インドで生まれた仏教は海や陸を渡って、日本古来の八百万(やおよろず)の神々の信仰と結びついて、今の日本仏教が作り上げられました。
そして何時ごろからか人が亡くなると僧侶が葬儀を執行するという風習が醸し出されてきたのです。
もちろん、葬儀を行う事も仏教を布教していく上に於いて大切な事ではありますが、道元禅師が「生を明らめ死を明らむるは、仏家(ぶっけ)一大事の因縁なり」とお説きになっているように「法(真理)」を参究し尽くして「死んだら何処へ行くのか、今まで生きていた人がなぜそうなるのか」という事をはっきりと説き示すことが出来なければ本来のお寺の機能は果たせなくなり、「仏法僧」と言う「三つの宝」が無くなってしまうのではないでしょうか。
所が現今では、本末転倒してしまって「僧侶を育成する修養機関」に於いても寺院を護持する為の「教育機関」に成ってきているのです。
「修養機関で修行した者に与えられる終了証書」を見ても、明治から大正にかけては冒頭に「(何々)僧堂ニ安居(あんご)シ 心事未了(しんじみりょう)ト雖(いえども)操行(そうごう)過失ナシ依テ之ヲ證明ス【見性とか仏性を見るという心事は了っていないけれども、行いや礼儀には過失が無かったから修行したことを証明します】」という文言(もんごん)が書かれていたのです。
ところがいつの間にか「心事未了」という文言が証書から消えて無くなりました。
当時は未だ「心事を極める事」に関心を持った人も在ったというのに、いったい何時頃から何故「心事未了なりと雖も」という文言が消えてしまったのか。
先般の「実証」の項目と並んで、そこをもう一度能く参究する必要があるのではないでしょうか。