活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

聖(ひじり)に学ぶ20

2020年02月29日 | 法理

正師(しょうし)を得ざれば学ばざるに如かず。

 

功夫とは功夫なきを真の功夫というのです。

 

慈悲の殺生は菩薩の萬行(まんぎょう)にまさります。

 

有ることを知る者は、却って有ることを知らず。

 

応に世情を捨つべし、真情を執することなかれ。

 

古の学者は己の為に、今の学者は人の為にす。

 

心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華に転ず、なのです。

 

諸仏の大悟は衆生衆生の為に大悟す、衆生の大悟は諸仏の大悟を大悟す。

 

貪瞋 是れ地獄、愚痴は是れ畜生なのです。

 

中(うち)自性を見て動ぜざるを禅と名付ける。

 

 


聖(ひじり)に学ぶ19

2020年02月28日 | 法理

百術は一正に及びません。

 

無分別を道と為すのです。

 

智者は物に任せないのです。

 

心(こころ)生ずれば種々の法 生じ、心 滅すれば 種々の法 滅するのです。

 

因縁生(いんねんしょう) 故に無自性 、無自性なる故に 空なのです。

 

色(しき)を見るは心を見るなり。

 

色が無ければ心はあらわれません。

 

若しすでに諸相を離るれば、即ち是れ仏なり。

 

不生不滅は仏の異名(いみょう)です。

 

一切衆生、無始より以来(このかた)己れに迷い、物を後から追いかけて

本心を知(識)る。

 

物の為にこれまでと反対になってしまうのです。


聖(ひじり)に学ぶ18

2020年02月27日 | 法理

進むときは即ち理(理論)に迷い、退くときは則ち宗に分かれることに

なるのです。

 

文に依って義(道理)を分かろうとするのは、三世諸仏のかたきとなります。

 

教の一字を離れれば悪説に同じです。

 

学問の道は他なし、只放心を求むるのみです。

 

仏性(ぶっしょう)の道理あきらむる先達は少なし。

 

楽は求めなきより楽はないのです。

 

一切の業苦は自心に由って生ずるのです。

 

いまだ発心(ほっしん) 修行菩提涅槃が無いのは、即心是仏ではありません。

 

了義を正(しょう)とし不了義を邪とします。


聖(ひじり)に学ぶ16

2020年02月26日 | 法理

本当に仏道を諦めていない者はみだりに衆生の為に説することは

してはいけないのです。

 

おシャカ様が生老病死を説くのは一切衆生をして、仏道を自分自身の法

としてもらいたい為だったのです。

 

道を道にまかすとき法を得ることが出来るのです。

 

道を大悟するは諸仏なり、悟りに大迷なるは私達衆生なのです。

 

聖の薬 (法) を投薬するのは、私達衆生の心の働きの深浅に応じ、

賢者の説と不説は時を待ち、人を待つ為なのです。


聖(ひじり)に学ぶ16

2020年02月25日 | 法理

総じて世界のものは身体も心も山も川も自心(じしん)の執着に由って

心が外境に以てあらわれるのです。

 

心清浄(しょうじょう)なるが故に世界清浄となるのです。

 

衆生妄想分別を生じ仏あり世界あり。

 

若し真法性(しんほっしょう)を悟れば 仏なく世界なし。

 

愚人(ぐにん)は今の事実を除外して心を除かず、心と仏と衆生と是れ三つ。

 

差別(しゃべつ)なし、人根に利鈍あるがゆえに教えは同じではないのです。

 

「同体同一(平等)」でも位(くらい)と「分(ぶん)、差別(しゃべつ)」に

応じた働きしか仏には出来ません。


聖(ひじり)に学ぶ15

2020年02月24日 | 法理

有(う)の中心は無、無の廻りが有、中心は無限、周辺は有限(ゆうげん)。

 

無くなると思うのは形のみ見ているからであり、”から” のみ見るからです。

 

中は無、外は有(う)であり中になるほど無の無となるのです。

 

業は自分でつくるのであるから相手(他)を恨んではいけないのです。

 

小乗の行から大乗の真理をつかむのです。


聖(ひじり)に学ぶ14

2020年02月23日 | 法理

只 法の有(在)ることを知り 身の有(在)ることを識らず。

 

聖凡(しょうぼん)に異路無く、方便には多門有り。

 

智の一字は禍の門なり

 

心は是れ仏にあらず、智は是れ道にあらず

 

自業自得は自作自愛に同じです。

 

真の懺悔(さんげ)は道を摂めることです。

 

同じ所に天国、地獄、現実界はあるのです。

 

繁栄は法則、順序、形成によりて成るのです。

 

空白とは最も根本を為す最も力のあることです。

 

絶対無は無の始め、絶対空は空の入り口です。

 

其処(そこ)から無に入り空に生きよ。

 


聖(ひじり)に学ぶ13

2020年02月22日 | 法理

人の水を飲んで冷暖自知するが如し。

 

親言(しんごん)は親口(しんく)より出るのです。

 

薬を服するよりは、口を忌むには及びません。

 

世間に定相(じょうそう)無し、不定を以て定と成すのです。

 

人生は無事な方がよいのです。

たとえよいことであっても、あれば煩わしいから無い方がよいのです。

 

有(う)に落ちざれば必ず無に落つ。

 

其の心を極めなければ、其の性(しょう)を知(識)ることは出来ません。

 

智は是れ道にあらず。

 


聖(ひじり)に学ぶ12

2020年02月21日 | 法理

「働」という字は人偏に動くと書き、つまり、人を動かす力。

 

今の事実に至っては即ち説き難く、理論に至っては明らめ難し。

 

今の事実を知る少なき時は、煩悩少なし。

人を識る多き處は、是非多し。

 

道を明らむる者は多く、道を行ずる者は少なし。

理を説く者は多く、理に通ずる者は少なし。

 

法を説く者とは、説くこと無く、示すこと無し。

法を聴く者とは、聴くこと無く、得ること無し。

成事(せんじ)は説かず。

 


聖(ひじり)に学ぶ11

2020年02月20日 | 法理

菩薩は煩悩をもって菩提と成し、凡夫は菩提を以て煩悩と成す。

 

世間の法は出世間の法なのです。

 

縁は仏種より生ずのです。

 

凡夫 もし理解すれば、すなわち是れ聖人と成し、聖人もし理解すれば

すなわち是れ凡夫と成すのです。

 

花の落ち 花の開くは、自ら時有りなのです。

 

大解脱の人は成仏 不成仏にかかわらないのです。