「煩悩濁」とは、見方のわるいところから「三毒(貪・顚・痴)」等の
煩悩妄想を起こし、自分も苦しみ、人をも苦しませてしまうのです。
「衆生濁」とは、衆生が「見濁」「煩悩濁」の結果として、人間界の
果報が漸く衰え、心が鈍く、体が弱く、闘争常に絶えず、苦多く
福少なきをいいます。
「命濁」の「命」とは、寿命及び生活力のことです。
生活が不正となり、従って寿命も短くなるのです。
長生きしても生き甲斐がないので、短命ということも出来るのです。
「劫(ごう)濁」の「劫」とは、劫波、時代ということです。
今の時代は「五濁」を以って成り立っている時代です。
時代が濁っているということです。
何人も皆、時代の影響を蒙(こうむ)っています。
ただ、私たち衆生は「泥中の蓮」と成って「五濁」の影響を
蒙らないような人格者と成らねばなりません。、
おシャカ様の「正、像、末」の時代を説いた裏面の
「大慈、大悲」を実践しなければなりません。