活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

一所懸命に坐るとは

2019年06月19日 | 

「一所懸命に坐って下さい」ということは、「今の事実に手を付けては

いけない」という意味です。


「ジーッと今の事実を守りなさい、一切解決の方法を見出してはいけない」

ということを言っているわけです。


「今の事実を本当に事実のままに、ジーッとそれに没頭していて、一切

他を見ない」ということです。


ですから、「今の事実の状態」にどれだけ任せ切れるかが、問題なのです。

別の言葉で言えば「ジーッとこで、そのものに成りつぶれる」ということを

「一所懸命に坐る」というのです。




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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (いつの日にか)
2020-03-02 18:41:09
一つ質問させて下さい。これまで長く座禅してきてその間に工夫の仕方についても色々考えてきました。その結果として、今は「何もしない」を徹底する為に、とにかくじっとしている、何が心に浮かんでも一切構わず、只自分の方からは動き出さずにじっとしている、を実行しています。そうすると、時に心に浮かぶ様々な事どもが現れては消えていくその様子が只あるばかりで何の問題も無しという心境に落ち着いてきて、それらの様子を観るとも無く只観ているという様な状態になります。
この様な工夫で間違いないでしょうか?
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Unknown (後藤 抱道)
2020-03-04 05:33:45
コメント有り難うございます。

文章では制約が在りますが一生(一所)懸命に坐るとは「自己を忘れる事」に励んで務めることです。

絶えず自己を点検する習慣があったのでは一生(一所)懸命に坐る事にはなりません。

修行とは自己の習慣性の本質を見極める事です。つまり習慣性を打破する事に外なりません。

合掌
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Unknown (いつの日にか)
2020-03-04 18:31:08
つまり、いつも「じっとしている」は習慣性になっている、これを打破しなければいけないという事でしょうか?
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Unknown (後藤 抱道)
2020-03-04 21:02:48
「じっとしている」を打破するのではなく、絶えず自分の様子を点検している習慣性を打破するのです。

合掌
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Unknown (いつの日にか)
2020-03-05 01:00:42
済みません、お言葉の意味を取り違えていました。
よく分かりました。これまでも、同様の事を言われたり見聞きしてきた筈なのに、間違えてしまいました。つまり、忘じるべきはそのいつも自分の事を振り返ってしまう自我の働きそのものなのに、結局自我の機能を無意識に強める事をし続けてしまっているという事なんですよね。
ご教示どうもありがとうございました。
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