余年を交えず有形(うけい)無形、すべての物柄、事柄と
一つに成って、余念を交えざるとき心体が「自覚」される
のです。
内に何かものがあると思っている、それが所謂(いわゆる)
「魂」というものです。
「魂」を認めたら物質の世界になります。
それでは「宇宙」と一致することは出来ません。
「一致する」ということは、元来手続きも何も要らないのです。
「魂(心に一物〈いちもつ〉」を認めているから一致することが
出来ないのです。
同じことを繰り返すようですが、それは見たり聞いたりするものが
此方にあって、見たり聞いたりするのではないのです。
ものの因と縁との吊り合いでの出来映えなのです。