活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

不知不識生(ふちふしきしょう)2

2016年04月21日 | 法理

私たち衆生は、「自己とは何ぞや」 と問われれば

必ず 「迷う」 と思います。

 

何故ならば、

「自分自身(此の物)は、自分自身の発生(生まれたということ)した」 という

明確な “自覚” が無いからです。

 

先般も、「おシャカ様のお示し」(2016・2・27)で述べましたが

「必然」 として自分で生まれたことを 「知らない(識らない)者」 が

「知らない(識らない)」 なりに、こうして出て来て、

何も 「知らない(識らない)世界」 で 「不知不識(知らず識らず)」 に

はっきり生きているという 「今の事実」 があるのです。

 

「今の事実」 でないものはないはずです。

こんなに確かなものをもって 「生活(活動)」 しているのに

「自己とは何ぞや」 と問われればちょっと躊躇するのです。

 

自分のものを自分で善く信じてあげられない、こんな哀れなことが

あるでしょうか。

 

実は、ほとんどの人が皆そうなのです。

ところが、「仏教」 は幸いなことに、今のように迷わなくてもいい

自分を見つけるように出来ているのです。