私たち衆生は、「自己とは何ぞや」 と問われれば
必ず 「迷う」 と思います。
何故ならば、
「自分自身(此の物)は、自分自身の発生(生まれたということ)した」 という
明確な “自覚” が無いからです。
先般も、「おシャカ様のお示し」(2016・2・27)で述べましたが
「必然」 として自分で生まれたことを 「知らない(識らない)者」 が
「知らない(識らない)」 なりに、こうして出て来て、
何も 「知らない(識らない)世界」 で 「不知不識(知らず識らず)」 に
はっきり生きているという 「今の事実」 があるのです。
「今の事実」 でないものはないはずです。
こんなに確かなものをもって 「生活(活動)」 しているのに
「自己とは何ぞや」 と問われればちょっと躊躇するのです。
自分のものを自分で善く信じてあげられない、こんな哀れなことが
あるでしょうか。
実は、ほとんどの人が皆そうなのです。
ところが、「仏教」 は幸いなことに、今のように迷わなくてもいい
自分を見つけるように出来ているのです。