この沢山の水に現れた月も、天上の一月に外なりません。
万水(ばんすい)の月影は天上の一月に摂せられるようなものです。
何でも同一仏性ですからお互いに平等の心を持たなければなりません。
しかし、上(かみ)としては下(しも)を憐み、下としては上を敬するという風にしなければならないと示しているのです。
無茶ではいけません。「悪平等」というようなことではいけないのです。
「仏(覚者)の法(道)は隨縁真如の時には隨縁真如として差別(しゃべつ)しなくてはいけない」のです。
悪平等ではいけなし、悪差別(あくしゃべつ)でもいけないのです。