空間があります。
ですから、「一念普く無辺量」ということも出来るのです。
この一念は「無始無終」の打ち通しなのです。
何処まで行っても念念相続しているのです。
死んでも生きても同じものです。
この念は始め終わりを認めたら駄目だということです。
「百千万の念もただ一念」なのです。
好い声だなと思うのも一念です。
好い声だなという時は、その声ばかりで自己がない故に
好い声の世界なのです。
悪い声のときは、悪い声の世界なのです。
その時の念が一念です。
分別のない念です。
それを聞くという時の分別のない所を失ったら駄目なのです。
そこを失ったら世界を損なうのです。