活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

人の世3

2019年05月31日 | 法理

今仮りに「人の世(迷いの世界)」に「正しいもの、真実のものが存在する

野であろうか」という考えを起こしたとします。


そうすると「何か正しいもの、真実のものが存在するのではないだろうか」

と、その「ものの見方、考え方」を対象として、又「ものの見方、考え方

を起こす」ということを知(識)って置いて頂きたいと思います。


「意識(心意識、認識)」とは働きです。

人の中に有(在)るものではありません。


「人」というものは、自分が認めた存在(所産)なのです。

 


人の世2

2019年05月30日 | 法理

「真」というのは、「今の自分の状態」です。

仮にそれがどんな状態であっても「真実」なのです。


ただ自分がそれを「真実」だと気が付かない為に他に求めてしまうのです。


「今の状態」の他に真実というものは在るはずが在りません。


そういう「見(けん)」というものの見方、考え方さえ取り除きさえすれば

そこには「真」だけしか在りません。


ですから、ものの見方考え方さえ止めさえすれば「真」を求めようと思わなく

ても自ずから「真」が現前している訳です。





人の世1

2019年05月29日 | 法理

「人の世」とは「迷いの世界」ということです。


「分かる分からない、信じる信じられない、正しい正しくない、合う合わない

善い悪い、好き嫌い、許す許せない」等々。


「有りと有らゆる存在は、それはそれとして、存在している」だけで在り

続けているのです。


「存在その物」は何物でもありません。

自分は何様でも何物でもありません。


自分が有りと有らゆる物との「結び目」を無くするように努めていくことが

修行の要点です。


娑婆世界について3

2019年05月28日 | 仏教

私たち衆生は、自分が認めたものに因って、様々な考えを起こし、その

考えを自分自身では如何しても処理することは出来ないのです。


別の言葉で言えば、自分自身で苦しみや悩みの風を起こしておきながら

他からの「縁」に因って自分が苦しめられているのだという考えから

離れることが出来ないのです。


幸い仏教では「無常」ということを示しております。


どんなに日本の文化が変化し、仮に無くなったとしても「法(道)其の物」は

なくなりません。


何故ならば「無くなるということ自体が法(道)其の物だから」です。

ですから「無くなり様がない」わけです。


それがおシャカ様の教え、目醒めた人の教えなのです。


特に私たち宗教に携わるものは、洋の東西を問わず、如何しても「此の法(道)」を

広めていかなければならないのです。


娑婆世界について2

2019年05月27日 | 仏教

「目醒める」とは、邪魔にしていたものが一切消えて無くなることです。


人は誰でも目醒める力は持っていますが、自分がただそれを知(識)らない

だけなのです。


ですから、気が付けばそれで終わりで、新しいものを掴む必要もないし

今まで邪魔にしていたものを外へ投げ出す必要もありません。


では、目醒めた人と未だ目醒めていない人ではどこが違って来るのか。


制約というのは他から与えられたものですが、それを受け取ったその人(自分)

が差別(さべつ)や平等の意識を起こしてしまうだけで、物には差別(さべつ)

とか平等ということはありません。


娑婆世界について1

2019年05月26日 | 仏教

仏教では此の世界を「娑婆世界」といっています。

「娑婆世界」というのは絶対に自分の思う通りにならない世界です。


その娑婆世界という器の中で私たち衆生は悟りだ、迷いだ、煩悩だ、不安だと

様々の上で生活させてもらっている訳です。


一人一人の顔が違うように、それぞれ違った考えや思想を持っているため、

「差別(さべつ)」や「平等」という制約された中で生活をせざるを得ません。


目醒めた人でも同じです。

目醒めた人に成ればなんでもできるし、何をしても許されるということでは

ありません。


仏性(八つの作用、働き)4

2019年05月25日 | 

私たち衆生には確かに「仏性」が有(在)ります。


「有(在)る」というと、此の身体の何処かに隠されているかの如くに考えがち

ですが、しかし、そうではありません。


「仏性」というのは私たちの全てです。

隠されているものではありません。


「露堂堂(ろどうどう)」という言葉が有(在)りますが、何時でも「仏性」の

丸出しなのです。


しかし、いくら「仏性」が有(在)るといってもそのままでは役に立ちません。


修行して「成る程これが仏性だった」ということを自分ではっきり「実証」

しなければなりません。


仏性(八つの作用、働き)3

2019年05月24日 | 

妄想とか雑念ということは「事実」として確かに有(在)ります。

後に付けた名前(符号)だといっても自分には確かに有(在)るものです。


その確かに有(在)るものは「事実」ですけれども「それだけ」なのです。

その妄想や雑念の他に「事実」は有(在)りようは無いのです。


その妄想や雑念が実は「仏性そのものの働き」なのです。


 

 

仏性(八つの作用、働き)1 2019/02/04

仏性(八つの作用、働き)2 2019/02/05


唯識三性観

2019年05月23日 | 仏教

唯識三性観(ゆいしき さんしょうかん)」とは「遍計所執性(へんげしょ 

しゅうしょう)としての蛇、「円成実性(えんじょう じっしょう)としての

麻とたとえると、月夜に路に蛇がいた、蛇と思ったから蛇に見えたが、

よく見ると縄であったということです。


麻でこしらえた縄を迷って蛇と思ったから蛇に見えたのです。

これを「虚妄幻化(こもう げんけ)」といいます。