活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

三つの弱点4

2019年03月31日 | 法理

「集」とは煩悩のことです。

「苦の元(本)は、実に煩悩に有(在)る」のです。

それさえ取り除けば安楽に死ねるのです。


それが「滅道」です。

その死を「安楽冥(あんらくめい)」するには「妄想、煩悩」を滅すれば

よいので「滅という結果」を先に出してあるのです。


それを満足させるには「道という修行」が在るのです。


やはり「結果」を先に見せてそれなら修行してみようとなるから

「因即修行」を後に回してあるのです。


「道(修行)」に因って必ずそういう「妄想、煩悩」を滅することが

出来ます。「苦が楽に成る」のです。


そうしたら何時死んでもいいという「信念」が起こって来るのです。


三つの弱点2

2019年03月29日 | 法理

「時は金なり」という時代は過ぎました。

エマーソン曰く、「時は生命なり」と。


「金」はまた得られますが、失った「時」は再び得ることは出来ません。


時は生命を刻んでいるのですが、この真理を判らないで過ごしていては、

日々生命を殺していることになるのです。


それでは仏教でいう所の「殺生(せっしょう)罪」であり、「大破戒」なの

です。


今皆さんを「未熟なお方」として話をさせて下さい。

そうでなければ話が出来ないからです。


「未熟なお方には結果を先に見せる」というのが仏教の鉄則です。


仏弟子の声聞(しょうもん)縁覚のうち「声聞」には「苦集滅道(くじゅうめつどう)」

ということをおシャカ様はお説きになりました。


三つの弱点1

2019年03月28日 | 法理

人間(にんげん)の執着は何時から始まったかというと、お父さんお母さん

の因縁に因って私たち衆生がお母さんの腹の中に「胎生(たくせん)託生

(たくしょう)」した時から生への執着というものが入ります。


これは自分とか自分じゃないとかということに関わりなく働きとして

「執着」というものが有(在)るのです。


そういうものが胎内で容(かたち)作られてきて、そしてそのまま誕生して

来るという訳です。


このことを仏教では「業因」といっています。

ですから「不知不識生(ふちふしきしょう)」なのです。


私たち衆生は「三つの弱点(情愛、自体愛、当生愛)」を持っています。

これが苦の根本になっているのです。


生きている今の現実には、誰もがまだそういうことは余り考えないで

生活しているだけなのです。


慈悲について3

2019年03月27日 | おシャカ様

そして、本尊様と文殊菩薩様と普賢菩薩様の三位一体を兼ね備えているの

が「私たち衆生の今の様子」なのです。


ですから、神仏にお詣りするということは偶像を「礼拝(らいはい)」する

ことではありません。


自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)で一日も早く「その人」

に目醒めたいと願って自分自身に礼拝することが、礼拝の真の意味なのです。


慈悲について2

2019年03月26日 | おシャカ様

真ん中の「本尊様」は「法(道)その物」ですから、私たち衆生が願い事を

しても、何を申し上げても一向に知らん顔をしていらっしゃるのです。


そこで「本尊様」に代わって脇侍の文殊菩薩様と普賢菩薩様が「法(道)」

を説かれるのです。


そのことが「三位一体(さんみいったい)」の「平等と差別(仏教では

しゃべつと読みす)」に因って「法(道)」が円満に説かれていくという

ことを現わしているのです。


 

 


慈悲について1

2019年03月25日 | おシャカ様

仏教でいう「慈悲の悲」というのは、楽を与えるということです。

「悲」というのは苦悩を除くということです。


お寺には一例として「本尊様」の両脇に文殊(もんじゅ)菩薩様と普賢

(ふげん)菩薩様をお祀りしてあります。


文殊菩薩様は「智慧」、普賢菩薩様は「慈悲」の菩薩様です。


日本では「知に働けば角が立つ」といわれておりますが「智慧」だけで

「法(道)」を説くと一辺倒に偏るために「智慧と慈悲」がうまく組み合わ

されています。


おシャカ様の慈しみ3

2019年03月24日 | おシャカ様

しかし、私たち衆生(自己の正体を見極めていない凡人)は「実体が有(在)

る物」と「認識」し、それに更に執着を起こし追い回すために、様々な

苦悩が生じてしまうのです。


物事には全て「法則」が有(在)ります。


この「法則」に随って自分の考えを交えないで素直に「法則そのもの」に

任せていけば、人間(にんげん)が人間(じんかん)で人間(にんげん)らしく

存在出来るのです。


「新三法印(実相無相、不知不識生、本来成仏)」を提示させていただきます。


おシャカ様の慈しみ2

2019年03月23日 | おシャカ様

おシャカ様は一切の有形無形の世界は全て「因縁、縁起」に因って生じ、

また「因縁、縁起」に因って滅するものであると示されました。


更に、「因縁、縁起」に因って形成されているものなので「中心が無く、

実体も無い」と示されました。


そして更に「始終変化(無常)」で「無始無終(無我)」であり「無相(相の

認めようがない)」であると示されたのです。


これがいわゆる「三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)」です。


おシャカ様の慈しみ1

2019年03月22日 | おシャカ様

文明や文化の発達した現代に於いても、私たち衆生は不安、心配、恐怖

からの解決のために、様々な思考を廻らしながら日常生活を送っている

のではないでしょうか。


有史以来人類で一番最初に真実の自己に目醒められたお方がおシャカ様です。

そのおシャカ様が解決のために示されたのが「法(道)」なのです。


おシャカ様は「自らが覚者(ブッダ)」と成り「因縁、縁起」を「方便」

として用い「法(道)」を示されたのです。


法としての根源7

2019年03月21日 | 法理

「その声」を人間の見解(けんげ)で分かろうと思っても隔て(距離)が

有(在)るのです。


それを道元禅師は「将に見んとすれば白雲万里」といっているのです。

隔て(距離)が在り過ぎて分からないとおっしゃっているのです。


「此の物(身体機能)」は般若心経にある通りに「無眼耳鼻舌身意」なの

です。


おシャカ様在是の時に、自分で自分の機能としての「六根」を問題にした

人は、おシャカ様以外にはいなかったのです。


多くの人は「此の物(身体機能)」を「私物」という考えを中心にしてそれの

便利のいいところだけを考えて来ただけだったのです。