「悟り」というものは個人的な体験であり、「悟り」そのものは普遍的なもの
であるにもかかわらず、そこに至るきっかけというのはその人にとってのみ
意味があるものです。
「悟り」は通常の活動を超越した意識状態であるために、悟っていない人には
どのように説明したところで、それを「理解(納得)」させることは出来ないし
既に「悟りを体得している人」には、説明をする必要などあるはずがないという
「原則(法理)」を理解する必要があるのです。
何故ならば、「法」からいえば、「悟了同未悟(ごりょうどうみご)」だからです。