「色(しき)」 とは目に見える形のあるもの、つまり 「肉体」 です。
「受・想・行・識」 は形のない 「精神作用」 をいいます。
つまり、「色・受・想・行・識」 がいつもひとつになって働いているのです。
「肉体と精神」 は 「不離不即」 だといわれていますが、もともと 「人」
でなかったものを、「ある時(物心がつく時)」 から 「人」 と認め
ないものをあると思って 「認識」 してきただけの話です。
ですから、「修行」 によって 「迷い」 を失くそうと思うのは間違いです。
「人」 は一定しない状態を 「不安」 という言葉で表現しています。
このように 「迷い」 や 「不安」 は実体のないものですが、
「迷いの法」 といい、「不安の法」 といい、みんな 「ひとつの法」 なのです。
それぞれ 「縁」 によって 「迷い」 となり 「不安」 となっているのです。
ですから 「人」 がつくったものではありません。
従って迷いは「迷いのまま」 にあり、不安は 「不安のまま」 にあるのが
「法」 にかなった状態です。
「法」 から離れようとするのは 「自我の働き」 だということを
よく知(識)っておいていただきたいのです。
分からないものが本当に分からなくなることが 「真の分かり方」 です。
人の考えの中でつくったものは、また分からなくなってしまうのです。