活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

ただ坐れる人1

2017年03月01日 | 法理

私たち衆生一人一人が、本当に「ただ坐れる人に成る」

ということが坐禅修行で一番大切なことです。

 

「ただ」と言うのは「影」です。

「ただ坐る」ことによって「その影(ただ)」を早く

落とさなくてはなりません。

 

別の言葉で言えば「影の痕跡」をなくすことです。

そうしないと本当の「ただ」に成れないのです。

 

おシャカ様や歴代の覚者の教えによって、それを正しく

行じていかなければならないのですが、「教え(分かったもの)」

というものが、どうしても残ってしまうのです。

 

その為に「教え(分かったもの)」と自分との間に「隔て(距離)」

が出来てしまうのです。

 

仏教は「月を標す指」といわれているように、月を見てしまえば

指の必要がなくならないといけないのです。

 

「ただ」に成れば「ただ」がなくならないといけないのです。